本日1月24日は「学校給食記念日」だそうで。
第2次大戦終戦後に児童たちに栄養をつけるために、GHQ、日本政府、ララ委員会により、現在の千代田区立麹町小学校にて1941年12月24日に始まった。
当初は「学校給食感謝の日」として毎年12月24日を制定したが、その後、多くの学校が12月24日が冬休みに入ることもあり、1951年から1ヶ月後の1月24日から1週間を「全国学校給食週間」とし、その最初の日である1月24日が「学校給食記念日」となった。
“給食”と一言で言っても、年代、地域、小学校、中学校、それぞれでかなり差が出る。
私は“脱脂粉乳”が出たことはないが、2年上の世代は出たと聞いた。
でも、少し下の年代では“ミルメーク”と言う牛乳に入れるフレイバー・パウダーが出ていたと言うが、私らの年代では無かったなぁ。
牛乳が数ヶ月に1度だけコーヒー牛乳になる時があり、そん時ゃみなテンション高かったっけ。(笑)
給食で人気があったり馴染みなのは、焼きそば、スパゲッティ、ソフト麺などの麺類にカレー汁、揚げパン、ゼリー、あたりだったか。
自分らの世代(地域?)では米食は出なかった。
唯一出たのは小学校の卒業前最後の給食でやっと“いか飯”という形で卒業生だけへの特別メニューとして米食が出たのを覚えている。
なので、給食は米ではなく“食パン”。
それも、ボロボロと落ちるような安いもの。
そして、それに着いてくるやっかいなのがアルミ紙に包まれたマーガリン!
こんな奴。
温めてもいないボソボソした食パンにこれを塗って食うのだが、あまり美味くなくてね。
でも、これも数ヶ月に1度チョコ味のマーガリンが出ると、やっぱテンション上がった。(笑)
結局、マーガリンなど塗らずに、おかずや牛乳と一緒に胃の中へ流し込んだ方が早いし美味いので、このマーガリンを持って帰るべくカバンの中に入れると悲劇がよく起きた。
中で潰れて、教科書やノート、筆箱がベタベタの油まみれになり、カバンの中は臭くなるという悲劇。
現在では、学校内に給食室や給食のおばさんもいないところが殆どなのだろうか?
平気で不味いなどと子供なので言っていたが、今思うと大変ありがたいことだと痛感する。
給食の意味・意義も考え直される今日ではあるが、やはり集団で同じものを食べるのも教育の1つではないのか?と思うのだが…。
この齢になって、給食に感謝の念をいだいております。