「俺たちの旅」再放送~10年後、20年後、30年後 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

この9月まで、BSジャパンにて70年代の人気ドラマ「俺たちの旅」が再放送されていた。
本編のみならず、その10年後、20年後、30年後を描いた特番ドラマまでを一挙に放送した。
以前にも記したように「俺たちの旅」は大好きだったドラマ。
自分がまだ小六~中学に入る頃に本放送があったような気がする。

このドラマは、カースケ(中村雅俊)、オメダ(田中健)、グズ六(秋野大作)の3人が自分たちの思いと社会との接点で一喜一憂しながら一生懸命に生きようとする青春群像劇といった内容。
ドラマ中、この3人が住むアパートが「たちばな荘」がドラマのメイン舞台となり、実はこのロケ現場(実際の名も「たちばな荘」)は私の住むところのそばにあった!
(当方ブログには「たちばな荘」をキーワードに訪れる方も多々いらっしゃいます。)

録画しておいたその最終回から~「十年目の再会」~「二十年目の選択」~「三十年目の運命」を、この週末一気に観た。
確か十年目~、と二十年目~はビデオ化されて観たような気がするが何故か記憶に残っていない。
むしろ違和感を感じたような気もする…。

最終回は、カースケに思いを寄せる大学時代の同級生山下洋子(金沢碧)が仕事で何年か南米へ行く決断を迫られる。
本当はカースケに「行くな」と止めて欲しいが、自由奔放なカースケは逆にその話を勧める。
しかし、洋子のことを本当は好きなカースケはオメダの母(八千草薫)の説教に意を改め、鳥取出張中の洋子の元を訊ね「行くな」と伝えるも、洋子は南米行きを決めてしまう。
そしてエンディングは何故か大きなヨットを3人で舵を取りながら大海原を行くのであった。
まあ、恐らく大海原は社会の比喩で、3人はともに協力しながら人生の荒波を超えるということのイメージカットなのだろうが、それにしても六畳一間に3人が住む貧乏代表が大きなヨットで航海してるのは…。

その10年後「俺たちの旅~十年目の再会」では、これまでのイメージが崩れるほどの変貌があった。
カースケは海外を飛び回る個人実業家、グズ六はかつて3人とワカメ(森川正太)とはじめた「なんとかする会社」を発展させ「N(なんとか)S(する)サービス」の経営者で自社ビルまで所有、オメダは結婚していて勤めた会社が倒産し奥さんの実家の米子市に身を置いていた。
そこでオメダがある日蒸発してしまう。
でもその理由の説明もなく唐突にだ。
その知らせを聞いたかつての仲間たちが米子までオメダを心配して赴く。
もうこの時点であのキャラクターの違和感がある。
まずカースケは誰より仲間を思う人情派だったのにオメダ失踪の件をグズ六から聞き「一緒に行こう」と言われ「仕事で忙しいから一人で行ってきてくれ」との即答。
服装もスーツ姿になり、当時のつぎはぎジーンズと下駄の最もラフな格好だった人物がだ。
最初の30分観ただけで同じ登場人物が出てるのに「俺たちの旅」ではない番組を見ている感覚に陥る。
そんな中で、再び「俺たちの旅」を見ている気に軌道修正してくれたのがケバイ風貌になっているにもかかわらずオメダの妹“真弓”(岡田奈々)の登場だった。
全く風貌が変わっているのに何故か真弓は真弓のままな印象を与えてくれた。
結局オメダは隠岐の島にいて、そこで知り合った亭主無しの母(永島瑛子)子と一緒に暮らしていた。
島にオメダがいる情報を掴んだカースケ、グズ六、真弓が向かうと、そこでカースケは同じくオメダを探す洋子と偶然再会する。
洋子は別な男性と結婚していて、亭主に尽くすも貧乏で、彼女の愛には答えてもらっていない生活をしていた。
また洋子こと金沢碧の風貌もなんか萬田久子のソックリさんみたいな感じ。
(個人的に萬田久子が苦手なので再び違和感増長)
で、物語はみんなに諭され、実家に戻るオメダ。
ここで3人が腕を組んでオメダの奥さん(左時枝)に謝りに行くシーンでは、あの頃のように「青春」という感じで明るさを演じてみるも付け刃のような浮いた感がある。
やはり、今回も「違和感」を感じた。

