好きの世界 -3ページ目

ココ・ジャンボ/T-レックス(Mr.プレジデント)・第2部・T-REX編

第1部読んだんですね、ここから第2部です、もし

この記事の前半(第1部)を読んでないのでしたら

以下のリンクからジャンプして読んで下さいね^^

ココ・ジャンボ・T-REX記事前半(第1部) 

では曲を聴きながら読み進んで下さい「Metal Guru」どぞ




ティラノサウルス・レックス名義で大半の曲がすでに


出来ていた製作途中のアルバムを完成させようとして


いたマーク、契約上の問題から前ドラマーのトラックを


排除し、ほとんど一人で録音しなおした4作目は、


かなりファンタジー色が薄くなり曲調もポップな方向に


移行してきている、前面にエレキ・ギターをフィーチャー


した、マークが実際に作りたい音楽の形に近づいた


アルバムだっただけに出た当時の評価が悪かった事


にはポジティヴなマークもさすがに落胆した、だが新しく


バンドに入ったミッキーと好きな方向性での曲作りが


出来ていた事が嬉しかったマークは、さらにスタイルと


サウンドを新しい方向に進める事に専念する、叩かれ


ても批判されてもくじけなかった、小さい時から変わらず


言い続けていた「大スターになる」事がマークの原動力


だった、70年の初め頃には昔契約していた音楽制作


会社で受付の仕事をしていたジューン・チャイルドと


結婚、とある夜、部屋にこもり徹夜で曲作りに励んむ


マーク、朝には気にいった一曲ができミッキーをたたき


起こした、たまたまその日、押さえていたスタジオに入り


レコーディングを終え出来上がった曲に手ごたえを感じ、


ティラノサウルス・レックスが今まで作り上げてしまった


商業的に成功できないイマージを変える為に改名を


する事に、マークとミッキー、トニーは心機一転でバンド


名を「T-REX」に変える、この名前は元々トニーが書類を


書くたびに「ティラノサウルス・レックス」と書くのが面倒


だった為、略してT-REXと書いているのを見たマークが


採用したもの、結果的に出来上がった曲「Ride a White


Swan」はマークが待ち望んでいた音と結果の両方を


もたらした、1970年にリリースされたそのシングル曲は


13週間後にイギリスのチャートで2位を獲得する、8枚


のシングル、4枚のアルバムと5年の歳月をかけて


遂にマークは念願の大ヒットにたどり着いた。




今までと違いライヴ会場にはヒッピーではなく十代の


若者が押しかけた、マークはお金が余り無い客層の


事を考慮し、当時一般的だったライヴの価格のやく


半分という安い値段にチケットを設定する、結果的に


若い客層がさらに爆発的に増え、ラジオでもリクエスト


が増えT-REXの名前を大きく売り出すことに成功する


、その勢いのまま発売されたファーストアルバムは


当たり前のように大ヒットする、この時期にマークは


ひょんな事から音楽の歴史に多大な影響を残す。


アルバムプロモーションの為に当時イギリスで最も


人気の有った音楽番組「トップ・オフ・ザ・ポップス」に


出演、自分たちの出番を待っている間、楽屋で緊張を


ほぐす為に目の周りに銀のラメを塗ってジョークをして


いたマーク、本人によればラメを洗い落とすの忘れた


だけらしいですが、一部ではマークのビジネスセンス


を考えると、わざと落さずインパクトを残そうとした


のでないかとの指摘もありますが、何はともあれ


マークは銀の服に身を包み目元に銀ラメでメイクを


した姿のまま、TVで生演奏をした、次にT-REXが


ライヴをした時には会場に来た若者のほぼ全員が


ラメを顔に塗り派手な服装で会場に足を運んだ、


1970年後半のこの一件のハプニングは瞬く間に


「グラムロック」という音楽ジャンルとファッション


ムーヴメントを作り上げた、その後に発売された新


シングルの「Hot Love」は初登場1位になり、音楽の


プレスはT-REXの異様なまでの人気がビートルズの


「ビートルマニア」に近い現象だと言いT-Rextasy


(T-レクスタシー)と名づけ、一つのムーヴメント


としてとらえた、新しい方向性と進むべき道を


見つけたマークたちはちゃんとした「バンド」T-REX


として機能できるよう正式メンバーをバンドに加え


新しいアルバムに着手する。




次回作のレコーディングを兼ねてアメリカツアーを


行った新生T-REX、だが北米ツアーを成功させる


には足りないアメリカ内での知名度はツアーを失敗


に終わらせる、アルバムのほとんどのレコーディング


を終えイギリスに帰ったマークたちを待ち受けていた


のは、スタジアムを埋め尽くすほどのファンたちが


待ち受けるライヴだった、アメリカとは裏腹に英国


