昭和の日~記憶にある街並み | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

本日は「昭和の日」。

古い人間は「昭和天皇誕生日」としての記憶が宿っているだろう。

その「昭和」と一言で言っても様々な顔が有る。

戦前の穏やかな時代、戦時中、戦後の焼け野原、復興~高度成長期、公害問題、バブル経済、等々…自分の知らない昭和も、その真っ只中を生きた昭和も。

今回は、昭和の東京で2大プレイスポットとなった街の過去の風景を。

 

SNSなどで、こういった古い写真をアップされる方々もいて、つい手が止まり見惚れてしまう。

まずは1935年のあの街。

そのマンモス駅のかつては…。

「新宿駅」…戦後の焼け野原の頃じゃない?とも思える。

下掲画像の場所はわかるでしょうか?

ヒントは画像上部右寄りにある「伊」の字。

現在はこうです。

新宿三丁目から新宿駅に向かう新宿通り。

新宿は自分が9歳から21歳くらいまで過ごした場所。

まさに上掲画像に程近いところに住み、この画像の通りは生活の通り道でした。

このまま新宿駅前まで行くと、昔はこんなでした。

赤文字で二幸とあるのが、先日閉鎖になった新宿アルタビルの前身です。

これが1959年頃のようです。

下掲画像はアルタ横のJRガードを潜り、新宿西口からJRガードを臨んだものです。

1967年だそうです。

そのガード下を抜ける小道があるのをご存知ですか?

1984年当時です。

右の壁の向こうは、現在ユニクロが入っているビルです。

新宿の東口、西口と来たら南口も。

今の「フラッグス」のある場所の1970年代はこうでした。

そして自分が見慣れた新宿はこんなイメージ。

1980年代の歌舞伎町前ですね。

 

続いてこの街はわかるでしょうか?

赤文字で「西村」とあるビルがヒント。

ここは1963年の渋谷駅西口です。

そうスクランブル交差点の先です!

そのスクランブル交差点の1963年の模様。

20年後の1983年も。

1980年代と思われる渋谷駅西口バスターミナル。

東口の方も。

1970年代と思われます。

「リッカーミシン」の看板のあるビルが現在の「ヒカリエ」です。

ちなみに屋上にある半球型の部分はプラネタリウムでした。

渋谷駅西口から青山通りを歩いた先にあるのがオシャレスポットの表参道。

木の絵がある黄色い壁の建物は昔からある「山陽道書店」。

第1回「ブラタモリ」でも取り上げてましたね。

さらに西へ進むと「外苑前」交差点があり、わたくしの唯一のプレイスポットの明治神宮野球場があります。

昭和で数えれば、今年2025年は「昭和100年」となります。

昭和が良かった、悪かったなど一概には決められません。

良かった時代を偲び、悪かった前例軌道修正して、次の世代にバトンを渡したいものです。