「あゝ新宿 アングラ×ストリート×ジャズ展」~新宿駅西口地下広場 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

本日、新宿の「高野」に寄ってみた。

別にフルーツやスイーツを食べるためではない。

とある企画展に訪れたのだった。

それは―、

「あゝ新宿 アングラ×ストリート×ジャズ展」という企画展示を見るため。

1960年代~1970年代の混沌とした若者文化の中心だった新宿。

その時代のアングラ文化の側面から切り取った当時の新宿、当時の文化が展示されていた。

会場は「高野」本店ビルの6階特設会場。

 

残念ながら場内は撮影禁止。

1970年前後から新宿に住んだと思うのだが、当時じゃりん子ながらに肌や視覚に直接訴えた独特のあの頃の新宿のひとコマの数々がパネル画像で紹介されていた。

ヒッピー、ゲバルト、アングラ、等々、そんな言葉や思想にのめり込んだ若者がそっこらじゅうにいましたからね。

特に、アングラ系の芝居や演説会などのポスターやチラシはほんとよく見かけました。

当時はまだガキもガキだったので、「大人のくせに変なのが多いってどういうことさ?」くらいに思っており(笑)、そっち系の色がするものは毛嫌いしていた。

年齢を経て、もの見方を色々覚えると、「なるほど、そういう意味でしたか」とか「そういう切り取り方なのね」などなど、認識のしかたも変わってきた。

 

今改めてこういった企画で当時の表現や若者を見ると、表現されたものこそ屈折しているがその気持ちは真っ直ぐであり純であると思う。

まだまだ時代自体が幼かったとも思える。

数あるアングラ演劇の中から、「天井桟敷」の“書を捨て町へ出よう”の当時のポスターやチラシには、丸山明宏(現、三輪明宏)、浅川マキ、鈴木いずみ、そして平泉征のキャスト紹介が。

他に「劇団現代人劇場」の“想い出の日本一萬年”のパンフには、演出に蜷川幸雄、出演者に石橋蓮司、蟹江敬三、らの名が。

また寄稿文には緑魔子が寄せており、「あたしは夢のようなきれいなものが好きでした。10Wの電球は、暗闇より絶望的~」と始まるこのわずかの文で、なんかあの当時の時代、生活、現実、希望と絶望みたいなものをヒシと感じてしまう。

そういう時代だったねぇ。(苦笑)

「俳優小劇場」というところの演劇“カーヴ”では、出演者が三名で早川保、露口茂、小林昭二ですって!

小林昭二は「ウルトラマン」のムラマツ・キャップ&「仮面ライダー」のおやっさん役の方だし、露口茂は「太陽にほえろ!」の山さん、早川保は「俺たちの勲章」で鑑識役で出演してた方。

いやいやこういった芝居もあってのテレビ出演なんですね。

 

またジャズに関しては、山下洋輔のみに特化してる感じで、かつて東京12チャンネル時代の切り込みディレクターだった田原総一朗が制作した「バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト」をDVD上映していた。

冒頭、若き山下氏が仕事の打ち合わせを終え外に飛び出るところから始まり、「CMの演奏や芝居のバックで演奏とかそんなのは嫌だ」と言ったような本人談が入り、ジャズのアーティストとしての道を行く男のように紹介するも、途中から「ポーズを取りたいのか、ポーズの中に自分を見出すのか?」と言ったナレーションを入れ山下洋輔にも切り込むあたりは若き日の田原氏の鋭さだろう。

そして、学生デモが謳歌する大学(早稲田だったと思う)でゲバ学生主催の学内ライブの緊張感はなかなか面白い。

展示会場内もBGMはモダンジャズだった。

どうやら、山下洋輔氏がわざわざこのために選曲したようで、プレイリストが置かれていた。

 

学生と新宿で有名なのは、「新宿西口広場フォークゲリラ集会」だろう。

ジャズよりも言葉で訴えかける分、生ギター1本で出来る分、判り易く手軽だった。

会場でも、ジャズと言えどもその紹介もありました。

あれ、実は48年前の今日だったそうで!

48年前の今日は、こんな事になってたんですね。

そして、2017年6月29日の新宿駅西口地下広場(現、通路)です。

 

新宿は今も人が多く、数多くのショップやスポットが多いものの、あの時代の新宿は危険を孕んでいながらも魅力的な街だった、そう痛感しました。

ちなみに「あゝ新宿 アングラ×ストリート×ジャズ展」は明後日7月2日(日)まで開催。

最後に、場内の最後に新宿の地図に思いでのエピソードを書いてくださいといったパネルの一番右端に「この辺が、かつての俺んち(三番街)」と書いたのは私です!(笑)