20年前の今日、皆さんはどこにいましたか?
私は、東京ドームにいました。
この日、東京ドームは野球のリーグ最終戦ではなく、とっても大きなプロレス興行があったのです。
今の若い方は上掲の写真が誰か判らないかも?(笑)
右はまだ判るかな?高田延彦です。
左は、若き日の武藤敬司です!
もう今はつるっパゲの白髪髭ですからね…。
この頃、プロレスは恐らく最高頂に達していた時期だったかもしれない。
昔からの王道プロレスの「全日本プロレス」、それに対して“ストロングスタイル”を提唱した「新日本プロレス」の2大団体が凌ぎを削っていた。
それに加え、脱プロレス、いや真のプロレスをモットーに格闘技路線へシフトした「UWF」が人気となったが、内部分裂で、前田日明率いる「RINGS」と高田延彦率いる「UWFインターナショナル」に2分した。
その後、「UWFインターナショナル」の安生洋二がグレイシー一族へ道場破りに行き、国内でも当時最も敷居が高かった「新日本プロレス」にも喧嘩を売ったこともあり、まさかの「対抗戦」が短時間のうちに急遽決定した。
そう交流戦ではなく対抗戦なのだ。
まさしく全面戦争、仁義なき戦いが起きたのだった。
メジャーの新日本は、UWFに対して「カード組み合わせはお前ら決めていい」と絶対的強さの自信があった。
そして、この日のカードはこうなった。
<第1試合>永田裕志&石沢常光(新日本)vs金原弘光&桜庭和志(Uインター)
<第2試合>大谷晋二郎(新日本)vs山本健一(Uインター)
<第3試合>飯塚高史(新日本)vs高山善廣(Uインター)
<第4試合>獣神サンダーライガー(新日本)vs佐野直喜(Uインター)
<第5試合>蝶野正洋(新日本)vs宮古優光(Uインター)
<第6試合>長州力(新日本)vs安生洋二(Uインター)
<第7試合>佐々木健介(新日本)vs垣原賢人(Uインター)
<セミファイナル>橋本真也(新日本)vs中野龍雄(Uインター)
<メインイベント>武藤敬司(新日本)vs高田延彦(Uインター)
なんせ、当時若手だったのが永田裕司や桜庭和志。
石沢常光はその後ケンドーカシンになる。
確か第6試合の蝶野・宮古戦は、確か宮古が対抗戦などしたくないとかで没収試合になったんじゃなかったかな?
そして、メインも武藤が保持するIWGPヘビー級王座と高田が保持していたプロレスリング世界ヘビー級王座の2大タイトル戦だったが、カール・ゴッチの強い反対でプロレスリング世界ヘビー級王座はかけられなかった。
しかし、あの日の東京ドームは本当超満員で、しかも両団体のファンの期待が凄く試合前からまさに一触即発のピリピリした空気が充満していたのを覚えてる。
私も、人生で初めて¥30,000という大金をはたいてまでもリングサイドで見たくて、買いましたよチケットを。
後にも、こんな大金を払って何かを観に行ったことなどない。
冒頭からリングアナのケロちゃんこと田中秀和アナウンサーがとてもゆっくりとした口調で「お互いに自分の応援している選手、団体に声援を贈るようにして下さい。決して相手チームをけなすようなことは言わないで下さい。トラブルは避けたいです。」と言っていたのを覚えている。
当時はね、私もプロレスの新日本か格闘技のUインターかと思って固唾を飲んで見入ってました。
正直、武藤も高田も好きでしたから、どっちが勝っても負けても別にいい、気にしないようにしよう、と心に誓って出かけて行きました。
しかし、後に高田の暴露本で、あれは事前に話し合いがあったと…。
しかも、UWFインターナショナルという団体自体、実はプロレスをやっていたと知り、衝撃を受けたものでした。
でもね、今もあんなピリピリした空気の中で、プロレスを、いやその他のスポーツでもエンタテインメントであれ、観る事などもう無いだろう。
あれから20年。
人一人が成人する月日が流れた。
プロレスは成人となる成長とは違う、落ち方を描いてしまったが、また新日本プロレスはチケットが取り難い興行もあると聞く。
あんな活気に満ちたプロレス興行が観れる日がまた来ることを願いたい。
あ、ちなみにこの時の試合(メイン)は、武藤が古典的技「4の字固め」で高田に勝ちました。