続く「俺たちの旅~二十年目の選択」では、前作「~十年目の再会」からの間にカースケが結婚して子供もいて、奥さんの家の会社の社長となり豪邸に住んでいる。
もう、この時点で違う。
カースケが結婚に至り~会社再建し社長になるまでをドラマにした方が面白いと思うのだが…。
そしてその奥さん(石井苗子)は嫉妬心の強い、教育ママゴンで、カースケはその子育て方法に反発しながらも尻に引かれている状態。
義母がカースケの秘書室長で、常にカースケにはお供の運転手が見張り役兼務で付いている。
おまけに経営する会社の工場長を庇い、自分の首を会議でかけてしまう。
一方、グズ六は浮気発覚で奥さんの紀子(上村香子)と別居中で、スペインのマジョルカ島のリゾートホテルの支配人をやらないかという誘いを受けていた。
そのパンフレットをカースケに見せると、その青く大きな空と海にカースケは惹かれていく。
カースケが息子に「どこか行きたいところはあるか?」と訊ねると「大きな空のあるところ」と返される。
その後、新たな嫁をもらっていて実家のある身延で温泉旅館を継いだワカメが、久々に皆に会いたいと招待する。
ここで、カースケ、オメダ、グズ六、真弓、洋子、紀子が集結するも、グズ六がカースケと一緒の車中で若い娘2名をナンパし、グズ六は紀子も招待されていることを知らず、その娘たちまでも招待してしまう。
そんなことでややこしくなる一同のもとへ、なんとカースケの妻までが乱入し、若い娘と洋子を見て爆発してしまう。
慌てたカースケは妻の後を追って、自分も帰ると言い出す。
そんなカースケを見て洋子は「もっと堂々としていた貴方が好きだった」と言われ、何故か急に昔の自分に戻ろうとするカースケ…。
妻と息子に一緒にマジョルカ島へ行こうと誘うも、大きな空を見たいといった息子からも「僕はママといる」と断られてしまう。
社長の座を辞任したカースケは、もう一度自分の思うとおりに生きたいと真剣にマジョルカ島行きの気持ちを固める。
その選択が正しいか、グズ六、オメダ、洋子に確認し、結局皆最後は「カースケらしい生き方だと」勧められ、一人マジョルカ島へと旅立つカースケだった。
この作品でも違和感はあった。
やはり、カースケがカースケらしくない。
なんかクールなんだよ。
最後に自由を求めて旅立つという設定ではあるが、説得力が無いのだ。
加えて、劇中での音楽で小椋桂の歌が使われるのは判るが、なんでユーミンや、五輪真弓の歌まで、使われるのだろうか…?

ここまで「~十年目…」、「~二十年目…」では、グズ六と洋子がストーリーの柱になっている印象が強い。
グズ六が行動を起こし何か始まり、洋子がカースケを思う気持ちが今も続いているところに2人の間にまだ完結しきれていない感情が残る。
洋子の存在が実はとても大きい。
この「~二十年目の選択」では洋子の発言でカースケもその妻も急に気持ちに変化が起きてしまうのだから。
そして、最後に洋子は結婚が決まっている内縁の夫の子供が出来たとカースケに伝え、この事でカースケもひとつ気持ちを改めて旅立つことになる。

