新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。 -2ページ目

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

過日、池袋で会食した後、知人と2人で2件目として向かったのが「サン浜名」さん!

この何とも言えない看板の奥の階段を昇った2階にある。

相変わらず、雑多な風貌の店内。(笑)

今回は、店内盛況で客が多く撮影は自粛…。

店内の雰囲気は、昨年末の初訪問時のものを見ていただければと…。

 

こちらの店主は阪神タイガース贔屓。

セリーグ優勝おめでとうございます!

いや、圧倒的に強かったです。

ちなみに、1階にも和食・定食の「サン浜名」が有り、そちらは弟さん(?)が経営しており、そちらの店主は東京ヤクルトスワローズ贔屓らしい。(まだ、1階にはお邪魔出来てない)

 

この日は、ビールとチューハイ系をそれぞれ2~3杯飲み、つまみとしてまず「もやし炒め」。

それと「ウインナー炒め」。

出てきたら、お店の娘に「ウインナーが2本しか残ってなかったので、ベーコン足しておいたのでご勘弁を」と言われる。(笑)

2次会なので、もう腹も満たされてるし、アルコールもそれなりに入っているので、気にせず。

最後に〆の「五目ラーメン」を頼んでシェアした。(写真撮り忘れた…)

2人で酒代含め2000円台で済んだじゃなかったかな?安っ!!

 

こちら2階の「サン浜名」はかつて「マツコの知らない世界」や「モヤモヤさまぁ~ず2」、「町中華で飲ろうぜ」にも紹介された。

深夜2時くらいまでは営業しており、休みは主人の気分次第らしい。(笑)

よろしければ「サン浜名」お立ち寄りください。

 

 

 

 

 

 

昨日、うちに詐欺電話がかかってきた。

自分が仕事で外出中に家の電話が鳴り、家族が取ったとの事。

自分のフルネームを言い、東京医科大学病院を名乗ったそうだ。

自分も齢なので医者へ行く事もたまにある。

家族もひょっとして病院へ行ったのかな?と思ったらしく、話を聞くと、家族の属性を尋ねられ、そして何度も親御さんを電話口に出して欲しいと言ったらしい。

そこまで来ると、さすがに家族も怪しく感じ、「本人と連絡して電話させるので、電話番号、所属部署、氏名を教えてくれ」と言うや、電話を切ったそうだ。

 

思えば4年前に、老母が一度詐欺電話に対応して、自分の名を知らしてしまった。

4年を経て電話してくるとは用意周到。

 

改めて家族には、自分の名を言ってきたら、警察を名乗ろうが、病院を名乗ろうが、役所を名乗ろうが、企業名を名乗ろうが、「そんな人はいない」or「死んだ」と言うように言い聞かせた。

もう20年くらいは、連絡先は携帯番号しか書かないし、本当に用があるなら何度も続けて電話も来るだろうし。

皆様もどうぞお気をつけ下さいませ。

 

 

 

 

 

まだ、あのハリウッド映画がトーキー(無声映画)の頃、3人のコメディ俳優が人気を博した。

1人は言わずもがな喜劇王のチャールズ・チャップリン、そしてロイド眼鏡の呼称の元となったハロルド・ロイド、あと一人が決して笑わない(感情を顔に出さない)ストーン・フェイスのバスター・キートン

チャップリン、ロイド、キートン、とみな身体を張って笑いを作るタイプ。

(と同時に監督、脚本、制作も全員がこなすマルチな才能)

それが、もうスタントマン、アスリート、と言えるレベル。

とにかく身体能力が高すぎる!

短くまとめたキートンの名演の映像があるので観て欲しい。

どうですか?!

今では、CGで幾らでも出来るが、1920年代~30年代の事ですから、本人がやりきるしかない。(着色されているが、元はモノクロ・フィルムです)

 

バスター・キートン、1895年10月4日アメリカ生まれ。

なので、本日が生誕130周年の記念日。

舞台芸人の両親の第一子として生まれ、4歳から両親と一緒に舞台に出る生活を送る。

しかも、父親がキートンをぶんぶん振り回したり、思い切り投げ飛ばしたり、かなり乱暴に扱う芸で、しかし痛い怖い泣くと言った表情を一切表さないでいるという芸風をしこまれ、それが前述の無表情なキャラクターとして最後まで続くのだった。

1917年、初めて映画に出演してから、そのキャラクターが受け、一躍トップスターとなる。

成功と富を手にするも、大金が入ると家族や妻の一族までもが、キートンの金で贅を尽くすことになり、キートンは次第に心の拠り所を失い、飲めなかった酒に手を出しアル中となってしまう。

その後、介抱してくれた看護師と結婚するも財産が無くなるや彼の元を去る。

おりしも映画は脱トーキーの時代に入り、キートンは居場所を失う。

しかしながら、彼の映画のファンだった若いダンサーが彼と結婚し、支えてくれるようになる。

1950年代になると、また映画へのオファーや、キートンのかつての映画の再評価も上がり、同時代の喜劇王であるチャップリンと「ライムライト」(1952年)で初共演。

映画自体、老いて時代とかみ合わなくなってきた芸人の映画でもあり、面白いながらも切ない作品。

その2人の共演シーンがこちら!

