エッセイタイトル

 

【KEEP SWIMMING 1】

〜バンタンが連れてきた雪解け〜

 

 

ー無糖ソルトー

 

 

"人の不幸は蜜の味”って言葉がありますが、

私にはそれが本当によくわからなかった。

 

多分1ミリも共感てきないのは今も同じ。

 

 

 

こんなんだから、

 

 

 

『ソルトさんは純粋培養だもんね…』とか

『その白さが眩しくて近づきたくない』とか

『苦労知らずそうでなんかムカつくわ』とか

 

 

 

陰口を言われたことがあって、若い頃は結構傷ついたものだ。

 

 

 

陰口って絶対に耳に入ってくるのよね…

何故か教えてくれる人がいるからw

 

(あれは親切なんだろうか……?)

 

 

 

まぁ、”知らぬが仏”よりは知った上で自分を見つめるのもいいよね。

 

 

ってことで、若かりし頃は自己肯定をするのが難しかったの。

 

 

自分って嫌なヤツなのかな…こんな自分と一緒にいてくれる人って凄いんだな…自分には好きになってもらう価値がないんだな…

 

 

なーんて、卑下したり。

 

 

ちょっと悪いくらいが世の中渡りやすいのかな…とか、ちょいワルに憧れた時期もあったり…。

 

 

 

そんな経験の土壌があって、空気を読み自分の意見も極力言わないようになっていった高校時代。

 

 

物心ついた頃から自分軸というものが自然と強烈に備わっていた自分としては、今思えば他人軸で生きるそれは、ひどく苦痛な時代だったかも知れない。

 

 

 

表面的には円滑円満な交友関係でも、いつもなんだか寂しい気持ちを抱えていてたし。胸の真ん中に500玉くらいの穴がいつも空いていて隙間風が通り抜けていくような感覚を覚えていた。(まぁ、思春期だったから…)

 

 

 

 

 

でもある日、18才の姉から目の覚めるような言葉を浴びせられた。

 

 

『あんたさ、いつもニコニコして合わせておけば人に好かれるって勘違いしてない? 人はね、本音を言わずに何を考えているか分かんないようなヤツが1番キライなんだよ。』

 

 

って。16才の私に容赦なく。

 

 

これは、当時の私にはキツかった。

(言い方も含めて…まったく優しくなかったから)

 

 

 

 

八方美人やってんじゃないよ!

 

 

ってことだったんだろうけど、『仕方ないじゃん、月星座が天秤座なんだから』とか開き直れたのはオトナになってからの話。

 

 

 

 

姉よ、私は小・中学生時代に天真爛漫すぎてなんでも思ったことをストレートに伝えすぎて嵐を呼んだことがあるから、高校時代は平和な道を選びたかっただけだよ。だってその頃の私は、人から嫌われたくなかったんだもの。

 

 

 

だけど、こんな涙ぐましい協調性満点な日々を送っていても嫌われることはあった。

 

 

 

 

参考までに以下、PICK UPすると…。

 

 

 

 

A 『私さ、キラキラ輝いている人を見ると引きずり下ろしたくなるんだよね』

 

 

ソルト『どうして?』

 

 

A 『だって、私はいくらがんばってもそうなれないから。私のところまで降りて来させたいんだ』

 

 

ソルト 『えっ…? 引きずり下ろしてもAちゃんの立ち位置はそのまま変わらないよ?』

 

 

A 『うん。わかってるよ。それでいいんだよ。見上げなくて済むから』

 

 

ソルト 『……そうなんだ…。でも他人から見たらキラキラしてる人も、実際にはそうでもなくていろいろあるかもだよ…?』

 

 

A『だとしても、私が手にできないものを持ってるじゃない。私が欲しくて仕方がないものをちゃんと持ってるから赦せない。わたしと同じになればいい』

 

 

 

 

と。なんとも形容のし難い激しい視線を私に向けられたから、Aが言うキラキラしてる人とはどうやら私も含まれていることにも気がついてしまって胸が潰れそうになった。

 

 

 

 

えっ…。そんな、私はなにも持ってないのに、なぜ? どうしたら赦してもらえるのかな‥?と悩んだりもした。

 

 

 

そんな苦い経験をいくつか越えて、私は気がついたことがある。

 

 

世の中には私を好きな人、キライな人、どちらでもない人の3種類がいるってことを。

 

 

 

なのに、キラってくる人からの愛情を求める傾向があったのは何故だろう。不毛すぎる。

 

