夢を見続けるのも大変なことだ | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

海外で、「ゴジラ」のリメイクが発表されたり、「ウルトラマン」が発禁になったり、自分が幼少の頃に親しんだジャパン・カルチャー関連の話を最近目にする。
ゴジラもウルトラマンも「円谷プロダクション」創始者“円谷英二”氏の功績である。

その円谷英二氏を、先日BS朝日「昭和偉人伝」で取り上げていた。
氏は、元々飛行機に憧れて、飛行機に関連する職を目指していたようだ。
そんなこともあり、機械、メカニズムに関する興味が強く、かつての多くの日本人同様に職人気質な人物だったらしい。
したがって映画界でも、スターが主役の映画とか、原作・脚本が有名な映画とか、よりも「技術」がリードする映画を作りたいと考えていたそうだ。
(映画界に入る前は、玩具会社に勤務して、当時としてはメカニックな玩具を考案し、ヒットさせていた。)

円谷プロダクション」を立ち上げたのが、氏が62歳のとき。
(円谷プロダクションとわたしは同い年だった。<笑>)
そこから、数々の特撮作品をテレビ、映画に渡り手がけていき、円谷=特撮の神様と言う肩書きになる。
先に述べたように、かつての日本人がそうだったように大変職人気質であり、ろくに睡眠も取らずに仕事に没頭し、納得いかない出来には採算度返しでやり直しをすることも多々あったらしい。
そんな円谷英二氏の紹介された言葉がある。
「私は少年時代に抱いた夢や憧れの世界から、ついに一歩も出ることのできなかった人間なのだ」
すごいことだ!
60を2年過ぎて、幼少期からの夢を実現する、その責任者になるなんて。
ゴジラやウルトラマンに夢を見させてもらった少年の私はと言えば、早い時分に夢なんてものに背を向けて現実をシラケながら過ごしてしまった。
「夢」なんて言葉は一時期本当に嫌いだった。
しかし、円谷英二氏のように夢を追い続けて終える人生なんて、それはそれで偉大なことだ。
いやー、夢を見続けるなんて容易いことでは無い。
それを、最後まで通すなんて、素晴らしい!

奇しくも、お得意の新聞販売所プレゼント企画で「円谷英二 特撮の軌跡展」の招待券が当たった!
4月に、幼少期に夢を見ていた円谷作品の現実を見て、今一度夢を見させてもらおう。
円谷英二特撮招待券