 

バスター・キートン生誕130周年の機に、YouTubeでも多くの作品やダイジェストもあるので、よかったら探して観て下さい。

 

 

 

 

過日、高円寺で仕事をした際に、仕事仲間と「けむり」に行った。

1年ぶりの再訪です。

実は、仕事終わりを見越し予約したものの、仕事が長引き予約時間をずらしていただいた上に急遽1名増えてしまったのだが、ウェルカムなご対応をいただきありがたかった。

 

まずは乾杯!

こちらは「ハートランド」を置いてるのが嬉しい。

お通しがなんと「コーンポタージュ」。

お通しとは思えない美味さでした。

まずは定番の「煮大根の唐揚げ」。

「いぶりがっこのマスカルポーネ」と「天草大王の抱きねぎま串」。

こちらのお店は焼き鳥が美味い。

ちなみに天草大王とは熊本県の地鶏。

他にも2種頼みました。

でも、何を頼んだんだっけ?…もう忘れてる。(苦笑)

あとは、「栃尾揚げ」。

そして「出汁巻玉子」。

「八方出汁で炊いた里芋のポテトサラダ」

「季節の野菜天ぷら」

「焼き銀杏」

最後は〆で「そぼろ丼」と「鶏ガララーメン」。

丼と麺を全員でシェアしていただき、もう満足。

何食ってもここは美味い!

 

そして店員さんがユーモアがあって楽しい。

1年前に伺った際に「4年ぶりに伺いました」と言ったら、すかさず「じゃ、また4年後に!」と返してきたが、今回は「1年ぶりに伺った」と言うや、今回は「じゃ、また明日お待ちしてます!」と来たもんだ。(笑)

若くて、元気で、楽しい店員さんも魅力なお店です。

 

 

 

 

昨日は、お初のホールとなる武蔵野市民文化会館へ。

何かと言えばこれですよ!

そう、昭和を代表する青春群像ドラマの金字塔「俺たちの旅」の放送50周年を記念して出演者によるアニバーサリー・コンサートです。

わたくし5桁以上の価格のコンサートには行かないのですが、今回は特別!で行きました。

(ちなみに¥10,500でした)

ツアーの東京公演2回目が、ドラマの舞台となった吉祥寺のある武蔵野市での本公演。

チケットは予約と発売日で即完!!

出演者は中村雅俊を筆頭に田中健、秋野太作、岡田奈々の4名。

皆さん老齢にはなったがお元気!

秋野氏に至っては御年82歳!!

開演までまだ時間があるのでグッズ売り場に行くと、なんと「いろは食堂」の割りばしが売られていた!

割りばし1本ステッカー3枚のセットだった。

ちょっと悩んだが購買せず、記念パンフレットだけを購入。

 

ついに開演。

暗転するとスクリーンにあの「俺たちの旅」のオープニング曲の映像が流れ、それに合わせて4人が登場し、主題歌「俺たちの旅」を歌唱。

歌い終えると、当時のドラマの中から抜粋したシーンを見ながら、皆でトークを加え、ゆかりのある歌をそれぞれが歌う内容だと中村氏が語る。

ただ、「映像だけで音声が流れないものもあります。これはバックで流れてる曲に印税を払わないといけないのですが、会社がそれを払いたくないとの事で…」と苦笑交じりに説明も。(笑)

そしてここで田中氏&中村氏がギターを抱えて2曲披露。

1曲は、当時2人で毎日のように飲みに行っては歌っていたという「ウィスキーの小瓶」。

実はこの曲、中村氏の幻のデビュー曲になる予定だった曲。

もう1曲は、中村氏のアルバムの中の1曲で「田舎歌」。

田中氏が、この曲が好きなので歌いたいとのリクエスト。

「この曲すごくて、コードがたった3つで出来てる!」と、褒めてるような、ディスってるような。(笑)

 

ここからソロパートに移るが、まずは田中氏=オメダのパート。

ドラマでは母子家庭で育ったオメダが、実の父の存在を知り、その父が経営している会社の採用試験を受けるエピソードを観ながらトーク。

意外や、父親役を演じた岡田英次氏の演技の素晴らしさに話の花が咲く。(苦笑)

そして、歌ったのは劇中歌としてリリースもした「生きる」とそのカップリング「木もれ陽」。

いやぁ、この2曲を特に「木もれ陽」が生で聴けたのは涙モノ!

 

続いては、秋野氏=グズ六のパート。

ドラマは、みんなで「何とかする会社」を立ち上げ、そこに参加したグズ六と中尾彬演じる超有名企業のエリートコースを歩む兄との確執を描いた回を観ながらトーク。

秋野氏いわく、ドラマを制作するにあたり、監督、脚本家、キャストらの実際のエピソードを集め、それらをベースに物語を書いたので、事実がベースになっている回も多々あり、この回もスタッフの1人の兄弟の関係を元に作ったらしい。

秋野氏はドラマでは劇中歌を歌っていないが、「当時流行っていた曲を」と披露したのが「青春時代」。

秋野さん、一人で歌うと声は出るは、ロングトーンは使うはでなかなかの歌唱ぶり!