好きでいてくれる人に意識を向ければ楽しくいられたのにね。

 

 

私を気に入らない人たちは、私が何をやってもやらなくても気に入らないのに。

 

 

 

そのことに気がついた時、もう開き直ることにした。気の合わない人とは距離を置き、気の合う人とだけ一緒にいればいいと。

 

 

そうすると、いつの間にか周りには本当に私にはもったいないくらいの、優しくて楽しい人たちしか居なくなった。

 

 

(いや、最初からいてくれたのに意識を向けていなかったのかも知れない)

 

 

 

人の幸せを喜びあえる天使みたいな人たちとだけ一緒にいて、妬み嫉みの人たちのことはほっとこう。と、それからは過ごしていた。

 

 

 

でもさらに年齢を重ねたら、その考え方はだんだん変わっていった。

 

 

 

 

なぜなら。あれっ?私の中にもちゃんと闇はあるじゃん、と気がついたから。

 

 

幸い、人の不幸を喜ぶ闇は持ち合わせてないけれど、幼い頃に母から傷つけられた心の闇が実はあって。

 

 

 

それはただ小箱にカギをかけてハートの湖の底の底に沈めただけで、ひょんな拍子に蓋が開けば、なんら色褪せない極彩色の痛みとなって私を苦しめるのだ。

 

 

ただ、忘れたフリをして生きてきただけだったその苦しみの最たるは…。

 

 

 

母を赦せていない自分を、赦せない。

 

そんな罪悪感やるせなさで。

 

 

それらが私を蝕んで壊しそうになるのがありえないくらいに辛かった。

 

 

 

私の

 

それは母から愛されなかったこと。

 

 

 

 

不遇を味わった私だけじゃなく優遇された側(姉)も、父親ですらそれを認めていたのだから私の僻みや勘違いでは決してない。

 

 

 

 

結局、その昔、自分をキラってくる相手から好かれたかったのも、根っ子はこの、母から愛されなかった傷が原因なんだと気づいたのが40歳の頃で。

 

 

 

傷ついている事実を思い切って母に伝えたのが、42才の頃。

 

 

 

私はただ、母に謝ってほしかっただけだった。

 

 

再三にわたり…いや、現在進行系で傷つけていることを認めて欲しかっただけなんだけど、母は謝ってはくれなかった。

 

 

言葉自体は穏やかだったけれど、内容は弁解と自己防衛だったのが残念だった。

 

 

 

だけど、あの時は傷ついている事実を伝えられただけで満足をしている自分がいて、言いたいことの半分も伝えることはできなかった。

 

 

だから。ここで。

 

 

言えなかった私の本心を書かせてもらうんだけど。

 

 

 

……

 

 

 

 

 

あのね、お母さん。

 

私はさ、中学のころにはもう諦めていたんだよ。

 

親子といえど自分とは違う人なんだから以心伝心だなんて不可能で、血が繋がっているからって無条件で愛されたり分かり合えたりすることも不可能。

 

 

だから、分かり合う努力が必要だって。

 

 

気が合わない子供を持つ母親も大変だろうな。気が合う子、理解できる子のほうを愛することもムリかぬことだろうなと、一生懸命あなたを理解しようとがんばったよ。

 

 

でも私もお母さんから褒めてほしかった。

 

だからお母さんがいつも優秀だと褒めちぎるオネェちゃんより百倍努力をしたんだよ。

 

 

だけど努力してオネェちゃんを追い越したとき、報われるかとおもったら違っててびっくりしたよ。

 

 

お母さん、あなたは、『なんでもできるソルトは1人で大丈夫だけど、オネェちゃんはいろいろとできないから心配なの』と、姉の保護ばかりしたよね。

 

 

それはオトナになってからも普通に続いた。

 

 

私は18才で家を出て20才からは1円も頼らずに自立してきたけど、30才の頃耐えきれないくらいの大失恋をして、初めて弱音を吐いたの覚えてるかな…?

