ないものをあるものとされる 闇の世界。 | 「薬」を持たない生活。

「薬」を持たない生活。

自宅に生えている雑草が美味しい♪

 

 

 

先日 湧き水を汲みに行って

 

(この時に あばら骨をまた痛めたようです

きのう処置をしたらやはりいいです)


帰宅すると 隣りのおじーさんが
自分ちの車庫に車を横づけにし
雰囲気で わたしに声を

かけたそうに見えました

 

おじーさん

病院に行こうとしていたのかな


補聴器をしないと男性の声は
聞こえづらいので 何気に無視をしました

 

 

こういうところがいけないのでしょうね
難聴になると 人との会話が通常に
できなくなるんです

この辺の気持ちが健常者には
分からない点だと思います

 

 





おじーさんは以前わたしに
変なことを聞いてきました

変というよりも言われた意味が
よくわからなかったのですが


「町内会で何かあったのか?」
 

と聞かれたので
 

「わたしは町内会から抜けたので
わからないけど 何もないと思いますよ」

と答え それで安心したのか
それ以上の質問はありませんでした


なにか 不思議なことを聞かれたと思いました
何もなければ なにも起こらないし

 

何かあったと思ったから
そう思ったのかも しれませんが…

今思うと どうして そう思ったのか
聞いてあげれば よかったと思いました
不意打ちに 聞かれたので
そこまで 頭が回らなかったです


その時も 会話をするため 家に補聴器を
取りに行ってましたから

 

 

電話がかかってきても

こんな感じで わたわたとします

 

ようするに 余裕がありません

常に補聴器を持っているわけではなく

普段も 補聴器はつけてはいません

 

 

補聴器電池も その分消費しますから

タダではありません お店で買うと高いです

 

 

補聴器をすると疲れるし

もちろん違和感もあります

 

 

 

 

 

 






本当は コロナも 戦争も ないのに
日本政府と医療とマスメディアの嘘に騙され
ないものを あるものとする


噓に気づかない日本人
 

 

真実を伝えようとしても

それを嘘だといって信じない

 

わたしたち信者でさえ苦しい

どうしたらわかってもらえるのだろう

 

そこに 神様の働きかけがないと

どんなことも むなしい結果となる

 

だから 祈っているのだけれど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛犬 草取りの最中 庭から出て

勝手に歩き回り(リードはつけていない)

その後を わたしが ついてまわる(車も通る)

 

 

 

夕べも よく眠れた様子

二晩続けて眠れたのは

久しぶりかもしれない

 

 

草取りでしゃがむ姿勢が

脚の痛みに

効いているのかもしれません

 

 

お日様を浴びながら 外にいると

気分が落ち着きます

 

愛犬もすごく

活き活きしていました

室内犬だから

家の中でじゅうぶん ではなく

犬も外にいるほうが自然

 

 

 

 

 

 

 

室内犬だから 家の中で過ごさせている

と言う声を聞くと とても残念です

 

犬の表情を見て感じることだから

人間と同じです

 

もしかしたら 動物病院に行くよりも

こうして過ごすことのほうが

からだにいいかもしれません

 

 

土に エネルギーがあり

光にも エネルギーがある

 

地元の湧き水は どうだろうか

山の中ではないから 少しかな

 

 

きのう草取りをして気づいたんだけど

猫のウンチが一個もなかった

 

もしかしたら いなくなったのかな

 

裏庭の土に 糞を埋めたり

まんま 置き土産にしたり

 

家猫だったんだろうね