マンションの改修工事のときにもらったサッシを使った、小屋のリフォームを始めました。



 

この壁面に取り付けて、採光面積を広くし、ここからデッキにも出入りできるようにしようという計画です。

 

枠ごと貰えれば楽だったのですが、枠は取り外されなかったので自分で作らなければなりません。

 

枠として巾20cmのカフェ材を使い、レールはL字型のアルミ材を使う事にしました。

 

アルミを切断できるのこぎりを買い、長さを正確に測って切断。




 

枠に取り付けるためのネジ穴は、金属用ドリルであらかじめ開けておきます。



 

サッシ1枚分のレールを、上下用のカフェ材に固定すると、こんな感じになりました。

 



次に2枚のサッシがぶつからないように、かつ隙間ができないようにもう1本のレールを取り付けます。

 

サッシを仮置きすると、いい感じでスライドしました。



 

縦方向の高さは、少しだけ枠を浮かせるくらいにして長さを決めないとスライドしにくくなるので、板の長さを決めるのにちょっと手間がかかりました。

 

枠が出来上がると、こんな感じに。



 

でも、よく見ると、右側のガラスがありません。

 

実は作業中に倒れて、木っ端みじんに割れてしまったのでした。



 

ガシャーン!と音がした瞬間、やってしまったと青くなりました。

 

ここまで作るのに、たいぶ考えたし、アルミ材が安くは無くて、ちょっと費用も掛かっています。

 

一瞬呆然としましたが、あきらめるわけにもいきません。

 

ガラスのはめ方を調べると、アクリルや中空のポリカの板を使えば何とかなりそうです。

 

材料を調達しなければ先に進めないので、とりあえず壁面に移動して、倒れないようにL字金具で固定しました。



 

帰りにホームセンターに寄って、使える材料を調べたところ、中空のポリカ板が2000円くらいでありました。

 

小屋作りをしていると、こんなハプニングはたくさんありますが、アルミサッシのガラス交換の方法がわかったのは収穫でした。

 

 

電子ペーパーのクアデルノはかなり便利で手が離せなくなりました。

 

うっかり鞄に入れ忘れて出てしまうと、無いことに気が付いたとき、不安になってしまいます。

 

クアデルノには、テンプレートとして、スケジュール表が用意されています。

 

マンスリー、ウィークリー、デイリーの3つがあり、それぞれがリンクされている点が紙のスケジュール表と異なります。

 

私の場合、スケジュールはGoogleカレンダーを利用していて、iPhoneとは、『さいすけ』というアプリで連携しています。

 

ToDoもスケジュール表に書き込んでしまうため、ToDo用のノートやアプリは使っていません。

 

ToDoは、いつかやることなので、重要なものは「何月何日の何時からやる」と決めてスケジュール表に入れてしまえば、しっかり時間も確保できます。

 

クアデルノを使い始めて悩んだのが、スケジュール表をどうするかという事でした。

 

Googleカレンダーとの2重管理はナンセンスです。

 

しばらく悩んだ末に、次の様にしてみました。

 

デイリー

→その日あったミーティングや重要な事のメモを書く

 

 

 

マンスリー

→メモを書いた内容の見出し用として小見出しを書いておく

 

 

 

 

このようにしておくと、マンスリーに書いてある小見出しから、メモの内容に飛ぶことができます。

 

マンスリーは、見出し一覧として使うという考え方です。

 

ウィークリーは、急に思いついたアイデアなど、その週のどこかでやろうと考えてたことを、やろうかなと思った週に、ToDo的に書いておきます。

 

緊急性が少なくて、優先度が低い内容であることが多いため、その週にできなかったら次の週以降に転記し、優先度が上がったらGoogleカレンダーに転記します。

 

 一応マンスリーを見れば、メモを取る必要があった打合せだけがカレンダーとして残る事になる事も見直すときに便利です。

昔から哲学は、「役に立たない学問だなあ」と思っているのですが、自分が死んだら世界も消滅するんだろうなという感覚や、私という意識とはどういうことなのだろうと不思議に思う気持ちがあって、その答えを求めようと、20代から時々哲学本を手に取っては挫折を繰り返していました。

 

存在する世界の中で、後から生まれた言語を使って世界について語る事自体が難しい事だとは思うのですが、それを承知で本を探すわけです。

 

ヴィトゲンシュタインが気になったのは、彼が『論理哲学論考』を書き上げた時、これで哲学についてはやり尽くしたとしてそこでペンを置き、高校の先生になったと言う文を目にした事がきっかけでした。

 

ヴィトゲンシュタイン自身は、一般的な学者のように哲学について専門的に学んだわけではないということにも惹かれました。

 

「およそ語られうる事は明晰に語らえうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」なんて言う考えは、何とも潔いではありませんか。

 

岩波文庫にあった『論理哲学論考』を手に入れ、少しずつ読んではみたものの、訳文のせいなのか、そもそも内容が難しいためのか、なかなか書いてあることの本意が読み取れません。



 

こんな時にはドイツ語の原書に当たると良いのでしょう。

 

ドイツ語は、大学1年生の時の第2外国語として選択した最初の授業で、男性名詞や女性名詞の区別のようなめんどくさいことがある言語は自分の性に合わないと、授業の途中で教室を出てしまい早々に諦めた言語です。

 

これについては反省していて、なぜ男性名詞と女性名詞に分けたのだろうという点に興味を持てば、別の展開があったかもしれません。


「およそ、読みえない言語で書かれた本については、自分は沈黙せねばならない」という事で原書は早々に放棄です。

 

『論理哲学論考』は、一つのテーマでダラダラと書かれているのではなく、1行から数行で簡潔に書かれているのでわかりやすいはずですが、書いてある事を理解するのは難しい。

 

そんな時に見つけたのが、この本です。



 

中学生のために書かれた内容らしく、全く難しくないわけではありませんが、これを読んでから『論理哲学論考』を読むと、グッとわかりやすくなります。

 

難しい言い回しはほとんど使っていないので、わかりやすい言葉や表現で授業をしてくれる教授の授業に出席しているような気持ちになれます。

 

「倫理」を語る事や、「宗教」を語る事には昔から抵抗感があって、そう感じる理由も提示してくれそうなので、これら2冊の本を少しずつ読み進めています。