 

 

『こっち引き払ってそっち(実家)に帰ってもいいかな?』って。(つまりUターンね)

 

 

でもあなたは、『ソルトが帰ってきたらオネェちゃんが出ていくっていうから…。考え直してくれない?』って、けんもほろろに断ったよね。

 

 

ほんと笑える。

 

 

ドラマとかなら、『いつでも帰っておいで。あなたの家なんだから…』って感動シーンがお約束なはずなんだけど、現実はそうじゃない。

 

 

私には傷心を癒す故郷もないんだなってあの時痛感した。まぁ、だから絶対帰るもんかと腹も決まって前進できたけどね。

 

 

結局あなたはあなた自身と姉だけがいつも大切。 私の心なんて想像したこともないでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここで、私と姉との関係性に触れてみよう。

 

 

当時は気づかなかったけれど、私は母の愛と関心が欲しいばかりに、贔屓される姉をいつしか無自覚に恨むようになっていたようなんだ。

 

 

 

これはオトナになってからの話だけど、ある話題から飛び火して、『私だって贔屓されたくてされたんじゃないのにあんたから恨まれてイイ迷惑なんだよ』と姉にブチ切れられたことがある。

 

 

驚いた。

 

 

姉から言わせれば、母からの過保護が重苦しくて、放置される私が自由そうで羨ましかったらしい。

 

 

 

 

それなら代わってほしかった…。

 

ほんと、人生はままならなく、ないものねだりなのだ。

 

 

 

 

 

そっか。私らがずっと仲良し姉妹じゃなかったのは、当たり前だったんだな。

 

 

姉は後ろめたくて私を避けるようになっていたのかも知れないし、私は私で、母の愛情を独占する姉が妬ましかったから、姉から見たら可愛くない妹だったんだろうな。

 

 

 

離れて12年経った頃にそれに気づいて話し合えても、私らの永久凍土は表面しか溶けなかった…。

 

 

 

だが、そんな私らにも転機が訪れる。

 

 

それは、防弾少年団(BTS)との出会いだ。

 

(※以下、バンタンと略称で記載します)

 

 

 

 

 

もういいオトナになった2人のある日の会話で、お互いの推しがバンタン(防弾)だということが判り、共通の話題が生まれて初めてできたのだ。

 

 

 

なんという奇跡だろうか。

 

 

 

私らに、バンタンの素晴らしさを語り合える、そんなポジティブな時間ができたのだ。

 

 

 

 

 

しかも、姉も私も、バンタン好きな部分同じで、心からバンタンを尊敬している所も一緒だったから、なんだやっぱり姉妹なんだな…と思えたりして、その後、自然と距離が縮まり、私らの雪解けが自然とやってきた。

 

 

 

 

バンタンという存在がなかったら、姉妹はいまだに他人よりよそよそしく過ごしていたかも知れないから、本当にミラクルバンタンパワーには感謝しかない。

 

 

 

 

そんな宇宙の采配的な後押しがある中で私もいろんな経験を重ねて、わかるようになったことがある。

 

 

 

それは、親だって子供だって兄弟姉妹だって友達だって誰だって"ただ一生懸命に生きているだけなんだってこと。

 

 

 

 

 

私にどうしようもないインナーチャイルドがあるように、きっと誰にもそれがあるんだろう。姉はもちろん、あの母親にだって。

 

 

インナーチャイルドはどんなに癒してもゼロにはならない。肉体がある限りエゴがゼロにならないのと同じだ。(個人的見解です)

 

 

 

 インナーチャイルド(傷ついた子供心)を癒すのって玉ねぎを剥いていく作業と似ている。

 

 

 

そもそもがその傷は一つじゃないから、癒されたように感じてもそうでもなくて、幾重にも剥き(癒し)続けないといけなかったりする。

 

 

 

しかも、その1枚1枚は時期が来ないとアンロックされないときてるから、段階を踏んで癒されるべきものだとわかる。

 

 

 

 

おまけに人によっては過去世に繋がる傷だったりもするから、魂がストックしている傷も含めて癒しが必要だったりするから、それはもうその人がもつ“人生のテーマ"と同一と言ってもいいくらいだ。

 

 

 

 

しかも剥ききったら、玉ねぎ(人生のテーマ)そのものもなくなってしまうから…。それはエゴ(肉体)の終わりを意味していたりする。

 

 

 

だから生涯、共存しなくてはならないのがきっとこの2つだろうと思っている。

 

 

だから私はこの2つを嫌わないでまるっと受け入れることにしたんだ。

 

 

 

 

 

それまではいろいろと複雑に考えがちだったけど、世界は至ってSimpleだった。

 

 

 

人はみな、

ただ、幸せに生きたいだけ。

 

 

 

 

 

その過程で誰かを傷つけたり傷つけられたりして深みにハマったり、気づきを得たり……。

 

 

 

 

