ちょっと間が空いてしまいましたが、今日は靖国神社に行った時の事を書きます。
JR飯田橋駅から歩いて10分程、この日は非常に暑くて、北国育ちの僕は汗ダラダラになりながら歩きました。
東京の人が見たら、すぐに田舎者だってわかるんだろうな~きっと・・・
正面から入ると大きな鳥居が並んでいます。
日本陸軍の父と言われる大村益次郎の銅像や、日露戦争時の連合艦隊司令官、東郷平八郎のレリーフなど、
旧日本軍ゆかりのメニュメントが並んでいます。
やはり、この神社は明治に入ってからの軍隊の歴史と共に歩んできたんですね。
明治政府が出来て、幕藩体制に替わって中央集権的な国家や軍隊を作る為に、
靖国神社のような精神的支柱が必要だったのでしょう。
最後はその精神主義がひとり歩きして、悲劇的な結末を迎える訳ですが・・・
東屋で一休みした後、色々な資料がある遊就館に入ります。
ホールに入ると目を引くのはやはりこのゼロ戦です。
スマートで無駄のないスタイルはやっぱ美しいと思います。
ですが、極限までの軽量化を目指した結果このスタイルになったのであり、
その結果どの戦闘機にも負けない運動性を手に入れたのですが、
代償に防御力が無に等しくなり、撃墜されやすい機体であったそうです。
こちらは参考までにアメリカ軍の戦闘機、グラマンF6Fヘルキャットです。
ちょいと不恰好ですが、装甲が厚くて防御力が高く、生存率が高かったそうです。
重い分は強力なエンジンを載せて、馬力でカバーしました。
日本は馬力のあるエンジンが作れなかったので、軽量化を試みたという訳です。
日米の設計思想と国力の違いがよく表れていると思います。
遊就館の中は、戦争の資料館といった感じで、主に明治以降のの戦争を中心に、
古代から近代までの武具などが並べられています。源平や戦国時代だけではなく、
飛鳥・奈良時代の頃の鎧や弓矢なども展示されていたのにはびっくりでした。
基本的には館内撮影禁止なのですが、こそっと休憩所から見えるので撮ってみたのがこれ、
戦争末期に開発された特攻機「桜花」です。機体のほとんどが爆弾になっています。
中型の爆撃機で前線まで運んで行ってそこで切り離し、あとはロケット噴射で直進し、
敵艦に突っ込むという人間ミサイルとでもいうべき兵器です・・・
こんなのまで作って戦った日本軍の狂気、そしてこれに実際に乗った人のやるせなさを感じます。
実際の戦果はほぼゼロに等しかったといいますから、なおさらそう思います・・・
資料館の終わりの方は、特攻隊の方の写真と、出撃前の遺書が展示されています。
遺書はほとんどが、育ててくれた親への感謝と、先に死ぬ事のお詫びの言葉が書かれています。
写真を見ると、10代位のあどけない顔も沢山あり、非常にいたたまれない気持ちになります・・・
独身のままで戦死した息子のためにと、母親達が作った花嫁人形も展示されており、
息子を失った母親の気持ちを思うと、また悲しい気分になります。
靖国神社は今色々物議をかもし出していますが、
巷で言われる通り、当時の日本軍や特攻攻撃を美化しようとしている点はやはり感じます。
でも、戦死していった人達のほとんどは、後世の人が自分達のように戦争で散っていく事を
望んではいないと思います。
その辺を感じるかどうかで、ここに対する見方はかなり変わると思います。
最後に本殿の前で「戦死した人達のご冥福を祈るとともに、再びこのような悲劇が起きませんように」
と祈りながらお参りをして、神社を後にしました。
次回はその他色々回った所などの感想を書きます。



