 

そして、岡田奈々さん=真弓のコーナーへ。

上映されたのは、もちろん中村雅俊演じるカースケに恋心を抱きデートした回のもの。

この回は、ちょうど新曲「青春の坂道」を発売するのに合わせて、番組が作ったエピソードだったと説明。

しかもドラマの内容に合わせ、本来「君」とある歌詞なのだが、そこを「あなた」と歌い直したものを放送で使用したとも。

そして、当時高校生だったので学校から撮影所に行っても、「俺たちの旅」のスタジオが判らずに迷っていた時、ちょうど通りかかった人に「おじさん、俺たちの旅のスタジオってどこですか?」と尋ねたら、その方このドラマのメイン監督の中村光正氏だったという話も。

そして歌は当然「青春の坂道」だが、中村雅俊が昔のアイドル親衛隊がやるように「奈々ちゃんコール」を要求。(笑)

それにしても岡田さん、遠目に見てもお顔が小さい!!

 

最後は中村雅俊=カースケの番。

主役なので、多くの名セリフを上映し、本来はデビュー作「われら青春!」の挿入歌だったが、本作でも第7話のタイトル「人はみな ひとりでは生きてゆけないのです」として引用もされた「ふれあい」と、ドラマで帰省した回に挿入された「私の町」を披露。

「私の町」は学生時代上京してホームシックにかかり、故郷の宮城県女川町の風景を歌にしたのだが、あの東日本大震災で町は全滅し、今では古き良き女川の風景を残す貴重な曲となった。

 

後半では、スペシャルゲストの大ベテランのシンガーソングライター小椋佳氏をステージ上に招いた。

本作の主題歌「俺たちの旅」、エンディングテーマ「ただお前がいい」の作者である。

ここで、小椋氏の代表曲であり「俺たちの旅 二十年目の選択」でも使用された「さらば青春」を披露。

秋野氏が「この人は本当に不思議な人だよ。」と言い、「(歌詞にて)ウォーターメロンなんていうけど、スイカだよ。そのスイカの花の中でうたたねしちゃうんだから!」と言うと、小椋佳がクリエイティブな作業は何か違ったものをやる必要もあるといった話をするや、中村氏が「ほら、グズ六!クリエイティブってそういう事なんだよ!!」と怒鳴ると、「ははーっ、すみませんでした!」とキレイな土下座をして謝る。(笑)

でも、ツアーの移動時に毎朝コーラのペットボトルを持って移動する際の小椋氏の様子をマネしてみせる、懲りない秋野氏…。

そして、エンディングはドラマ同様に小椋氏も交えて全員で「ただお前がいい」を歌唱。

 

アンコールは、スクリーンにカースケ、オメダ、グズ六、ワカメ(森川正太)が、カースケのギターに合わせ歌う「あゝ青春」のシーンが流れ、中村、田中、秋野3名でこの「あゝ青春」を歌唱。

この曲は、中村氏が松田優作とW主演で「俺たち~」シリーズの第1作となった「俺たちの勲章」のテーマソング(放送ではインストゥルメンタル)の歌詞付きバージョン。

作者の吉田拓郎や、トランザム、中村雅俊もアルバムで取り上げたナンバー。

 

そして、来年早々「俺たちの旅」の最新版が映画となる。

ここで岡田奈々をステージに呼び、その映画「五十年目の俺たちの旅」の出来立て予告編を上映。

でも、超短くてあっと言う間に終わり、場内は苦笑。

本作を監督した中村氏が「これは俺が作ったんじゃなく、映画会社が作ったやつだから!」と取り繕う。

もう一度、小椋佳を呼び、最後に再びドラマの主題歌「俺たちの旅」を歌った。

最後の最後は、1人づつ挨拶し終了!と思いきや、中村氏が「あ、ごめん!忘れてた!!」と演奏したミュージシャンたちを紹介し忘れていて、最後の最後はこれらミュージシャンの紹介で終わった。(笑)

そして、誰もいなくなったステージのスクリーンに映ったのは…。

「五十年目の俺たちの旅 それじゃまたな」という文字。

くー、沁みる!!

 

なお、本公演は9月30日に仙台での千秋楽を迎えて終了だが、好評につき追加公演が決定!

2026年1月13日(火)大阪 フェスティバルホール

2026年1月22日(木)東京 東京国際フォーラム ホールA

チケットは10月4日(土)12:00より一般発売。

詳細は下記にてご確認下さい。

 

そして、来月からBS日テレにて「俺たちの旅」再放送スタート。

 

映画「五十年目の俺たちの旅」は2026年1月9日よりロードショー。

 

プロモーションの場面でも、そしてこの日のステージ上でも皆が多発していう言葉があった。

それが「奇跡」。

50年前、昭和時代に放送されたドラマが令和の今に至るまでいつも再放送され、最新作が映画にもなる。

確かに奇跡的な事です。

 

【追記】

オメダこと中谷隆夫役を演じられた田中健さんから、このスレッドに「いいね」をいただいてしまった…!

光栄でございます!!

田中健さんのブログがこちら!