トラウマな自分を捨てる方法 ~もう私の“闇”は消えた~ -4ページ目

トラウマな自分を捨てる方法 ~もう私の“闇”は消えた~

虐待・いじめ・DVなどのトラウマ体験で「生きるシアワセ」が無かった自分が 『“心理臨床家”がんちゃん先生』との出会いで、トラウマを捨てて、シアワセになった体験談と無名ながんちゃん先生の応援ブログです。

こんばんわ


ココロのリフォーム 解決スイッチセラピー の


「がんちゃん先生」 宣伝ブチョー 

http://ameblo.jp/iwamotomasakazu/


ココロハレルです。







やっと、病院に着いて


エレベーターを待ってられずに


階段を駆け上って





走ったせいなのかもしれない






心臓がバクバクして



止まらなかった









集中治療室の前の



インターホンを押した








「はい・・ICUです」



「あっあの・・〇〇の娘ですけど・・ここに入ったって電話があって・・」



「・・・あ~はい。控え室でお待ちください」



「はい・・・」






狭い控え室に入って




吹き出す汗と、



心臓の激しい動悸を



抑えるために








何回、深呼吸しただろう







深呼吸する度に











逆に・・・涙が溢れて止まらなくなった










「お母さんは、今どうなってるんだろう・・・・」


「生きてるのか?もしかして・・・もう・・」









座って待つことも出来ず、でも


動くことも出来ず







1人で・・・・・何分・・・何時間?・・・・待ったんだろう







「きょうだいに知らせなきゃ・・・でも、今ここを動いたら・・・」


どうにも出来ずに時間だけが過ぎていく感じがした














たまたま通りかかった看護婦さんを見つけて








「あの・・・〇〇(お母さん)は、大丈夫なんですか?」って



問い詰めるように聞いた






「今、処置をしてて・・・もう少し、お待ちください」






「電話をかけてきてもいいですか?すぐに戻りますからっ!」






「はい、いいですよ。担当に伝えておきます」













(なんなんだ・・・あの対応は・・意味が分からん)


(処置って・・・なんなんだよ。何があったのよ)






めちゃくちゃ急いで来たのに、


何の説明もなく



聞いても、生きてるのかもよく分からない状況に


腹を立てながら



電話を掛けられる場所まで


走った





(こんな時に一番連絡が取れるのはアイツだっ)


