燕雄 安田猛元投手逝去 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

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不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

元ヤクルト投手の安田猛氏が、昨日2月20日に死去。

享年73歳。  

安田氏は早大~大昭和製紙を経て、1971年ドラフト6位でヤクルトに入団。

小柄な体ながらも、“パラシュートボール”と名付けたスローボールなど絶妙な投球術を駆使し、左サイドからの投球スタイルは“ペンギン投法”と呼ばれた。

ルーキーイヤーの1972年は最優秀防御率のタイトルを獲得し新人王に輝く。

翌年には81イニング連続無四死球のプロ野球記録を樹立!

1981年に現役を引退した後は、ヤクルトでコーチ、スカウト、スコアラー、編成部長などを歴任。

退団後、母校の福岡・小倉高などでコーチを務めたが、胃がん発覚で一時はコーチを退任するも、療養しつつ不定期ながらも母校の指導に精を出していた。

 

スワローズを応援している自分ではありますが、安田投手が現役で活躍していた時代はまだ巨人ファンでした。(苦笑)

なので、他球団の名の有る投手の1人という感じで、スワローズのエースは松岡弘投手ってイメージだったかな?

もちろん安田投手の事は知ってはいましたが、正直、漫画『がんばれ!!タブチくん!!』に出てくるすぐに覚えたての魔球(変化球)を投げたがって仕方のない面倒くさいキャラでコミカルに描かれており、そのイメージが強いのです。(笑)

まあ、ずんぐりむっくりの図体で、なんか煙に巻くような投球で直球勝負しない印象もあったので、こんなキャラになったのでしょうか…?

だが、実際の安田投手は、確かにストレートは速くないが、絶妙な変化球、そして卓越したコントロールを武器に“真っ向勝負”型のピッチャーでした。

そして、当時の日本球界でまさに「1番」な選手は王貞治(当時 巨人)氏だったが、その王曰く「どの投手も勝負を恐れ逃げの投球が多かったが、安田投手だけは勝負に来た」と言っていたのです!

そんな、動画を見つけたので貼っておきます。

 

自分が、実際安田投手を直に拝見出来たのは、2年前の球団OBが集った「SWALLOWS DREAM GAME」の時でした。

この試合の前にテレビ「爆報!THEフライデー」で闘病生活の模様を観ていたので、感極まる感じでマウンドを見つめていたのを思い出します…。

 

ヤクルトに数いる小さな巨人のお一人でもある安田猛さん、安らかにお眠り下さい。

心よりご冥福をお祈りいたします。