新年いかがお過ごしでしょうか?
正月も今日で4日目、しかも月曜ということで、多くの方が今日から仕事初めかと存じます。
私の場合、幸か不幸か明後日から(ま、実際は明日の晩に明後日の準備をしないとならないので、厳密に言うと明日からになるのか)ということで、この陽気に惹かれ朝からブラブラと徘徊してまいりました。
平成28年申年一発目のブラ散歩なので、「猿楽町」を目指しました。
猿楽町は、都内で知る限り2カ所あるのですが、うち1つの渋谷区内の猿楽町は、以前ほんのちょっとだけだったが寄ったので、もう1つの千代田区の猿楽町へ!
千代田区猿楽町は、上掲地図画像の赤いエリアで、神田神保町の辺り。
猿楽町の名だが、江戸時代慶長頃に猿楽師の観世大夫一団の屋敷があったことに由来とされている。
そもそも「猿楽」とは「能」の旧呼称。
初めの画像の猿楽町1-1は、お茶ノ水小学校・幼稚園になる。
また隣接したスペースは「錦華公園」である。
画像では判り難いが、公園の先から高低差が起き、公園の背後に「山の上ホテル」があり、その向こうに見える大きなビルは「明治大学」だ。
この辺りは学び舎が多い。
それもそのはず、あの夏目漱石がここで学んでいたと言う。
ちなみにこの小学校~公園の前の道は「猿楽通り」と言う。
こんな道でございます。
どんどん進みましょう。
すると、ふと右側に見えた風景がすごい!
判りますか?この高低差!
高低差ファンになった私としてはたまらない景色です。(笑)
先を行きましょう。
すると、なんてことないビルながら、掲げてる文字がこれまたすごい。
「明治大学米沢嘉博記念図書館」。
明大の尽力者が寄贈した図書館かと思ったら、なんと漫画評論家さんでありオタク文化のオーソリティでもあるらしい。
このすぐ先にまた石碑があった。
「東京音楽大学発祥の地」とある。
明治40年に、その前身となる「東洋音楽学校」がここに設けられたらしい。
しかしなんだね、わずか100メートルくらい(ほんとか?)に、夏目漱石、漫画評論家、音大跡の碑と、この「猿楽通り」思っていた以上に色んなものがありますな。
そして、この石碑の角を右に曲がったその先にはなんと階段坂が!
これは登らねば!
途中に坂の説明があった。
「男坂」という名で大正時代に造られたようだ。
また、近くに「女坂」と言うなだらかな坂もあるらしい。
とりあえず、男坂を登り切る。
登って見える風景はこんな感じでした。
登り切ったすぐ左は明治大学の校舎。
これを見ると、男坂を登り切ったところにある道は「とちの木通り」というようだ。
良く見ると、道の先に東京ドームシティの観覧車が見える。
このまま、歩くと左側にありました「女坂」!
こちらの坂はと言うと、
これもいい階段坂じゃないですか!
下りてすぐ右に曲がってさらにまた左に曲がるという坂。
下り切る前に振り返ってパチリ。
なんかリゾートあたりに出て来そうな雰囲気も。
「女坂」を下りると、再び「猿楽通り」へ合流。
右へ曲がって、猿楽町の端へと向かう。
猿楽町の端に出て、右を見るとほんのちょっとの勾配の先に高架が見える。
画像では判り難いが高架上を黄色い総武線が走っている。
ここはもうJR水道橋駅東口のすぐそば。
この勾配にも坂名が付いていまいした。
「小栗坂」と言います。
さて、ここからUターンして、真っ直ぐ進みます。
猿楽町の西端の道を、最初に通った猿楽通りの辺りと合流すべく歩きます。
しばらく行くと目立つ建物が。
「神田女学園」です。
本当に猿楽町はわずかの範囲に学校が多い。
その前の街路樹の植え込みにはパンジーが植えられていた。
猿楽町の住人が植えたのか?神田女学園が植えたのか?
こんなところにパンジーなんて乙なもんです。
そしてこのパンジー越し、道路を挟んだ先にもインパクトある建物が!
「カトリック神田教会」です。
歴史を感じる佇まいだが、それもそのはず「カトリック神田教会聖堂」名称で国の登録有形文化財に登録されている。
さらに進むと、またも趣きのある小さな建物が。
古い交番かと思ったら「猿楽町町会詰所」らしい。
そして、この道路をこのまま真っ直ぐ行けば、最初のお茶ノ水小学校~猿楽通りに合流することになる。
さて猿楽町は以上にて、としてすぐ近くの淡路町駅の方まで足を伸ばすことにした。
理由は時々やる懐かしのロケ地跡めぐり。(笑)
今回も松田優作主演番組に関わる場所。
左の建物ですが、以前はここは「工藤探偵事務所」が入っていたビルでした。
そうです「探偵物語」です!
もう18年前に取り壊されましたが、かつては「同和病院」という大きな病院だったそうです。
ここから、この真ん中の道を進むと、路角にしおらしく佇む小さな看板を発見。
「連雀亭」という寄席らしい。
前まで行ってみた。
なんと、500円で生の落語が聴ける!ワンコイン落語です!!
こりゃ、初笑いと行きましょう、ということで入場。
(詳細は次回書きます。)
新年早々に生寄席を楽しんだところで、神保町方面へ戻る。
その途中に、これまた都会ならでは(?)の風景を目撃!
なんと小さなビルの2階踊り場が神社です!
「幸徳稲荷神社」と言う。
いやぁ、こうなるとご利益が有るんだか、無いんだか。(苦笑)
しかし、今年は初詣もまだしていないので、この際これもご縁と「5円」の賽銭を入れ手を合わせてきました。
一応この社の由来案内板もあり、
なんでも江戸時代に山城国城主稲葉丹後之守(三代将軍徳川家光の乳母 春日の局の後裔)の江戸小石川中屋敷に祀られ、明治維新後に小川町の守護として建立され、現在このような形で残っている。
神田神保町と言えば、古書街。
古書のみならず大手書店もあったりと、店によって得意なジャンルがあるようで、本好きの人達には堪らないでしょう。
そんな中に混じって奮闘しているのが「芳賀書店」。
いわゆる「ビニール本」というのがかつてありまして、ポルノ雑誌を立ち読みされないためビニールでしっかりと封をして販売していたもの。
10代の頃、同級生何人かで「ツアー」と称して何度か来たことがあります。(苦笑)
当時親友の1人がバイト代は、小説かレコードかビニール本に化けるという奴でして。(笑)
まだ生徒時代事なので、さすがに1人で行くのは気が引けるということで何人かで行くことにした。
最初のうちはそんなんだったが、さすがにすぐ成人するし、友人も免疫が出来て後は1人で通ってましたが…。
そんな、あいつの訃報を聞いたのも、この神保町のこの芳賀書店の近くの路上でだったな。。。
それにしても芳賀書店、アダルト本でビル建てちゃうんだから、凄いでしょ!
おっと、話が新年初っ端からずれてしまった。(笑)
今年は申年、猿は人間の祖先、原点に戻ってやり直す、あるいは基礎を再確認するにはいいかも知れません。
猿が成長進化するには、「学び」も「笑い」も必要でしょう。
猿楽町―それには結構ハマるような町だった気がする。
改めて、新年が皆様にとって良い年となりますように!