スーパーツイターは、人間に聴こえないくらいの超高域だけを再生する小型のスピーカーです。

 

聴こえない帯域を再生してどんな意味があるの、という疑問はネットでもたくさん目にします。

 

ギターを弾く人は体験的に良く理解できると思うのですが、たとえば高音弦を交換すると、交換していない低音弦が良く鳴るようになります。

 

スーパーツイータを付けた人の感想でも、高域の改善だけではなく、低域が良くなった、という話はよく聞きます。

 

ある弦を弾いたときに、それに共振する弦が振動しないように押さえておくかどうかによっても、音のクリアさや楽器自体から出る音の響きが変わってきます。

 

鳴らしたい音が、その音に共振する弦の影響を受けるということです。

 

共振しすぎると音が濁るので、10弦ギターや11弦ギターのように弦の本数が多くなると、振動させたくない弦の消音が大変です。

 

この現象は、弾いていない弦に触れると共振で震えているのが物理的に確認できます。

 

こう考えていくと、40kHz辺りのとんでもない超高音が、聴こえる音に影響するのかどうかまではわかりませんが、ギリギリ聞こえる音のオクターブ高い聴こえない音が、聴こえる音に影響することはあり得るだろうなと思っています。

 

こういう経験をしているので、「聴こえない=意味がない」という構図にはなかなかなりません。

 

私の使っているスーパーツイータは、タンノイのST100という機種で、音圧レベルも95dBと高く、耳を近づけるとチーチー鳴っているのが聴こえてます。

 

 

可聴帯域も鳴っているわけで、再生音に影響しているのはうなづけます。

 

一方で、聞こえないはずの帯域の音が、なぜ聴こえてしまっているの?という疑問はあります。

 

カットオフ周波数が、低いのかもしれません。

 

スーパーツイータの効果はあくまでも味付けであるし、ソースにもよるので、そこに踏み込むかどうかは、やっぱり「趣味」の領域であると思います。

 

プラシーボ効果(思い込み)も侮れないですし。

 

ここでハタ、と思ったことがあります。

 

チーチーと聴こえていても、その音は、スピーカーシステムから出る音よりはるかに小さいわけです。

 

スーパーツィータ専用に、別のアンプを用意して、思い切り音量を上げたらどんなことになるのでしょうか。

 

こういうことをやり始めると泥沼の世界に入ってしまうので、時々、面倒くさくなり、初心に帰って、シンプルな構成にしたくなります。

 

今はちょうどそんな気分のサイクルに入っていて、目の前にあると気にもなるので、いっそのこと手放そうかな、などとも考えています

上野にある国立化学博物館で、ワイン展のついでに、特別展「渋川春海と江戸時代の天文学者たち」を観てきました。

 

 

渋川春海は、1639年に幕府碁所四家のひとつである安井家の長男として生まれました。

 

幕府碁所四家とは、将軍の前で囲碁を披露する役目を持った家で、その中の「本因坊」家の名前だけは聞いたことがありました。

 

14歳で父のあとを継ぎ、その後の江戸時代最強と言われた本因坊道策との対局の様子は、プロジェクタを使って展示されていました。

 

下の写真にも写っていますが、天の中心は北極星で、その位置にあたる中央にまず一手を打つ、という考え方で勝負しました。

 

 

幕府碁所四家にひとつに生まれた春海でしたが、興味は天文学に向かいました。

 

当時は中国の天文学を基本としていましたが、春海は観測を続け、新たに61星座を加えた天球儀や星図を残しました。

 

天球儀は、徳川光圀の命だったようです。

 

 

オリオン座の三ツ星の下にボーっと観えるM42(オリオン座大星雲)のあたりにある星をつないで、「大宰府」と名前をつけたのですが、どうしてそのような名前にしたのか知りたいところです。

 

春海の晩年と重なる第8代将軍徳川吉宗は、自然科学全般に興味を持ち、特自ら観測装置を考案し、大望遠鏡を作らせて天文台を建て、鎖国していたにも関わらず、書物の輸入を一部緩和するなど、天文学者と言ってよいほどの研究をしていたようです。

 

江戸で最初の天文台は、1690年に本所に春海がつくり、その後1842年までの間に7箇所も設けられました。

 

その後、高橋至時という天文学者が現れ、それは、測量で有名な伊能忠敬へと続きます。

 

光圀といい吉宗といい、こういった天文学の分野に力を入れていたわけです。

 

学校での歴史教育は、文化よりも、政治色が強いような印象が残っています。

 

その時代の人たちが興味を持っていたことに、もっと焦点をあてて授業で取り上げてくれれば、何百年の時を隔てていても、親近感を持って歴史を学べたように思います。

 

 

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カルロ・リッツィ指揮 
ネーデルランド・フィルハーモニー管弦楽団 16分43秒
録音:2012年
アムステルダム、ブルース・ファン・ベルラーヘ
TACET B207
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 2016022201 
 


カルロ・リッツィは、
1960年イタリアのミラノで生まれた指揮者です。

 

このアルバムでは、ネーデルランド・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しています。

 

レーベルはドイツのTACETで、真空管式のマイクで録音されたものです。

 

私のアルバムはCDですが、LP盤もあり、これはちょっと変わっています。

 

LPは、外周に針を落とすと内側に向かって進んで行くのが普通ですが、このLP盤では、内周に針を落とすと、外周に向かって進んで行くのです。

 

これは、「ボレロ」の特性を考えると、とても理にかなっています。

 

ターンテーブルは、常に一定回転で回るので、一定時間で針の進む距離を考えると、外周では長くなり、内周では短くなります。

 

レコードは、音の振動を溝に刻むので、大音量や重低音では溝が深くなります。

 

「ボレロ」は、最初は最弱音で始まり、最後は大音量で終わるので、通常のLPレコードだと、単位時間に進む距離が短い内周側に大音量かつ楽器の情報量の多い溝を切らなくてはなりません。

 

幅の狭いところに、物理的にギュウギュウ詰めするわけで、最後のクライマックスを歪みなく再生することは至難の技です。

 

 

廉価版初期のころ、片面に長めの交響曲1曲を詰め込んでしまう「お得な」企画では、最後に歪みっぽくなるLPがありました。

 

外周側にクライマックスを持っていけば、大音量の情報を溝に刻みやすくなるはずで、TACETの試みは理にかなっています。

 

さらに、このアルバムでは、オーケストラを360度に配置して録音しているそうで、録音には非常にこだわったアルバムといえます。

 

実際にステレオで聴いてみても録音の優秀さは素晴らしく、順に変わるソロ楽器の位置がよくわかります。

 

演奏では、管楽器が端正で安定したリズムの上に載って、自由に妙技を披露しているように聴こえて、楽しい「ボレロ」となっています。

 

このアルバムは、ラヴェルの管弦楽曲を集めてあり、「ボレロ」以外の曲、たとえば「マ・メール・ロア」や「亡き王女のためのパヴァーヌ」なども、楽器の分離のいい、美しい演奏です。

 

なかなか気に入りました。