そしていよいよ「俺たちの旅~三十年目の運命」。
ここではいきなりカースケがあの頃のカースケに再び変貌を遂げている。
カースケの登場シーンが若い女の子と無邪気に「キャッ、キャッ」言いながら追いかけている。
「~十年後…」、「~二十年後…」でクールに変わり果てたそのキャラクターにこちらが着いていこうと脳を馴染ませながらここまで見ていたら、何?この先祖帰りのような展開…。
むしろ「俺たちの旅」本編の直後に、「~十年後…」、「~二十年後…」をすっ飛ばしてこの「~三十年目の運命」を見たほうがカースケらしく映る。
ただ、前作まではフィルム撮影だったが本作はビデオ撮影なので見た目の質感での違和感があるが。
本作のストーリーは、マジョルカ島から帰国し徳島の漁港で働くカースケ、米子の市長となり第3期目の選挙準備中のオメダ、グズ六は、今や事業は妻紀子の手腕で大会社となっており、会社から離れて仕事も無くフラフラしている状態。
物語は、「~十年後…」、「~二十年後…」でもそうであったようにワカメが皆どうしてるのだろう?という問いかけから始まる。
本作では「~十年目…」に続き、あの「たちばな荘」も登場。
(しかし、「~十年目…」、「~二十年目…」も含め、「いろは食堂」父娘が登場しないのは寂しい限りである。)
ストーリーは3つの事柄が並行していく。
ひとつは、カースケの帰国の便で意気投合してカースケに着いてきた訳有りな女性(十朱幸代)との関係(個人的には中村雅俊と十朱幸代は「七丁目の街角で、家出娘と下駄バキ野郎の奇妙な恋が芽生えた」と言うドラマで2人が主役だったので、そっちのイメージが蘇ってしまうが)。
2つ目は、イジメを受け心身ともに傷つき自閉症になりカースケの元に来る息子との関係。
3つ目は、オメダの選挙戦の最中に「~十年目の再会」で知り合った女性(永島瑛子)と再会しその子が難病な上、治療費が払えずに病院を出されそうになっているのを助ける決意をするが選挙中のスキャンダルになると周囲から反発をくらう。
このような事象の中、新たに衝撃的な展開が、いきなりセリフだけで起きる。
それは洋子は死んでた、という事。
本作に回想シーン以外に洋子は登場しない。
(金沢碧が女優引退したのか?)
30年前の第一話で着替えシーンで披露した美しい乳房を見せた、あのシーンをこの時点で使用するなんて、出演しなかった金沢碧さん一体どんな気持ちだったのでしょう…。(苦笑)
そして、洋子の家へ線香をあげに行ったカースケはご主人(森本レオ)から子供が出来たことなど無いという事実を聞く。
前作で、洋子が子供が出来たと言うのはカースケにけじめつけさせるために言った出任せだった。
この事で、冒頭の無邪気に女好きなカースケに続き、本気で思うと徹底的に熱い気持ち生きて行こうとする熱血漢カースケの側面が出てくる。
息子が入学した問題のある子達に教育を施す学校の女教師から、学校の行事に参加する日に洋子の弔いに行き、代理で十朱幸代演じる訳有り女性を行かせたことに対し父親の責任を問われ責められると「あんた、本気で惚れたことがあるのか?」と逆に問いただす。
同時に、心を閉ざした理由を人や社会のせいにして、甘えている息子に手を挙げ、「自分で前に進めば絶対に誰かが手を差し伸べてくれるものだ」と諭す。
ここから、カースケは自分がどう生きたかを東京やオメダのいる米子へ息子を伴って旅をする。
この事で父親の背中で、というか父の横で、何かを感じはじめて、自分の殻を剥き始める息子。
一方オメダは案の定「隠し子発覚」というビラを対立勢に撒かれ、苦戦を強いられる。
しかしオメダはカースケに「あの子供に人生は素晴らしいって感じてもらうためにしているやっている。市長は他に代わりはいるかもしれないが、この事は自分でなきゃ誰も出来ないだろう」と説明する。
同じ頃、訳有り女性の元に旦那が探させた探偵社がたどり着く。
彼女は、一人で旦那の会社を支えて働き通している間に、その旦那は浮気し外で子供つくると、あろうことか旦那の母親が孫が可愛いと言い出し、彼女に子供ができないことを責めるようになったと言う。
そこで、会社の金を全て自分が作業をしないと動かすことが出来ないようにしたまま海外へ旅に出たのであった。
その後彼女は、カースケと息子の絆(私見だが、カースケと女性教師の間にロマンスが始まりそうな気配を感じた。それも彼女は察知したのもあるのか?)を目の当たりにして帰京を決意。
オメダも無事3期目の当選を行う。
最後に、徳島の漁港を離れる十朱幸代扮する女性に、カースケ、オメダ、グズ六が花を一輪づつ走り出した電車の窓越しに渡し、ホームの最先端で「~10年目…」の最後のシーンのように3人並んで去り行く電車にお辞儀をするのだった。

シリーズ通して、先にも書いたようにグズ六、洋子、それに加え真弓とオメダの妻がカースケやオメダ以上にいい仕事をしていた感がある。
そして、「やっぱり世間は絶対思い通りにいかない。その中で自分らしく生きることの難しさとともに大切さも知る」という感じでもある。
1975年から10年おきに製作されているが、「~三十年…」は前作から8年後である。
2003年の放送だ。
となると、来年2013年~再来年の2015年には「俺たちの旅~四十年目の…」が観れるのか?
60歳代になった、カースケ、オメダ、グズ六たちがどうなるか。
また周囲の人間たちもどう関わっているのか、それはそれで興味はある。

追記)出演者の水沢有美(いろは食堂の奈美ちゃん)さん出演舞台観劇後、ご本人に接触出来たことを記しました。
こちらでどうぞ!