自分より愛されている姉を羨む気持ち。

決して手にはいらないものを欲しがる渇望。

褒められたい承認欲求

理不尽さに憤る心

 

 

いろいろ、いろいろ、ぜんぶ。

私の中にちゃんとあったことを受け入れた。

 

 

 

 

 

 

本当はとっくに知っていた。みんなが言うほど私は光でも真っ白でもないのを。”ブラックソルト"もちゃんといるんだって。

 

 

 

 

人の不幸は蜜の味だなんて絶対におもわないけど、でも、ネガティブな闇や葛藤は私にもあることを認められたとき、

 

 

あの思春期の頃、私をキラってくる人たちの言動は私の心の鏡なだけだったことに気がつけて、今となっては感謝してるし、なんてことはない、ただの波動の法則だったんだと腑に落ちている。

 

 

 

 

 

あれは、姉が妬ましかった頃の私の心が投影されて生まれたリアルだったことに、何十年もたってから気がつく、このタイムラグ。

 

 

 

激遅だけど、これは玉ねぎのラスボスだから、最後にやってくるものだ。仕方ないことにしよう。

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで、結論を言えば。

 

私は"赦せない自分'を赦す”ことにしたんだ。

 

 

玉ねぎをゼロにしたら人生を卒業することになっちゃうから、小さくなった玉ねぎをもったまま生きることを、自分に許可をだした。

 

 

 

 

 

母を赦せないこと記憶を手放せないことに罪悪感があって苦しかったわけだから、もうそんな赦せてない自分ごとぜんぶ赦すことにしたら、私を大切に思えない母親のことも認められたし他の大概のことはなんとでもなっていった。

 

 

 

 

“お互い様"だから。

 

というミラクルな納得とともに。

 

 

 

 

あの出来事を忘れなきゃ。赦さなきゃ。という強迫観念は、この時から、自分を赦して認めて愛するエネルギーに変容していったのだ。

 

 

 

そうだ。これはLOVE MYSELFだった。

 

 

 

 

私はあの時まで、母を赦せない自分がキライだったんだと理解した。でもそのままでいいんだとも知った。

 

 

 

まるごと、傷も憎しみも抱えたままでも生きていていい。だって私の傷はあの空の星座みたいに輝いていくんだものね、バンタン。

 

 

 

自分自身へのこの雪解けが、私の新章の扉が開いた瞬間だった。

 

 

 

 

そしてこの瞬間からバンタンは、ただの愛しい推しから、私の人生から切っても切り離せない"運命共同体"へと勝手に進化した。

 

 

 

バンタンはその音楽で、飾らない彼らの等身大のメッセージを投げかけては私の世界を変容させ、何者にもならなくていいことも教えてくれたからだ。

 

 

 

だってすでに代わりのきかない唯一無二なのだから。代替不可なんだ。私も。みんなもね。

 

 

だから私は、この世界はあたたかかったことを思い出せた。

 

 

 私の人生に光射す何度目かの夜明けをくれたバンタン。

 

 

夜明け前の闇は一番深いけど、だからこそ星々は輝けるってことを何度でも教えてくれた。

 

 

 

そんな瞬間を超えた夜明けは何度あったっていいから、ずっと一緒に“ Into The Sun " させて欲しいんだ。

 

 

 

だってまだまだ私の人生は続いていくし、最高の瞬間はこれからやってくると信じているから

 

 

 

 

清濁併せたこの世界を私のペースでKEEP SWIMMING していくよ。

 

 

 

口角をあげながら。

 

  

 

 

 

続く…

 

 

 

© 2026 無糖ソルト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サムネイル

長く重い駄文を

最後までお読みくださった方。

ありがとうございます。

 

書いたのは随分前ですがブログをやっていなかったので、

この日付投稿になりました。

 

読んでいるとなんだか不幸な人生みたいですが、

そんなことはありません。

 

玉ねぎの欠片は大切にもったままですが、

今はちゃんと楽しく自由に、自分らしく生きられていますし、

周りには素敵な人が集まってくれていて、

血のつながり以上と思える繋がりも得ています。

 

 

それに、いま、このブログにお立ち寄りくださった

あなた様とのご縁もきっと、何かに繋がる光になると感じます。

 

ありがとうございます。

 

 

このエッセイを書くにあたり

インスパイアされたBTSの楽曲

 

 

Answer : Love Myself

Mikrokosmos

Tony Montana

TOMORROW

Yet To Come

Into The Sun 

SWIM