思えば、一年前は「爆弾低気圧」で大雪だったが、今回は「強い寒気と低気圧の影響」で20年に一度の大雪と、なんか積もるほどの雪模様になるたびに東京地方は大騒ぎしているような…。
でも、やはり危険がはらんでいますので、皆様くれぐれもお気を付け下さい。
そして、今日から「ソチ冬季オリンピック」が始まりました。
そんな新鮮なネタもあるのに、前スレッドに続いて「今日は何の日」ネタ。
本日2月8日は「ロカビリーの日」ですと。
ロカビリーは、1950年代に入ってアメリカで派生し一世風靡した音楽スタイル。
黒人のブルースをテンポアップさせたロックンロールと、白人のカントリー・ミュージックの一部でもあるヒルビリーの融合と言える音楽。
ま、ポップでキャッチーなロックンロール・スタイルとでも言えるでしょう。
「ロカビリーの日」は実は日本内での記念日。
理由は、1958年2月8日に当時の日劇(現:有楽町マリオン)で「日劇ウェスタンカーニバル」が行なわれたことから。
アメリカでブームとなったロカビリー・ミュージックが日本にも上陸し、また「ロカビリー三人衆」と言われた平尾昌晃(現在は作曲家として著名)、山下敬二郎(落語家柳家金語楼の息子)、ミッキー・カーチス(現在は俳優として有名)3人が若い頃に、今のジャニーズ・タレントを凌ぐ大人気アイドルとして、日本でも一大ブームを巻き起こした。

実際、アメリカでロカビリーが革命的人気がだったのは、多分1954年~1957年くらいだろう。
ロックンロール、ロカビリーの最初と言うのは厳密には不明だが、メジャー・シーンで一躍知られるようになったのは、1954年リリースの“ロック・アラウンド・ザ・クロック”が翌年映画『暴力教室』のテーマソングに起用されてのヒットによるだろう。
やはり、楽曲はキャッチーだし、ポップでいながらも当時としては充分エキサイティングなアプローチだったろう。
ただ、これを歌ったビル・ヘイリーさんは、正直ルックスがいいとは思えない。
だが、同じ1954年にインディーレーベル「サン」から一人の若者が“ザッツ・オール・ライト”を発売し、この若者が数年後にロカビリーどころか音楽やエンタテインメントの歴史を変える。
1955年、“ロック・アラウンド・ザ・クロック”とともに話題になったロカビリー・ソングがチャック・ベリーのデビュー曲“メイベリーン”。
ビル・ヘイリーがカントリー側からのロカビリーに対して、チャック・ベリーはブルース側のロカビリー。
ちなみに代表曲“ジョニーBグッド”は1958年のリリース。
そして1956年、前述の「サン」から“ザッツ・オール・ライト”を発表し、瞬く間に人気が爆発的に膨らみメジャー・デビューを果たしたのが、そうエルヴィス・プレスリー!
メジャー・デビュー・シングルは“ハートブレイク・ホテル”。
エルヴィスは、ロカビリーとして楽曲が練れていったとともにそのルックスとパフォーマンスで、全世界に女性のみならず男性ファンをも作っていく。
同年、映画『女はそれを我慢できない』にて劇中のテレビ放映シーンでのデビューを飾ったのが、私のこよなく愛するエディ・コクラン!
エルヴィスに通じるルックスと、“ロック・アラウンド・ザ・クロック”に似た構成の楽曲“トゥエンティー・フライト・ロック”が話題となる。
1957年には、バディ・ホリーが“ザットル・ビー・ザ・デイ”でデビュー。
この年、ポール・アンカも“ダイアナ”でデビューした。
そして、1950年代はフィフティーズの代名詞のように当時の若者のライフスタイルの代表的アイコンとしてロカビリー/ロックンロールはそのポジションを確立した。
ミュージシャンも、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、ジーン・ヴィンセント、カール・パーキンス、エヴァリー・ブラザース、etc…、ロックとポップミュージックの黎明期を彩った。
ロカビリーが無ければ、ビートルズもハードロックもパンクも、とにかく現在に通じるロックもポップも無かったかも知れない。
そんな偉大なる発明(?)だったのです。