いよいよゴールデン・ウィークも終了し、またみんな慌しい日々に戻る時が来ました。
今回のGWは、何か予期せぬ訃報が続いた印象です。
GW中の5月2日にギタリストで作曲家でもある井上堯之氏が敗血症で他界した。
享年77歳。
井上氏と言えば、実力NO.1のグループサウンズ「ザ・スパイダース」のギタリストとしてかまやつひろしとツイン・ギターでの活躍を皮切りに、1970年代は大人気ドラマのテーマ曲の演奏・作曲、そして沢田研二の全盛期のバックバンドを務め、1980年代は萩原健一のバックバンドのバンマスも務めた辺りが自分の中では大きい。
それと、かつてFM東京で確か「Lo-D ライブコンサート」という公開録音やライブ収録放送などの“ライブ演奏”をオンエアする番組のパーソナリティを務めていた。
昔のことだが実はその番組で井上氏と接触したことがあった。
その際、些細なことではあるが井上氏に粗相をしたことがあったのだが(厳密に言うと私がしたのではないのだが、私が井上さんの前にいたことで一応私が謝ったという感じなのだが)、井上氏はにこやかに「はい、大丈夫です」ととても物腰が柔らかく返ってこちらがより恐縮してしまうことがあった。
最近、またマイブームで“ショーケン、再び”的な盛り上がりもあって、来月行なわれる氏のライブへ行こうと思ったら、既にソールドアウトで「次回は絶対行こう!」と思っていた矢先の出来事だけに残念でなりません。
以前、BS12でやっていたギタリストが語り授業をする番組で井上氏とムッシュかまやつとのスパイダース時代のギタリスト2人の面白エピソードを語っていた部分があったが、その部分YouTubeで発見したので貼っておきます。
そして、ドラマ「傷だらけの天使」の最終回で挿入された歌「一人~I STAND ALONE」も。
ドラマではデイブ平尾(ex ゴールデン・カップス)の歌声でしたが、今回は作曲者である井上氏のヴァージョンで。
GW直前の4月26日、ソウル・ミュージックの重鎮で「ネヴィル・ブラザーズ」のメンバーでサックス担当のチャールズ・ネヴィル氏が膵臓癌で他界、享年79歳だった。
ネヴィル・ブラザーズは、アート、チャールズ、アーロン、シリルの4人兄弟からなるバンド。
個人的には1970年代初頭くらいから活動してきたようなイメージがあったが、実は1977年に結成したんですね。
彼らのライブも一度くらいみたいなと思いつつ、10年くらい前に「フジロック・フェスティバル」に来た後は活動停止してしまい残念です。
頭角を現したアルバム『ファイヨー・オン・ザ・バイユー』の1stシングルでレゲエ界のビッグネーム“ジミー・クリフ”のカバー「シッティン・イン・リンボー」を貼っておきます。
もう1つ、彼らのスマッシュ・ヒット「イエロー・ムーン」も。
そして、4月23日の夜に球界の鉄人が去ろうとは…。
自分らの世代だと、「日本野球界で背番号3番と言えば?」と問われればほぼ「長嶋茂雄!」と答えるだろう。
では、他には?と問われたら、私は「鉄人、衣笠!」しか浮かばない。
その「“鉄人”衣笠祥雄」氏が、71歳で結腸癌で他界するなんて思ってもみなかった。
彼の冠となる“鉄人”実は、カープ入団時の背番号は「28」で、漫画『鉄人28号』から着いたニックネームだったそうな。
そんなやっつけなあだ名を実際に彼の代名詞にしてしまう、その努力とタフさ、そして力に知力、加えて優しさ、ここまであって“真の「鉄人」”と言われるようになったんだと思います。
今だ破られない日本記録の「2215試合連続出場」は満身創痍でも試合に出続けた、まさに「鉄人」の記録。
そして、デッドボールを受けても、「大丈夫だよ」と対戦ピッチャーを気遣うジェスチャーで淡々と1塁へ進む優しさ(ある意味では野球の試合の雰囲気を変に変えたくないという野球愛でもあったんだと思っている。)も含め本当に「鉄人」なんだなぁ、と。
それが故にこの急逝が無念でなりません…。
偉大なお三方に心よりお悔やみ申し上げます。
ありがとうございました!