本日また懲りもせず、あいつが核実験=水爆実験をしたそうで…。
唯一の被爆国に住むものとしてはやはり核を無くす方向へ世界が歩んで欲しいと願うばかりなり。
しっかし、米国大統領の言葉じゃないが「こいつは他にやることが無いのか?!」とツッコミたくなる。
まあ、今の米国のトップも北朝鮮のトップも、共に頭がおかしい(髪型も含め)ので、どっちもどっちなのだが。。。
本日、皮肉にも映画「博士の異常な愛情」を観た。
正式タイトルは「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」と言う長い題名。
1963年制作のスタンリー・キューブリック監督の代表作の1つ。
「ピンクパンサー」シリーズでお馴染みの名優ピーター・セラーズが1人3役をこなすコメディ映画。
何年ぶりに観たのか…?
最初に観た時は、好きなピーター・セラーズの3役の演技の面白さ、核戦争に突入する緊迫した時間に細かいギャグを入れ込み、戦争を起こしたい者をおちょくる手法が印象に残った。
今回観てもそれは同じなのだが、いざ戦争に突入すると人は狂うのだというのを感じ取った。
意訳すれば“核”はとんでもない発想の映画さえも作ってしまうのだとも…。
日本で水爆を扱った映画と言えば名作「ゴジラ」がある。
あれはギャグではなく怪獣映画として“核”を扱った。
「ゴジラ」は核が怪獣と言う副産物を生むという、突拍子もない発想に仕立てた。
核は自然災害ではない。
誰か意思を持った人物がそれを使用する。
もちろんそれは戦争。
そんな奴や、核は、やはり絵空事のように描けてしまう。
しかしながら実際にこの国ではそれが起きた。
この認識及び理解をしているのとしていないのでは大きな差がある。
だから、今回も笑いながら観ていたものの、ラストシーンの「We'll meet again」の綺麗な旋律に乗って映し出せれるいくつもの核爆発の映像が脳裏に残った。
当たり前だが、やっぱり戦争反対。
エゴを通す生き方なんてみんな止めようぜと言いたい。(特に大国どもに)