地味ながらも、BS放送は良いコンテンツがありますねー。
年寄りはBS見ましょう!
何故、こんな事を書いてるかと言えば先ほど“BS11”で「あのスターにもう一度逢いたい」という番組で取り上げたのが“ザ・テンプターズ”!
そうです、グループサウンズという日本における第1次バンドブームの中で、5本の指に入るバンドの1つ。
1960年代後半の当時、人気があったのは、
“ザ・タイガース”…沢田研二、岸部一徳らが在籍。
“ザ・スパイダース”…堺正章、井上順、ムッシュかまやつらが在籍。
“ブルーコメッツ”…井上忠夫、三原綱木らが在籍。
“ザ・ワイルドワンズ”…加瀬邦彦、植田芳暁らが在籍。
この辺りでしょうか。
他にも、ゴールデンカップス、モップス、ヴィレッジ・シンガーズ、オックス、etc…、ありましたが。
で、“ザ・テンプターズ”は名優(怪優?)萩原健一(ショーケン)がヴォーカルで在籍したバンド。
メンバーは、松崎由治(リーダー、G)、萩原健一(Vo)、大口広司(Ds)、高久昇(B)、田中俊夫(G、Key)の5名。
過去の仕事を振り返る事が大嫌いだった人ですが、ここ数年ショーケンも丸くなってきて、これまでにもドラマ「太陽にほえろ!」、「傷だらけの天使」(現在TVKで平日22時~放送中!)、映画「影武者」を振り返ってバラエティ番組で語ることもあったが、あくまで俳優の部分だけだった。
それが今回テンプターズについて語るなんて、嬉しくなってしまう!
面白かったのは、ザ・テンプターズのデビュー秘話。
実は、これはザ・スパイダースが放った対ザ・タイガース戦略。
当時、スパイダースが確実にGS(=グループサウンズ)界の一番手になった頃、猛追撃してきたのがタイガースだった。
音楽性とメンバーの個性で受けていたスパイダースに対し、アイドル性の高いルックスのタイガースは女性人気が高かった。
そんな背景の下、スパイダースが自分たちの事務所を作り(ちなみにスパイダースのリーダーは田辺昭知で現「田辺エージェンシー」社長)、ルックスの良いショーケンがVoのテンプターズと契約し、彼らをデビューさせる事でタイガース人気に楔を打つことにしたと言う。(笑)
なので萩原健一はデビューする前に事務所(おそらく田辺昭知だろう)から「お前のライバルはジュリーだからな!」と釘を刺されたと語っていた。
そんな事で、一度タイガースのライブを観に行った際、出場バンド名は“内田裕也とザ・タイガース”なっていたが、裏話で「内田裕也さんがタイガースと(活動を)切られるという事を知っていての現場だったので…」と苦笑いの思い出。
(ちなみに、タイガースの沢田研二、岸辺一徳、テンプターズの萩原健一、大口広司、スパイダースの井上堯之、大野克夫で“PYG”というバンドを後に組む事になる。)
そんなザ・テンプターズ、見事に女性人気を獲得し、タイガースとテンプターズ、沢田研二と萩原健一は女性人気部門で善きライバルとなった。
その当時は恐ろしいことに雑誌『明星』や『平凡』にスターの自宅の住所が堂々と記載されていたような時代でテンプターズの住んでいた埼玉県大宮に女の子が集結し、朝から大宮駅にテンプターズを一目見ようとずっと張っていて当時の国鉄(現JR東日本)からクレームが入るほどだったと言う。
番組の最後は自分でも丸くなったというような事を言っており、周囲の意見や提案を受け入れて今後もザ・テンプターズの作品をライヴで歌っていくと言う。
「これも自分も足跡ですから」と微笑んでいた。
ただ出来れば、もう1人でいいから(残念ながら大口、田中両氏は鬼籍に入られた…)コメントでいいから他のテンプターズのメンバーの話を盛り込んでいただきたかったなぁ、と我儘に思うのでした。
でもBSに、この番組に感謝です。
やはり年寄りはBSをチェックしましょう!(笑)