今年は、大物ミュージシャンの急逝が続いていますが、先月も海の向こうで歴史に名を残すべき名バイプレイヤーの他界が相次いでしまいました。
まずは、R&Rキングのそのロックンロール・ミュージックという音楽面を打ち出したギタリスト。
スコッティ・ムーア氏。
スコッティ・ムーアは“キング”エルヴィス・プレスリーのデビューから怒涛で革命的なR&R旋風をサポートしたギタリスト。
初期の名曲、「ハートブレイク・ホテル」、「監獄ロック」、「ハウンドドッグ」、等々の数々の名曲のR&Rギターは彼のプレイによる。
ローリング・ストーンズのキース・リチャーズは「“ハートブレイク・ホテル”を初めて聴いた時、俺の人生で何をすべきかがわかった。」と言っている。
キースのギターの原点にはスコッティ・ムーア氏のギターが根付いている。
では、その「ハートブレイク・ホテル」を追悼の意を込めて聴いてみましょう。
6月28日永眠、享年84歳。
初期のエルヴィスを支えたスコッティ・ムーア氏でしたが、実はその2週間ほど前に後期エルヴィスを支えた人物も他界しました。
チップス・モーマン氏です。
チップス・モーマンはプロデューサーでありソングライターでありスタジオオーナーでもあった。
1968年に『68カムバック・スペシャル』で再び“ロッカー”エルヴィスのイメージを再認識させた後の肝の作品となるアルバム『エルヴィス・イン・メンフィス』のプロデュースを執り行ったのがチップス氏だった。
同アルバムのオープニング・ナンバー「ウェアリン・ザット・ラヴド・オン・ルック」です。
メンフィス・レコーディングだけあってR&Rよりさらに黒いソウル寄りのサウンドですねー!!
6月13日永眠、享年79歳。
黒いと言えば、ソウル/ファンク界の重鎮も他界されてしまいました。
ファンカデリックやパーラメントで活躍したキーボーディストのバーニー・ウォーレル氏です。
ジョージ・クリントン一派のファンクサウンドを支えた名キーボーディストでした。
ファンク/ソウルのみならず、ロック方面でも映画化にもなったトーキング・ヘッズの『ストップ・メイキング・センス』や、前述のローリング・ストーンズのギタリストであるキース・リチャーズのソロ・アルバム『トーク・イズ・チープ』にも参加した。
キーボードでもファンカデリック参加時は「ムーグ」と言う一時代を築いたシンセサイザーを早くから取り入れたことでも有名なキーボーディストでした。
先に亡くなったプリンスも影響を間違いなく受けてますね。
ファンクもロックも縦横無尽に弾きこなすバーニー氏に、ファンカデリックの「Who Says a Funk Band Can't Play Rock?!(ファンク・バンドがロックを出来ないなんて誰が言ったんだ?!)」を捧げます。
6月24日永眠、享年72歳。
改めて、3名の名バイプレーヤーに心からお悔やみを申し上げます。