好きの世界 -2ページ目

ココ・ジャンボ/T-レックス(Mr.プレジデント・)第1部ココ・ジャンボT-REX初期編

ジョジョ音楽元ネタ・イラスト図鑑久しぶりの更新!


さて今回は恐らく5部の中で最もマニアックなキャラ


を紹介、劇中では一度も名前とスタンド名を呼ばれる


事も表記される事も無く、しまいには乗り移られ、あと


乗せ感満載のネーミングも付けられたジョジョ歴に残る


ゆるキャラの中のゆるキャラです!ヘ(゚∀゚*)ノwww




好きの世界


       名前: ココ・ジャンボ


はい・・・亀ですけど何か?(・∀・)?(笑)、このキャラ


設定資料の少なさから絵を描くのも記事を書くのも


何かと苦労しました(笑)、では以下作中の設定です。





組織(パッショーネ)のボスが娘の保護のために用意


したスタンド能力を持っている亀、甲羅に鍵の形の窪み


が有り、そこに「鍵」をはめた時にのみ、スタンドを発生


させるよう訓練されている。







ここからは絵を描く為に調べた「亀」としての設定ですw


描くにあたって、ココジャンボがどういった亀なのか劇中


をヒントに調べました、まず「イタリアに生息する事」、


ヒレが無いので「リク亀である事」、ブチャラティがココを


手で持ち上げているところを見ると「20~35cmである」


、そして同じくイタリアに生息する亀を写真で見比べた


結果、おそらくココ・ジャンボは「ヒガシヘルマンリクガメ」


であると推測!www。




好きの世界


ヒガシへルマンリクガメ(Eastern Hermann's tortoise)


最大甲長35cm、背甲はドーム状に盛りあがる。オス


の尾の先端には鉤状の鱗がある。最大亜種(大型な


のは一部個体群のみとされる)。背甲はやや幅広い。


地中海性気候で標高1,500m以下にある乾燥した


常緑広葉樹林に生息するが、その周辺にある草原、


落葉広葉樹林、灌木林、これらを開発した農耕地など


にも生息する。性染色体を持たず発生時の温度に


よって性別が決定する、31-32℃で雌雄が産まれ、


それより低温(25-30℃)だとオス、高温(33-34℃)