での人気は膨らむばかり、その時に発売された作品


「Electric Warrior(エレキの武者)」は爆発的に売れた


、英国内では71年発売のアルバムでトップセールス


を獲得、今回はファンだけではなく評論家も挙って


大絶賛した、「Electric Warrior」は今でも多くの人が


最高傑作に挙げる作品で雑誌Rolling Stoneが選ぶ


史上最高のアルバムトップ500では160位に入る、


またアメリカでもアルバムは高セールスを獲得し、


T-REXの歴史で唯一アメリカの音楽チャートで


トップ10に入った名曲中の名曲「Get it on」も


収録されています、せっかくなのでお聴き下さい、




どうですか?これも聴いたことありますよね?w、


世界中の自動車CMにかなり使われています。




大スターになったマークに膨大な数の取材が訪れる


ようになり、賞賛を浴び、外に行けば人の群集に


囲まれる、尊敬していたミュージシャンたちにも評価


され友人になる、その中で特にマークの音楽が好き


だった元ビートルズのリンゴ・スターはT-REXの音楽


ドキュメンタリー映画まで製作する、マークは手に


入れたかったスーパースターの生活を生きていた、


それと同時に異常なまでの期待感が少しずつ肩に


圧し掛かり始めていた、次回作をフランスで録音


していたT-REX、レコーディングにはマークの昔から


の友人デヴィッド・ボウイが参加、多くの曲でコーラス


を歌いサックスも吹いた、この頃ボウイはまだマーク


ほどの成功を手に入れていなかった、アグレッシヴな


マークのビジネスセンスと、派手なショーマンシップ


を尊敬していたボウイは、マークから多くを学んだ、


手本にするところは手本にし吸収していきました、


ボウイは友人としてもライバルとしてもマークをとても


尊敬しており実際にボウイの名作「Ziggy Stardust」


には「Lady Stardust」というマークの事を歌った曲も


収録される位で、その歌をライヴで歌う時にはマーク


の写真をスクリーンに映し出して歌っていましたし、


必ずライヴ前に流れる音楽はT-REXを流すようにと


命じていた、完成したアルバム「The Slider」は72年


に発売され大成功する、よりエッジの利いたサウンド


はファンと評論家双方から高い評価を受け、今直


ロックの歴史に残る最高傑作の一つでジャケットも


シンプルながら最も有名な表紙の一つです。




「The Slider」のツアーで世界を回りながらすでに


次回作のレコーディングに着手していたT-REX,


新作に先駆け1973年にシングル「20th Century


Boy」が発売、高セールスも二週間後に発売された


新アルバム「Tanks」には収録されていなかった、


マークはエッジの利いたハードなグラムロックから


離れようとしていた、大まかな理由としてグラムが


評論家から批判され始めており、グラムロックの


象徴のような扱いを受けていたマークはその


とばっちりを受けていた、そしてもう一つ、まったく


アメリカでグラムロックが理解されていなかった事


が大きい(ボウイによりアメリカでグラムロックが


理解され人気になるのはまだ2年先だった)また


マークは大好きなミュージシャンを輩出したアメリカ


で成功を手に収めたかった、そのため「Tanks」は


ポップ色が薄く、より作品性が強いアルバムに


仕上がっている、グラムロックを批判するような


内容の曲も有りマークのグラム離れが見て取れる


、ツアーの為に新メンバーをバンドに数人加え


バッキングのコーラス隊も導入、メンバーの中には


黒人女性のSSWグロリア・ジョーンズも入っていた、


二人はとても気が合い、直ぐに親友になるが、その


関係は徐々に男女のものへと発展していく、新作


アルバムのセールスは上々だったが今までの作品


より早く順位が落ちていった、1973年のこの時


までにT-REXは3900万枚という驚異的なレコード


セールスを誇っていたがその勢いには陰りがで


始めた。




「Tanks」のワールドツアーを行ないながらマークは


少しずつ増えていった批判に嫌気を感じていた、


そしてT-REXの名前をまったく冠していない新作の


アルバムに着手する、完成したアルバムの表紙には


T-REXの一文字も書かれておらずただ「Zinc Alloy


and The Hidden Riders of Tomorrow」とだけ書かれて


いた、又ツアーも「Zinc Alloy (ジンク・アロイ)」名義で


行なっていた、このことに対して評論家はマークが


デヴィッドボウイの「Ziggy Stardust & The Spiders


From Mars」をパクったと痛烈に批判する(実際には


