この、糞アメブロは時々勝手にユーザー無視の行動を起こすことがある!
前回、自分が大好きなミュージシャンの“エディ・コクラン”60周忌として記した際、何度か取り上げて来たのでエディに関する過去スレッドを見直したら、当初書いたエディ・コクラン自身の説明スレッドが消去されていた…?!?!
何で消されるんだ?????
ホント、このゲロ・アメブロは時々ユーザーを立腹させるぜ!!
な、もんで、今回また新たにエディ・コクランについて記させて下さい。
手っ取り早く解るにはウキペディアをご参照いただくの良いですが、一応、説明を。
1938年10月3日、米国ミネソタ州アルバート・リアにて生誕。
後にカリフォルニアに引っ越し、音楽活動開始。
16歳の高校時代からプロとして活動し、ハンク・コクラン(同姓だが無縁)と“コクラン・ブラザース”を結成し、1955年レコード・デビュー。
コクラン・ブラザース解散後、ソロとしてデビューする。
時代的には、いわゆる「ロカビリー」と言われる全く新しい刺激的な音楽シーン黎明期のこと。
1954年サンレコードから彗星のごとくデビューし、瞬く間にロックの王様と飛躍した、あのエルヴィス・プレスリーと同じ時代。
エルヴィスは歌だけでなく映画にも進出しスーパースターとなりアイコンとなる。
対して、エディ・コクランは、より音楽面に深化・進化していくミュージシャン。
歌う、作るだけでなく、ギタリストとしても秀でた才能を持ち、他のミュージシャンのバッキングのレコーディング、セッション・ワークも並行して行うわ、彼のプロデューサーのジェリー・ケイプハートと共同でプロデュースまでも行う、など、やっとR&Rと言うものが生まれた時代にもう、それを現代の音楽制作作業の方法を行なっていたのだ!
パワーコード奏法(ギターの6弦と5弦をダウン弾きするロック・ミュージックの代表的な演奏法)もエディ・コクランが最初。
作品もその時代のみならず現在も、R&Rアンセムとして、クラシック・ロックとして名高い“サマータイム・ブルース”や前スレッドで紹介した“カモン・エブリバディ”、他にも“バルコニーに座って”、“トゥエンティ・フライト・ロック”など名曲を数々発表した。
この事がロック界の歴史に大きな役割を果たした。
何度か書いたが、ビートルズの結成はエディ・コクランがきっかけだった!
ジョンとポールが同じ学校で、お互い音楽好きなのが解り、ポールがジョンの前で弾いてみせたのがエディの“トゥエンティ・フライト・ロック”だった。
ジョンは、その曲を完コピ出来るポールとバンドを組もうと誘う。
ちなみに同じ時期、ジョージはエディ・コクランの追っかけをしていた。
時代が流れ、ハードロック、サイケ、パンク、の時代もエディ・コクランの曲はカバーされ続けた。
ロックだけでなく、ポップス界でもカントリー界でも。
実際、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、ザ・フー、ブルー・チアー、Tレックス、セックス・ピストルズ、オリビア・ニュートン・ジョン、ジェームス・テイラー、ロッド・スチュワート、ブライアン・アダムス、ストレイ・キャッツ、アラン・ジャクソン、etc…、どの時代のどのジャンルでもカバーされて来ました。
(ちなみに日本でも、RCサクセション、子供ばんど、布袋寅泰、等、がカバー。)
1960年、本国アメリカ以上にイギリスでの人気が高くなり、ツアーへ向かう。
人気が出すぎて、当初の期間よりも長いツアーとなったが、まだ公演を望むオファーが続く。
婚約したフィアンセのシャロン・シーリーも同行していたが、一度帰国し結婚してけじめをつけると言う事で帰国する方向に。
イギリスでの最終公演を終え、帰途の機に乗るため空港へ向かうタクシーが事故を起こす。
この事故でエディ・コクランは死亡。
同乗のシャロン・シーリーと、同じR&Rミュージシャンのジーン・ヴィンセントは怪我したものの大事には至らなかった。
まさかの亡骸での帰国となったエディ・コクラン…。
しかしながら、彼がいたから、その後もR&RがROCKが受け継がれたのは間違いないでしょう。