だとメスが産まれる。歩く早さは時速0.1~0.2㎞。

好きの世界


ココ・ジャンボのスタンド能力を発動させる鍵


これを甲羅の窪みに、はめると能力が発現され


鍵の中央にある宝石の中の「部屋」に入れる。

好きの世界


  スタンド名:「T-レックス(Mr.プレジデント)」




破壊力 - E / スピード - E / 射程距離 - E /


持続力 - A / 精密動作性 - E / 成長性 - E。


「部屋」のスタンド。スタンド発現のスイッチである鍵


の宝石部を出入り口に、自由に出入りできる、鍵が


外れスタンドが解除されると、内部の空間にいる


生物だけが強制的に外に出される。ボスの計らいに


より冷蔵庫やテレビ(キャプテン翼が見られる)などが


持ち込まれており何故か電気、水道が完備されている


が、トイレは無い。劇中においては「カメのスタンド」


とだけ表記されていた。




さてさて、今回の音楽元ネタはちょい、ややこしいです


ネット上でココ・ジャンボのスタンド名が「Mr.プレジデント


(T-レックス)」と表記されていますが理由が有ります、


画集「JoJo-A-Go-Go」でココ・ジャンボの、スタンド名


がMr.プレジデントだと正式に表記され書いているの


ですが「JoJo-A-Go-Go」が発売される前に行なった


インタヴューで原作者の荒木先生は読者からの質問


亀のスタンド名はなんですか?に対して「T-レックス」


と答えたそうです、ここで、あくまでも


個人的な推測なんですが、「JoJo-A-Go-Go」を作る


過程で担当編集者から、亀の名前を聞かれココ・


ジャンボと名づけたのでしょうが、荒木先生はかなり


忘れっぽいらしいので(ジョジョラーなら劇中でもその


片鱗を度々みますよねw)、亀の名前がココ・ジャンボ


に落ち着き、昔のインタヴューの事もすっかり忘れて、


そのまま曲を作ったアーティスト名の「Mr.プレジデント」


をとりあえずスタンド名に充てたのではないかと思われ


ます、ジョジョの中で人物名とスタンド名が同じグループ


とその曲から充てられている事は、まず無い事なので、


かなり「やっつけ」(失礼w)的な感じで名づけられたに


違いないでしょう(笑)。まぁ、そういう事も有りネット上


では変に複雑な表記のされかたになってます。




今回の音楽元ネタは何と2つ!、亀の名前である


「ココジャンボ」とスタンド名の「T-REX」(先に荒木先生


の口からでたのがこちらなのと個人的に大好きなので


T-REXを採用しますw)、まず、ざっくりとココジャンボの


説明を書きますね、ではでは。




Mr.プレジデントは90年代中期に人気を博したユーロ


ビートグループです、96年には最大のヒット曲となる


「ココジャンボ」がリリース、97年にはマイナーヒットに


なった曲「JoJo Action」(ジョジョ・アクションwww)が


発売、その後、緩やかな下り坂をへて2008年に解散、


ではお聴きくださいMr.プレジデントの「ココジャンボ」。




では、次の元ネタになったバンドは自分が最も好きな


アーティストの一つです、T-REXの名前を知らなかった


としても間違いなく、どこかで彼らの曲は聴いています


、保障しますw、彼らは個人的に崇拝していると


いっても過言ではないぐらい好きの世界です!、色々


説明する前にとにかく曲を聞いてください、絶対に


聴いたこと有りますよ、ではどうぞ。




これぞ神曲!( ̄▽+ ̄*)w、曲が始まって3秒で、ワン


・コードで、あの曲だ!、って分かるのは凄いですよね、


曲名は「20th Century Boy(20世紀少年)」です、数々


のコマーシャルや映画に使われ、多くのバンドがカバー

していますね。では、T-レックスとマーク・ボランの歴史