T-REXが二人組みだった頃のインタヴューでマーク


は「将来成功するときにはジンク・アロイ見たいな


くだらない名前に改名するよ」と発言している)、


アルバムのセールスは、まぁまぁ、評論家からは


挙って不評の新作「Zinc Alloy 」だが音楽的には


極めてソリッドで作りこみが良く、ファンキーでソウル


フルなアメリカン・ブラックミュージックのテイストが


強く色んな意味で「濃い!」作品、マークのギター


ワークも今までの作品の中では抜群に素晴らしく


後々t角評価された、ミュージシャンの中にはこの


アルバムが最も好きなT-REXアルバムだと言う


人も多く、自分も一番好きな作品の一つです、一曲


目から最高にカッコイイ!最高に濃い!ではその


一曲目、お聴きください(笑)「Venus Loon」どうぞ。



停滞してきた現在のセールスとは裏腹に過去に


だした音楽からの印税は止まる事なく多かった、


その為マークは過剰なまでの税金が掛かる母国


イギリスを去りアメリカに移り住む、この時マーク


は長年付き添ってきたプロデューサーのトニー・


ヴィスコンティーと袂を分けた、環境のストレス


とスターダムからの転落のストレスでマークはさげ


すんでいた麻薬(コカイン)と酒に溺れる、体重も


どんどん増えマスコミからは罵られ馬鹿にされて


いた、そんな状況でも音楽の製作活動は止めずに


続けていた、出来上がった新作「Bolan's Zip Gun」


は前作のソウル・ファンクサウンドをより前面に押し


出した作品だった、評論家から更なる批判を浴びた


新作はT-REX史上最も評価の作品になり(でも今


聴き返すとファンキーで良い作品です)、セールス


は悲惨だった、1974年の終わりにはT-REXと


マーク・ボランはどん底まで落ちた、、金銭的な


問題と薬物、酒の問題そしてグロリアとの不倫など


から妻のジューンと離婚、マークはグロリアと同居


し一緒になる、だがアルコール中毒により倒れ病院


に運ばれた、医者は命が有ることが奇跡的な位に


体がボロボロな状態だと告げリハビリを勧める。




周囲はマーク・ボランという時の人に終わりが来た


のだと決め付けていた、底を尽きたと思われていた


だがマークの情熱と野心にもう一度、火が灯された、


それはマークにとって初めて自己中心的の欲求の


為では無かった、グロリアが妊娠したのである、


親になるという実感と責任感がわき、生まれてくる


子供に、こんな状況の自分で居たくなかった、「常識


の有るちゃんとした人間でいないと、だって生まれて


くる子供とずっと居れるように長生きするつもりだから


ね」とマークは述べた、母国イギリスに戻り酒と麻薬を


絶ち、イギリスでの音楽活動を再開、何曲か新しい


シングル曲を発売し評価も上々、ツアーも行い成功


する、PRの為に出演したTVのインタヴュー番組での


出来事、質問を受けながらも司会者より多くの質問を


提出し面白おかしくインタヴューをしたマークにTV局


がインタヴュー番組の司会をしてくれないかと依頼


、何回かの特別番組に限ったものなら良いとOKを


だしたマーク、ウィットに飛んだトークと破天荒な持ち


前のキャラで番組の評価は上々だった。




1975年の9月にマークとグロリアの息子ローラン・


ボランが生まれた、マークは「ローランは俺の人生の


全てを変えてくれたよ、何より責任感を与えてくれた


、また前みたいに無茶な生き方に戻りそうになる時に


考えるんだ、もし俺が早死にしてこの子が父親を知る


事無く育つような事が有ればと、想像しただけでも


怖い話さ」とインタヴューで言った、数ヶ月後に新作


「Futuristic Dragon」を発売、ポップでエッジの有る


ロックに戻った作品でセールス、評価とも高く、ツアー


も71年以来の大規模なものになった、名実ともに


T-REXとマークは復活した、だがマークはアルバム


の方向性には満足していなかった、もっとシンプルに


そしてもっと自分が聴いて育った昔のアメリカンロック


に近いものを作りたがっていた、マークは子供の頃の


感覚を取り戻すため近くにあるレコード店に入り、


大好きだったアルバム10枚を買って、部屋に引き


こもって聴きまくった、その努力は製作中の新作に


反映された、77年の3月に13枚目の作品「Dandy in


the Underworld」は発売された、完全に酒と麻薬を


止め、厳しいダイエットにも励んでいたマーク、新作の


PR活動でTV出演した時には今までで最もスレンダー


でカッコイイ姿をファンに見せるアルバムの方は


T-REX初期のより即興性と勢いを感じるシンプルな


メロディーや曲調でマークが目指していた昔のロックと


