先日、元ヤクルトスワローズの安田投手の訃報があったばかりだが、今度は会田照夫投手も後を追うように鬼籍に入られました…。
会田投手は、埼玉県上尾高から東洋大~三協精機を経て、ドラフト8位で1971年にヤクルトに入団し、最初はエースナンバーの「18」を背番号とした。
プロ生活は10年間で、通算273試合登板し29勝45敗3セーブの成績を残しました。
個人的な思い出としては、自分が中学生の時、当時は新宿に住んでいたのですが、学校から友人と帰宅している道中で、愛犬と思われるチャウチャウを散歩している会田投手と遭遇。
正直、自分は会田投手をよくは知らなかったのですが、友人が「あ!あの犬を散歩させてる人、ヤクルトの会田だよ!」と言ってきて、ご本人には大変失礼なのですが、ノリだけで鞄の中から英語のノートとシャーペンを出して「サインしてもらえますか?」と言ったら、一瞬怪訝な表情をしたような気がして、路地の方へ移動されたので、あ、サインくれないのか…と思ったら「いいよ、こっちでね、おいで。」と手招きしてくれました。
きっとご本人は、人目につくのが恥ずかしかったのか往来の邪魔になる事を避ける配慮してくれたのか、と今になって思う次第です。
そして、上掲画像でもわかるようにアンダースローの投手。
アンダースローのプロ投手と言えば、当時は阪急ブレーブスの山田久志投手が代表格でしたが、この一件から自分の中では、アンダースロー投手と言えば山田投手と並んで会田投手がいました。
息子さんも読売ジャイアンツで2年間ですが活躍し、親子でプロ野球投手として1軍で勝利を挙げた史上初の快挙も達成しました。
2月22日、虚血性心不全のため、埼玉県春日部市内の病院でご逝去されました。
享年73歳。
改めて、サインのお礼と、心からのお悔やみを申し上げます。