や音楽的偉業を振り返ってみましょう、どぞ!w。




T-レックスのフロントマン、マーク・ボラン(本名、マーク


・フェルド)は1947年の11月30日に東ロンドンで産声


をあげた、小さいころから音楽や映画が大好きだった


マークは当時イギリスの若者を魅了してやまなかった


アメリカン・カルチャーや初期ロックミュージシャンたち


(ジーン・ヴィンセント、エディー・コクラン、ビリー・


ヘイリーやロックの父チャック・ベリーなど)の音楽に


のめり込み日用品を使った手作りギターで練習を


していた。マークの音楽に対する興味を後押しする


ように父は9歳になったマークに月収の半分ほどする


アコギを買ってあげた、マークは本格的に練習を始め


直ぐにスキッフル・バンド(音楽に関心のある方は


「スキッフル」とWikiってみて下さい面白いですよ)を


結成、学校地元のクラブで演奏を積極的にしながら


様々なバイトをしてお金をこつこつ稼ぐ、俳優やモデル


業などもこなしてみたいと思い少しの間モデル事務所


に入り、洋服のカタログや店頭ポップに使われる為の


写真撮影の仕事をしする。この頃からヴィジュアル


(ファッション)に関するマークの関心の高さが伺える、


本人も当時のイギリスで流行り始めたモッズ・シーンに


感化されスーツを40着ほど所持しており、稼いだお金


のほとんどを洋服に使っていたとか、そういう事もあり


地元のタウン誌にはモッズファッションのお手本として


記事で紹介されていたり何かと幅広く活動していた。




気が強くまたかなりの不思議ちゃん(笑)だったマークは


何かとトラブルも多く15歳ぐらいの時に停学処分を受け


る、それを期に学校に通う事を辞め音楽に専念する。




そろそろ何か聴きます?いや是非聴いてください(笑)、


T-REXで「Solid Gold Easy Action」、この曲も良くCMで


聴きますよね、名曲!!!。




17歳になったマークはデニムの帽子とカジュアルな


服装にアコギをひっさげ、「トビー・タイラー」と名のり、


ボブ・ディランやドノヴァンのカバーとその流れを組んだ


オリジナル曲を演奏してイギリスのフォークサーキットを


周っていた、しばらくするとアラン・ウォーレンという俳優


に出会う、マークに将来性を見出したらしくマネージャー


になる事をオファーする、デモ・トラックをレコーディング


しEMIに売り込みに行くも売れる見込みが無いと直ぐに


却下される、残されたデモテープをアランが200ポンド


で不動産業を行っていた大地主の自分の大家に売却、


マークもチャンスを無くしたと思い落胆するも、芸名を


本名マーク・フェルドに戻し、厳かに音楽活動を続けた。




ちゃんとした仕事が無かったマークは劇場をうろうろ


して俳優としての仕事が無いか度々探した、実際に


テレビドラマの小さい役を手にするも、その仕事を


とても退屈に感じていたマークは気分転換にしばらく


フランスへ旅行しに行く。ここでマークは人生の転機と


呼べる経験をする、そしてマーク・ボランという人物に


その後まとわり着いた都市伝説のきっかけが作られた


、話はこんな感じです、フランスでマークは魔法使いに


出会い彼の住むマンションへ招かれる、そこには


黒魔術や神話に関する書物だけが置かれた大きな


図書室があり、マークは18ヶ月ほどそこで過ごした、


魔法使いから色々学び様々な儀式を見たあと、その


魔法使いと契約を交わす、それはマークが後世に


語り継がれるミュージシャンになる事を保障する代わり


に30までしか生きることが出来ないというものだった、


(ちなみにマークは幼少の頃から自分は普通の人とは


違うのだと思っており、まるで焦っているかのように


仕事をこなしていた、インタビューなどでも良く自分は


短命に終わるだろうと事あるごとに言い残している)


