エディ・コクラン50周忌 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

今、エディ・コクランというロカビリー・シンガーのCDを聴いている。

実は私のこのブログのプロフィールに貼ってあるモノクロの写真の人物がエディ・コクラン である。

今日4月17日はエディ・コクランの命日である。

1960年4月17日彼はイギリス・ツアーからアメリカへ帰るための工程中のタクシー事故で21歳という若さでこの世を去った。


エディ・コクランという名を知らなくても「サマータイム・ブルース」、「カモン・エブリバディ」という曲は聴いた人も多いかな?と思う。

これらはロック・アンセムとして多くのアーティストがカバーしてきた。

上記のリンクで見てもザ・フー、ハンブル・パイ、布袋寅泰、RCサクセション、等々いるが、これらのナンバーは他にもレッド・ツェッペリン、セックス・ピストルズ、ブライアン・アダムス、子供ばんど、他、世界各国のアーティストがカバーしている。

このカバーしているアーティストがリスペクトしていることで伝説のロックンローラーとなっているが、一番はビートルズの結成のきっかけになったということだろう。

ティーンだった頃のジョン・レノンは不良少年型で当然ロックンロールに夢中でエディ・コクランはお気に入り、ポール・マッカートニーは根っからの音楽少年型で何でも耳コピーして演奏してしまう。

ロックバンドを作りたいジョンが、楽器演奏の巧いポールにロックンロールできるか?と訊いたら即座に演奏したのがエディ・コクランの「トゥエンティ・フライト・ロック」だったので二人は意気投合した。

同じ頃、後に出会うジョージ・ハリソンはエディの追っかけをしていた。

これがエディ・コクランを知らない人でも彼の魅力を語る上でいかに影響力のあるミュージシャンだったかを知らしめる逸話だ。


私の高校~大学時代の親友が高校時代にこのエディ・コクランを聴かせてくれてその存在を知ったのがきっかけだった。

丁度親友の誕生日がエディ・コクランの命日の4月17日ということも何か縁のようなものを感じたそうだ。

その親友は以前このブログでも書いたが 、今は癌治療しながら家族を守って生きている。

そのブログで貸していたので返すと言って返してきたのがエディ・コクランの文献やCDだった。

親友とは大学卒業記念で旅に行ったのだが、それがエディ・コクランの墓参りだった。

1980年代前半ではまだインターネットも無かった時代。

同人誌にあった正しいか解らない記事を頼りにとりあえずアメリカへ向かった。

途中色々な情報も出てきて多少慌てたが、無事に見つけられた。

カリフォルニアのベルガーデンとかいう町だったような気がする。

(※サイプレスという街の間違いでした、すみません!2011.3.7追記 。)

「Forest Lawn Memorial Park」という墓地だったが、どうやらこれはチェーン店(?)なのか、他にも同じ名の場所があって、それで前述のように慌てたのだった。

墓の脇に、愛用のサングラスと花を添えてきた。

あ、記念に魚拓なる「墓拓」を取ってきたっけ。(苦笑)


現在は2010年、エディ・コクランが死んでちょうど50年。

生きていれば71歳か…。

彼のことは他にも書きたいことは沢山あるのだが、おっさんのクドい戯言になるとまずいのでこのくらいにしておこう。

皆さんもよかったらエディ・コクランを聴いてみて下さい。