昨日、ブルーノート東京でジャズトランペッター日野皓正氏のライブを見た。
日野皓正といえば、渡辺貞夫とともに国内&海外での実績を持ち、お茶の間にも馴染みのあるジャズミュージシャンの双頭の1人だ。
日野氏はこれまで、ジャズというフィールドの中で様々な形態の音楽遍歴を持ち、ビバップからフュージョン、他にも多くの形の「ジャズ」を演奏していたが、今はもう何年も難解なフリージャズの演奏となっている。
正直言って、私は「フリージャズ」や「現代音楽」、「実験音楽」と称されるメロディーレスで不協和音をただ出し続けている音楽は苦手だ。
しかし、それらの音楽を楽しく接することが出来るかもしれないと思う言葉を日野皓正の口から聞いた。
それは、日野氏の絵画展でのトークショーでのことだった。
日野氏の描く絵画は鮮やかな色彩をまとい、抽象性と具体性のバランスがあり、興味深い作品が多かった。
そこで、司会役が「どういう風にすると、こういう絵を描けるようになるのですか?」といった質問に対して、日野氏曰く「絵なんて誰でも描けるの。ホント、例えばどこかキャンバスの1箇所に点を“チョン”と書くでしょ、そうしたら今度はその点に対してどこか別のところにまた点でも何でもいいや、書いてみるの。そんな事をね続けていって、たまに点を線にしたり、色を変えたりとかね、そういうことをやり続けてごらん、そのうち絵になるから!最初のうちは何枚も絵にも何にもならないけど、それも踏まえてまた新たに描き続けるとね、なんかそれらしい絵になるから!」というような事を言われた。
私は、絵画は音楽より興味が薄いので「なるほどそんなもんなんだ?!」と思って聞いた。
でも、それって日野皓正がやってるような難解な音楽でも、自分なりに「きっとこう思って、こんな音だしてるのかな?」とか「俺だったらこういう事を考えて音を出してやりたいな」とか勝手に自分の中で申妄想気味に楽しむといいのでは?と思った。
難解なものは得てして知性がいるもので、そしてそれらを形に出来るのは大御所が多い。
そんなすごい人たちのすごい演奏を、お馬鹿な私の頭の中で「おかず」として勝手に解釈して楽しんじゃう、そんな気分で接すると、難しい音楽にも楽しく接することができるきっかけになるのではないか?と思えたのだった。
そして、その日野皓正の昨夜の生演奏。
やはり、耳だけでなく目で見ることで演奏の迫力やアドリブやセッションのライブ感が伝わるので、全く飽きずに鑑賞できた。
加えて今回はドラムレスで、リズムにはなんと海外での評価が高いヒップホップDJのdj honda氏がリズムやサウンドメイクの基盤を担っている。
あの伝説のジャズトランペッターであるマイルス・デイヴィスの最後の到達地がやはりヒップホップとジャズの融合だったので、日野皓正もその域に到達したのだろうか?
そもそもdj honda氏の「DJ」という仕事は、元々ある音楽を破壊し再構築する作業なので、ジャズの持つ「セッション」や「即興」というものとは真逆のアプローチによる音楽なので、ある意味で不可能を可能にした珍しいライブと言えるだろう。
その上に、ツイン・ベースにツイン・キーボードという楽器の配置で、ベースはウッドベースとエレキベース、キーボードは生ピアノとシンセサイザーという、アナログとエレクトリックで同じ楽器を取り入れていたのも興味深かった。
ラストの曲の前に唯一MCが入るも、親父ギャグ・駄洒落炸裂!
さらにネガティブトークをこれでもかと被せるのだが、もちろん自虐的ユーモア。
「最近の日野はなんかよくわかんない音楽しかやらないからもう聴かないとよく言われます。」(おいおい)
「だから、今日やった曲名も別に言いません。」(おいおいおい)
「CDも作ったけど売れないだろうから」(おいおいおいおい)
そんなトークを受けて、エレキベース担当の日野皓正氏の息子・日野“JINO”賢二がトークフォローし新作『AFTERSHOCK』にかけた演奏者たちの意気込みを簡潔かつ熱く語ってくれた。
彼は、このライブのキーマンでもあり、バンマスとして演奏者を時に見守り、時にリードしていた様子が窺えた。
最後はもうテンション高く、おそらく予定よりも長い演奏になったのだろう。
「アンコールは出来ません」というトークとともにステージを去っていった。
生日野皓正は、カッコ良さ、お茶目加減、挑戦心、自然児ぶり、そんな何ともチャーミングな大人(今年69歳とのこと!)だなぁと実感しました。
常に、第一線で人前に立つ人物は、色んな面で「魅力」がないと務まらないのであろう。
ほんの少しの時間だが、それが日野氏の生き様にあるに違いないと思わせてくれた。
本日7月26日もブルーノート東京にて2回公演を行ないます。