T-REXのスタイルを融合した作品になった、何年かの


内にリリースされたT-REXの作品では最も評価が高く


セールスも良くT-REX完全復活と報じられた、又


マークにTV番組のオファーが舞い込み、「Marc TV」


たる冠のトーク番組が始まった、6話限定のもので、


昔のロックと新世代のュージシャンたち、特に大きい


シーンに成りつつあったパンクとの架け橋になり、


紹介する番組だった、だが最後の第6話でマークは


昔から良きライバルであり友人だったデヴィッド・


ボウイを呼んだ、対談を行なった後、その日の為に


二人で作ったオリジナル曲をライヴで演奏した、だが


せっかくの特別な演奏も途中でマークがステージから


転倒してしまうというハプニングに見舞われる、この事


は後に起きる事が無ければただの笑えるハプニング


だったかも知れないが不吉な出来事として語られる


事となる、番組収録のあと、マークとデヴィッドは


ディナーを食べに出かけた、二人で色々語りながら


食事済ませ、デヴィッドは今新作を作っているスタジオ


に来ないかとマークを誘いマークは行った、そこは


長年プロデューサーを勤めたトニー・ヴィスコンティー


が新しく建てたスタジオだった、残念ながらトニーは


不在だったがマークはスタジオのコントロールルーム


を俳諧しながらボソッと「そうか、これがトニーの新しい


スタジオか・・・何時かここでレコーディングするのが


楽しみだ」とつぶやいた、三日後マークとグロリアは


早朝に車で家へ向かっていた道中に交通事故に


あう、グロリアは重症を負い、マークは即死した、


マークが30歳になる誕生日を迎えるちょうど2週間


前の出来事だった、さらなる復活劇も、トニーとの


新作も、なにより最愛の息子ローランの為に長生き


するという願いは叶わなかった。




マークの葬式は大きい教会で行なわれなかったが


、多くの著名人と彼を思うファンで溢れかえった、


その中にはデヴィッド・ボウイの姿もあり、式に参加


した人によればデヴィッドは終始泣いていたとか、


ライバルではあったがお互い上がり下がりと賞賛、


批判をともに経験し全力で走り続けた15年来の


友達だった、マークは結局、魔術師との契約なのか


レコード会社のプロモーターが思いついた話なのか


は分からないですが30歳になる事無く、本人が


何度もインタヴューで予言した通り短命で終わった。




マーク・ボランとT-REXが音楽業界に残した影響は


計り知れない、マークを筆頭に始まり、親友のボウイ


と築きあげたグラム・ロックは直ぐに「スレイド」や


「ロキシー・ミュージック」のような次世代に受け


継がれ、ハードな要素は「キス」のようなメタルにも


浸透、吸収して行き、ポップでユニセックスな要素は


ボーイ・ジョージ引き入る「カルチャー・クラブ」や


ニューロマンティクスのムーヴメントに影響を与え


、アート的な要素はニューウェイヴ、ヴィジュアルや


ファッションはパンクそして紛れも無くヴィジュアル系


いわゆるV系に多大な影響を残しています、実際に


X-JAPANもT-REXの曲をよくライヴでカバーして


いました(T-BOLANにも少なくともネーミングで影響


を与えてるでしょうねwww)、グラム・ロックやマーク


が残した業績の何が凄いかと言うと常に新しい人


たちがそれを発見し、影響を受ける事が出来るほど


の「代わりの無い物」を作り上げる事が出来た事だと


思います、一つのシーンやジャンルに、とらわれず


様々なジャンルと思想を持ったミュージシャンたちが


自分に必要な要素を吸収していき、新しくしていった


事は極めて稀な現象です、受け継がれると言う事


は何事にも変えがたい価値ある業績だと思います


、もしかしたら、マーク・ボランという人間が手に


入れたかった「世界一の大スター」というものは、


そういう事だったのかも知れません。




T-REXの「Children of The Revolution」でした


映画「Born To Boogie」より「Jeepster」でした

この映像でのマークが最高にかっこ良くて好きです


電気の武者+8/T.レックス

¥1,800
Amazon.co.jp

Slider/T-Rex

¥1,307
Amazon.co.jp

Tanx (Dlx)/T-Rex

¥2,180
Amazon.co.jp

Zinc Alloy & the Hidden Riders of Tomorr/T. Rex

¥1,220
Amazon.co.jp

Futuristic Dragon (Dlx)/T-Rex

¥2,094
Amazon.co.jp

Dandy in the Underworld (Dlx)/T-Rex

¥2,094
Amazon.co.jp