モヤモヤ ブラ 散歩~バブル経済期にて引越す先は恵比寿だった | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

今年に入って、かつて自分が住んだ町を訪ねる散歩をしている。

学生時代に1人暮らしをせざるを得なくなり、社会に出てもしばらく住んだ西小山を離れる時が来た。

その原因はバブル経済に突入したため…。

当時は「24時間働けますか?!」なんてコピーが流行するほど、働くほど金になる(実際は虚飾だったが)という時代。

まだ若かった自分も毎晩仕事が終わるのは、どんなに早くても25時(=深夜1時)くらい。

それだと、終電に間に合わない。

折りしもバブル期に入ったため、タクシーもつかまらない。

結局、会社や飲み屋で仕事終わりから3~4時間時間を潰さないとタクシーにも乗れない頃。

元来、寝ないと駄目な人なので(寝なくても駄目人間ではあるが。。。)、明け方帰宅してシャワー浴びて、仮眠して、また朝出るなんて毎日ではさすがにしんどくなり、引越しを決意。

タクシーがつかまらないなら30分歩いても帰宅時間が早いことを先決にした。

当時オフィスは渋谷。

そこで引越し先の白羽の矢が立ったのが恵比寿でした。

 

今回はその恵比寿を訪れた。

恵比寿でも東口の側。

もうこんな立派な駅ビルも建って久しいですが、当時はJR恵比寿駅東口はホームの先を繋ぐ階段と渡り廊下があり、改札には1人淋しく駅員がいる(だいたいキャリアの浅い職員)だけの改札口でした。

でももう現在では、

ロータリーやお洒落ビルもある立派な駅前となっています。

 

恵比寿でも2カ所に住みました。

最初は、上掲画像の真っ直ぐ伸びる道沿いの小さなマンション。

行ってみましょう。

しばらく歩くと「恵比寿郵便局」という交差点がある。

この郵便局の並びに恵比寿最初の住処はあった。

で、その前に行くと…、

おお!まだ存在していました!

両隣は新しく綺麗で高さのあるマンションになっていましたが、まだあのマンションが残っておりました。

ここの2階の北側を向く部屋(上掲画像は南向き)で、6帖のワンルームで¥85,000だったと思う。

その前に住んでいた部屋より3万高かったが、折りしもバブル期で給料はそれなりによかったし、忙しいと遊べないから無駄使いもしなかったので、何の問題も無かった。

あ、後から知ったのだが、ヘビメタ評論家の伊藤政則氏の事務所がこのマンションの別の階だったそうだ。

 

今では恵比寿はお洒落スポットだったり、住みたい街ランキング上位に居座るが、引越し当時はへんてこりんな町だと思った。

あの頃は恵比寿を「張りぼての街」と言っておりました。(笑)

何故かと言うと、大きな道沿いは当時からビルやマンションが立ち並ぶのですがその1本裏に行くと民家も民家、かなり草臥れた家々が並んでいたもんです。

ちなみに、上掲の最初に住んだマンションの裏側(=私の部屋から真正面に見える家)は、

こうでした。

ありゃ、今もそのままだ。

しかも小さな町工場でもあります。

先に紹介した「恵比寿郵便局」横の道沿いには、当時からこんなお家もありました。

確か、あの頃はこのお宅は現役のお菓子屋さんじゃなかったかな?。

この辺りは「張りぼての街」の面影が今もまだ若干残っています。

ちなみにこの通りには「新橋通り」という名がついており、

街柱のペナントにも“山の手の下町”と記されているが、まさにそんな感じ!

それでも、現在では小さなこじゃれた飲食店が増えていました。

ちなみに、この「新橋通り」の由来は文字通り「新橋」という橋があるから。

そしてこの新橋の下には、渋谷川が流れています。

渋谷川も随分と整備されましたね。

余談だが、最近BS11でかつての刑事ドラマ「大都会PartⅡ」の再放送をしていますが、この渋谷川の中での捕り物シーンが多いです。

もっともこの辺りでなくもっと渋谷駅近辺でのロケですが。

 

続いて、恵比寿内にて2度目に住んだ場所へ。

そこは、この新橋通りを南へ向かって、先の「恵比寿郵便局」交差点を渡ったすぐの所だった。

すっげぇお洒落なビルでしょ?

って言いつつ、この建物は建替え後の姿。

当時は、4階建てのアパートだった。

「コーポひかり」って名前だったけか…?

