30年ぐらい前(当時はまだワープロさえなかなか手に入らなかった)、考えたことや思ったこと、手紙の下書き、読んだ本の抜き書きや、落書きなどを、適当に綴っていた分厚いノートのような、冊子のようなものが手元に残っている。
しかしその紙質が、普通のノートのような上質紙でなくて、中質紙というか、わら半紙みたいなものだったので、紙の劣化によって、鉛筆で書いていた部分が、判読不能になりつつある。
まぁ、恐らく今読み返せば、青臭いことだったり、他愛ないことだったり、赤面してしまうようなことだったりが、書いてあることのほとんどだろうとは思うのだけど、それでも僕の過去の一部には違いないのだし、少しはいとおしいとも思うわけだ。
消してしまいたいような過去でもあるけれど、やはり自分の一部が消えていくような気もして、残念な気もする。
過去はこのままフェイドアウトさせていってあげたほうが良いのだろうか。何とかすくい上げるべきだろうか。
大昔、僕は尾張一宮駅から単線の電車に乗って、高校に通っていた。尾張一宮駅までは、自宅近くのバス停からバスで30分ぐらいかかった。
学校の帰りには、尾張一宮の駅から、当時まだ名鉄百貨店とかタマコシがあったところの、始発のバス停まで歩いたものだった。
今日、一宮に用があって、そのあとに時間があったので、本町あたりをちょっと散策してみた。
当時エレキ・ギターを買った美人館楽器がまだ営業していた。高校生だった僕には、当時の店主は40歳ぐらいには見えたので、今では75歳は超えていると思うが、まだ存命なのだろうか。もしかしたら、子どもの自分には大人に見えただけで、実はまだ60歳ぐらいなのかもしれないが。
美人館楽器は小さな楽器屋で、スタジオなんかはなかったが、本町のはずれあたりにスタジオをもった楽器屋もあって、バンド仲間と練習に通ったものである。
僕たちはもの凄く下手くそで、ギターやベースのチューニングもきちんとできないみたいで、ドラムはバケツを叩いているような音を出していた。
僕はロリー・ギャラガーのギターが大好きだったけど、当然とてもコピーなんて出来なかった。ロリー・ギャラガーが大好きなのに、ストラト・モデルのギターは なぜかリッチー・ブラックモアが使っていた木目タイプのもので、エル・マヤというあまり聞いたことのないメーカーのものだった。
歳を取ると、昔の思い出がいとおしくなります。
学校の帰りには、尾張一宮の駅から、当時まだ名鉄百貨店とかタマコシがあったところの、始発のバス停まで歩いたものだった。
今日、一宮に用があって、そのあとに時間があったので、本町あたりをちょっと散策してみた。
当時エレキ・ギターを買った美人館楽器がまだ営業していた。高校生だった僕には、当時の店主は40歳ぐらいには見えたので、今では75歳は超えていると思うが、まだ存命なのだろうか。もしかしたら、子どもの自分には大人に見えただけで、実はまだ60歳ぐらいなのかもしれないが。
美人館楽器は小さな楽器屋で、スタジオなんかはなかったが、本町のはずれあたりにスタジオをもった楽器屋もあって、バンド仲間と練習に通ったものである。
僕たちはもの凄く下手くそで、ギターやベースのチューニングもきちんとできないみたいで、ドラムはバケツを叩いているような音を出していた。
僕はロリー・ギャラガーのギターが大好きだったけど、当然とてもコピーなんて出来なかった。ロリー・ギャラガーが大好きなのに、ストラト・モデルのギターは なぜかリッチー・ブラックモアが使っていた木目タイプのもので、エル・マヤというあまり聞いたことのないメーカーのものだった。
歳を取ると、昔の思い出がいとおしくなります。