ってお父さんに電話して







「お母さんが・・ヤバイから・・みんな(きょうだい)に連絡して」



そう伝えると



またすぐに控室に戻った














そこから、またどれ位か分からないけど


時間が経って






主治医の先生がやってきた









なんか凄く汗をかいてて


大変だったことを物語ってた





「心臓がケイレンを起こした状態になってね、1回止まったんだよ。」


「あっでも、今は戻ったからね。」


「ただ、呼吸も止まってたから呼吸器とかも付いてるけど、意識はあるよ」


「安定したら呼吸器は、すぐに外せるから大丈夫。心配したね。」







病院から電話があってから


ずーっと、気を張った状態で





ホッして緊張が解けたのと




初めて労いの言葉をかけられた気がして






またボロボロと涙が溢れた








真っ赤になった顔を洗いにいって


泣き顔をなんとか抑えて






やっと、お母さんに会いに


集中治療室に入った









お母さんは、口に管が入って呼吸器がつながってて


少しぼーっとした感じがあったけど


ワタシの顔をみて


ニッコリ笑った








「もう~心配した~」


ワタシが声を掛けると





呼吸器があるから


声は出ないけど





口を動かして







「発表会は出られたの?」だって







こんな時も


ワタシのことかよっ!ってビックリしたけど


またまた、泣きそうになった








「ちゃんと出て、もう終わったよ」って


その時に撮ってもらってた写真を見せた


それを見て、








声の出ない声で


「良かった~」って笑ってた

こんにちわ


ココロのリフォーム 解決スイッチセラピー の


「がんちゃん先生」 宣伝ブチョー

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ココロハレルです。







その日、朝から始まった「発表会」は


昼前には無事に終わった





お母さんに見せるための「写真」も


携帯とカメラの両方を


しっかり撮ってもらった





昼過ぎからの面会時間に


そのまま行くつもりで




病院の近くで


友だちとランチして


少し時間を潰そうと


店に入った





撮った写真見ながら


「この顏ヤバイね~」とか


ゲラゲラ笑って


おしゃべりしながら




注文した料理がきて


半分くらい食べた時











携帯が鳴った

















「〇〇病院」













画面に表示された文字を見て










一瞬だけど






すごく長い時間






ワタシの手と心が止まった











心臓が止まるような感じって



こんな感じなんだって








もう一人のジブンみたいなのが



感じていた












電話に出ると








「〇〇さん?お母さんが・・急変して・・すぐに来て下さい!」


「今、どこに居るの?すぐ来れる?ICU(集中治療室)にいるから!」






受話器から耳を離したくなるくらい


大きな声









入院先の病棟の


看護師長さんだった










「・・はい、近くなので・・・すぐに行きます」


そう話しながら










ワタシは、無意識に何も言わず


その場を立ち去ろうとしてた









友だちに


「(車の)運転大丈夫?乗っけて行こうか?」って


声を掛けられて




ハッとして


「うん、大丈夫。あっお金は後で払うから」って




こんな時に、ランチ代のこと


言いながら








気が付いたら運転してた







病院まで車で10分くらいの場所だったけど





本当はいけない事なんだけど






何回、赤信号を突っ切ってしまったんだろう






どれだけ、スピード出しても








病院までが、もの凄く遠くて








「なんか・・・前にもこんな事・・あったな・・」って



思い出したりもしてた



こんばんわ


ココロのリフォーム 解決スイッチセラピー の


「がんちゃん先生」 宣伝ブチョー

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ココロハレルです。








お母さんは、入院してから


飲み薬と点滴で


心臓が悪くなったせいで溜まった


肺の水を抜く治療をはじめた





あとは


血圧が上がらないように


塩分の制限された


食事療法とかで、




今までの入院の


「手術」とか「寝たきり」とかの


見た目に、〝重症そうな感じ″


は無かったけど











今まで何回も入院をして



その姿をみてきたけど・・・



今回も、いつもと変わらず



笑顔だったけど・・・







なんだか


時々見せる


少しだけ苦しそうな表情に





どうしていいか分からないワタシがいた









先生の説明は


「少しづつ安定してきてますよ」とか


〝前向きな″感じだった






心臓に負担がかからないようにしながら


リハビリも始まって


お母さんは


「頑張らなきゃね~」って笑ってたケド






何とも表現できない・・・


ココロの奥の


大きな不安があった








でも・・・・・・・・


それを認めると


〝本当″になってしまいそうな気がして






「元気になってよかった。よかった。」


「もう~、毎日は(お見舞いに)来れないんだからね~」


「ワタシも忙しいんだからっ」って


そんな事を言って






〝あえて"フツーに・・・


友だちや彼氏と遊んだりして・・・・・


「お母さん、大丈夫?」って


聞かれても


「もう、けっこう元気になったよ~大丈夫!」って





〝おっきな強い不安″を隠すようにしてた











お母さんが入院して1ヶ月が経った頃


お見舞いに行ったワタシに


「明日、行けなくて・・・写真撮って見せてね」って・・





翌日、ワタシは、ちょっとした「発表会」みたいな


ものがあって、


それに出席出来ないってことを


申し訳なく思ってるようで、





「別にそんなたいしたもんじゃないから~」



「親が来ない人なんてたくさんいるから気にしないで」



「昼には終わるから、その後で(お見舞い)来るね」



その日は、こんな話をして家に帰った














これが、〝ちゃんと″話をした








最後の会話









そうなるなんて



思いもしなかった











6年前の




10月20日





もうすぐ7年忌