4階建てだけどアパートだからエレベーター無しで外に取り付け螺旋階段があっただけ。

しかもその4階角に住んでいた。

6帖の1Kで家賃月額¥95,000だったと思う。

ユニットバスじゃなくて、小さな風呂と和式便所だったっけ。

家賃は、大家さんが同じ敷地内にもう1つ古いマンションがありそこに住んでいて(ちなみにこちらにはエレベーター有り)毎月直接払いに行くっていう昔ながらの支払い方法でしたね。

あ、ちなみにここの裏手向かいにあったやはり4階建てのビルの最上階に一切カーテンをしない部屋があって、ただやたらとCDが詰まれた塔(?)が幾重にも見えるお宅があった。

こちらは、伊藤政則と双璧を成すヘビメタ評論家和田誠氏のオフィス(?)だった。

恵比寿のくそ狭い範囲にヘビメタ評論家率高し!!でした。

 

この2番目の住処の前から南側を臨むと、

その先には「ガーデンプレイス」が見えます。

でも、当時はガーデンプレイスがちょうど出来たばかりくらいでした。

自分の住んでいたアパートの先にこんな大きくシャレたもんが出来ても、しばらくは行けませんでした。(苦笑)

 

でも、久々にそちらへ向かってみます。

ガーデンプレイス敷地前から振り返り撮影すると、

何気にいい風景。(笑)

あの頃は何とも思わなかったけど、ここは坂道なんですよねー。(高低差バンザイ!)

下り坂の遥か先に見える高層ビルは、六本木ヒルズと東京ミッドタウンですか?

久々に恵比寿のランドマーク「ガーデンプレイス」を散策してみます。

正面からの感じは相変わらずですね。

あの頃は土日で仕事の無い日は夕方にここの三越へ来てました。

今、思い返すと超恥ずかしいのですが、ここの地下で「ジョアン」の焼きたてミニクロワッサンと、ワイン・マーケット・パーティーで赤ワインを買って早めの夕食にしていました。(苦笑)

でも、ジョアンのミニクロワッサンはほんのり甘くて、出来立ては温かいし美味しかったんだよなぁ。

ちなみにワインは一番安いのを買ってましたが…。

それと、ガーデンプレイスと言えば正面から真っ直ぐスロープとなって続く地下広場ですが、

この日は絶賛工事中。(笑)

おそらく毎年恒例のン億円のクリスマスツリーを飾る準備ですかね?

 

ガーデンプレイスを抜けると、道を隔てて「ウエスティンホテル」があります。

その横に、あの頃よく利用したツタヤもまだ健在です。

ここは、2階建てのフロアーのため、DVD在庫が本当に多い。

映画よりも、昔のプロレスや昔のテレビ作品を探して借りてたっけ。

 

そして、このツタヤの正面のガーデンプレイス敷地内端に木々が密集する箇所がある。

奥に鳥居が見えます。

恵比寿神社だそうです。

由来はと言うと…、

元々は、サッポロビール敷地で恵比寿ビールも含め商売にしたことからその敷地内にあくまで社内的に奉ったのが、ガーデンプレイス竣工に伴い、ここに移設したようですね。

あと、この神社の先隣接する道路を挟んで、昔からあるビル。

一番上に行ってみたかったがついぞ行かず仕舞いだった。

1階のカフェは一度だけ行ったと思うが、記憶が定かでない…。

 

で、そうそう!このガーデンプレイスは本来エビスビール社の敷地!!

やっぱり、行かないとねー。(笑)

ここは「エビスビール記念館」に入館。

かつて一度行ったのだが、その時はもっと見学順路があって、ビール製造の機械や過去のポスター等々、色々と展示物があったのだが、現在ではほんの「U字」になってるフロアーの見学箇所があるだけになっていた。

仕方ないなぁ、一杯飲みますか?(笑)

(この続きは次回に)

 

最後は、恵比寿駅西口で一箇所確認しておきたいところがあったので行った。

公衆便所です。(苦笑)

ここは、渋谷公会堂など幾つかの渋谷区所有の公共物にネーミングライツを募集したことがあった。

渋谷公会堂は「CCレモンホール」になったあのタイミングだ。

そしてここ恵比寿駅にある公衆便所にもそのネーミングライツを募集したのだが、当然買い手は現れず…、しかし渋谷区はその後も募集すると述べた。

その結果!

上掲画像の通り、ついていました!

“ICANSEI”って何?と思ったが、帰宅して調べたら“カンセイ(=KANSEI)”と言う下水道管理の会社だそうで。

これは良い買い手が付きましたね。

トイレの外観も昔と大きく変わって清潔で明るい感じの公衆便所になりました。

 

 

バブル経済になってしまったが故に、引っ越さざるを得ない事になり移った先が恵比寿でしたが、住みやすい場所でした。

現代になって大きくお洒落スポットに変貌しましたが、今も住みたい人が数多いるのは、お洒落だけでなく住み易さもまだまだ存続しているからなのでしょう。