中島さと子の「咲子さんちょっと」とテレビドラマの世界 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

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不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

本日、「中野区立歴史民俗資料館」へ行ってきた。
新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。-中野区立歴史民俗資料館
何ゆえ、行ったのかと言えば、上記画像にも写っていますが“中島さと子の「咲子さんちょっと」とテレビドラマの世界”展を見るため。
新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。-咲子さんちょっと

正直、「咲子さんちょっと」も「中島さと子」さんも知らない。
実は数週間前にBSの『昭和は輝いていた』という番組で“江利チエミ”を特集していて、その中で彼女が主演した人気ドラマ『咲子さんちょっと』の話が出て、ホストの武田鉄矢氏がこのドラマが好きでその場で主題歌まで歌いだした。
ちなみにこんなテーマ曲です。
    ↓

最近は自室でテレビを見てる時は、手元のパソコンはいつも電源が入ってるので、その場で「咲子さんちょっと」をネットで調べてるうちに、この展示会のことを知った。
そこで、ちょっと覗いてこようっと、いう感じで出かけた次第。

まず『咲子さんちょっと』は、1961年10月からTBSで始まったドラマで、お嫁さんとして旦那さんの家に入った咲子(江利チエミ)と、その家族たちのコメディ的要素のあるホームドラマらしい。
簡単に言えば「サザエさん」みたいな内容のドラマだろう。
(奇しくも、江利チエミはこのドラマの後に、実写版ドラマ『サザエさん』でサザエを演じる。←これはうっすらと記憶がある。)
当時は相当な人気ドラマのようで1963年まで続き、ここで終了することにしたのだが、視聴者から多数の存続依頼が入り、1964年から『続・咲子さんちょっと』と言う形でスタートしたと言う。
そして、何故この「中野区立歴史民俗資料館」でこのような展示を行なったかと言うと、この原作者の“中島さと子”さんが中野区在住で、この『咲子さんちょっと』は中島女史の当時の中野での生活がモチーフになっていたことから、中島女史、テレビドラマ、そして当時の中野区の生活がリンクする展示を行なうというのが狙いのようだ。
展示室には、ドラマの台本や、スチール写真、ポスター、中島女史直筆の下書き原稿を始め、同じく中野区民であったテレビマン“大久保正信”氏の関連したテレビドラマ台本も幾つか展示されていた。
『おしん』、『草燃ゆる』、『宇宙戦艦ヤマト』、他の台本があった。
この期間限定展示の“中島さと子の「咲子さんちょっと」とテレビドラマの世界”展は、明日(9/8)まで展示しています。

ちなみに、「中野区立歴史民俗資料館」は中野区内の歴史の移り変わりを常設で展示しております。
区民でなくても、中野区内へ通勤・通学、等で中野区内によく来る方も一度くらい来ても良いかと。
いかんせん入館は無料です!
のんびり座れます!(笑)

ちなみに本スレッド最初の画像に写っている、2つの白っぽい大きな円状の物体は、腰掛けではなく展示物!
$新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。-石臼
これは大きな“石臼”です。
新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。-石臼説明
上記のような、昔の生活や商売に使用した機具などを展示。
そしてこのように建物内だけでなく建物横や裏にも展示物はあります。
新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。-井戸と大桶
井戸と大きな桶。
そして隣接している土地は昔の家屋と庭、古い樹木がまるまる展示物だったりもする!
新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。-宅庭
見入っていたら、2箇所も藪蚊にさされてしまった…。
かゆっ!!(苦笑)