魔術師の話は諸説がかなり多く、又マーク自身、話す


たびに内容が異なっており(魔女ヴァージョンも有り


ます)何かとはっきりした情報が無いことが逆にこの


話をミステリアスなものに駆り立てて変に語り継がれる


ようになってしまいます、何はともあれフランスから


ロンドンに帰ってきた時にマークは今までに無いほど


創作意欲が強く、イマジネーション豊かになっており、


ギリシャ神話やファンタジー、ロード・オフ・ザ・リングの


本やロマンチックな詩集などを溺愛していた。




大スターになる事を決意していたマークは取り付かれた


ように部屋に引きこもり凄いペースで曲を作っていく、


その期間に作った曲の数は膨大だったらしくキャリアの


後半でもその頃作った曲を使っていた事も有ったとか、


そしてマークは遂にDeccaというレコード会社と契約し、


デビューシングル「Wizard(魔法使い)」を発売する、


この時Deccaは相談せず、かってにマークの芸名を本名


からマーク・ボウランドに変えるがマークはゴロが気に


いらず、ボランにしてくれと頼み正式にマーク・ボラン


としての活動が始まる、実はこの時のプロモーション


活動の一環として上記の「フランスの魔法使い話」が


出来たと言うのが最も現実的な説です(当時イギリスの


若者の間でファンタジーやオカルトが流行っていた為


だと思われ、マークもその一人でした)、実際にマークを


良く知るプロデューサーの話で本当のところマークから


「ただ週末にフランスでマジシャンに出会って意気投合


して彼の家に遊びに行っただけだよ」と言われたとか、


念願のデビューを果たすも評論家の反応はまちまちで


セールスも良い物ではなかった、拍車をかけるように、


ミュージシャンとしてのTVデビューではバックバンドの


演奏テンポが速すぎる上にオフキーになる、演奏中の


放送事故により途切れ途切れの映像が放送されるなど


散々なものだった、2枚目のシングルもセールスは酷く


契約が切れた事を理由にDeccaはマークを見放す、


だがマークはそんな事など気にも停めないように地元


のバーでは「俺はエルビス・プレスリーみたいなスター


になるんだぜ」と強気の姿勢を貫いた。




まだ、続きますので何か聴きながら読み進めてください


T-REXのElectric Warriorから「Mambo Sun」です。




前向きなマークはお気に入りのプロデューサーだった、


サイモン・ネイピア・ベルに電話をかけ「俺はシンガー


なんだけど、歴史上最もビッグなロックスターになるから


良いマネージャーが必要なんだ」と言った、サイモンは


「じゃあ、デモを送ってくれ」と言ったがマークは近くに


いるから直接あって手渡しすると頑なに譲らなかった、


じゃあ、持ってきてくれと折れたサイモンのもとに現れた


のはデモテープなど無くアコギを背負ったマークだった、


ちなみにサイモンは「当時のマークは腹が立つほど自信


満々だった」とその後のインタヴューで振り返ったいたw


、半場仕方なくマークの演奏を聴くことにしたサイモンは


低くかった期待とは裏腹に演奏にしばらく聞き入った、


「マークがセットを演奏し終わった時にはアルバム4枚


ほど埋められるぐらい良い曲が揃っていた」とその後


サイモンは振り返った、直ぐにレコーディング・スタジオ


を押さえマークを売り出すための曲を二人で作りこむ。




契約に興味の有るレコード会社を探すに、てこずるも


無事コロンビアと契約を交わす、曲リリースにこぎ


つけるが思いのほかセールスは思わしくなく、サイモン


は、どうマークを売り出すか悩んでいた、当時サイモン


は、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジを


排出した伝説的バンド「YardBirds」と初期サイケバンド


の筆頭「ジョンズ・チルドレン」をプロデュースしていた、


その頃ジョンズ・チルドレンはバンドのギタリストをクビ


にしたばかりだった、偶然か必然か彼らのレーベル


だったTrackレコーズはマーク・ボランにギターを担当


して欲しいとの要望をだす、サイモンは快くオファーを


受け入れた、作詞、作曲能力の高かったマークを使えば


双方に利益が有ると見込んだ結果の選択だった、


案の定マークがバンドの為に書いた新曲「Desdemona」


は瞬く間にイギリスのチャートを登るもBBC(イギリスの


国営放送機関)から若者に不適切なメッセージを送って


いるとして放送禁止になる(後に67年にイギリスで


発売された曲の中で最高の曲の一つと評価されます)


、それでもバンドとマークに対する関心は高くなり、


レーベル仲間だった「The Who」とツアーする、だが


ツアー先のドイツでその勢いは急停車してしまう、


ザ・フーの前座を務めていたジョンズ・チルドレン、彼ら


は何時もステージ上で暴れるようなパフォーマンスを


行っていたがその日は特に暴れていた、ヴォーカル


が客席にダイヴし、他のメンバーはステージで暴れ、


マークはチェインを自分のアンプに叩き付けていた、


すると客も暴れ始め、遂には暴動まで発展する、身の


危険を感じたメンバーたちはステージから逃げ、


リムジンで逃走する、その後のザ・フーのライヴも中止


になり、ドイツの警察に捕まり、音楽機材のほぼ全て


を没収され、結果的に解散という形で終わる。




ロックバンドとしての活動に手ごたえと可能性を感じた


マークは自分がリーダーを勤め、音楽制作においても


主導権を握れるバンドを結成する事を決意する、直ぐ


に雑誌にメンバー募集を行い、待ちきれないマークは


メンバーもバンド名も決まっていないバンドのライヴを


ブッキングした(笑)募集で集ったメンバーは18歳の


ドラマー、スティーヴ・トゥックと謎のメンバー他2名w、


バンド名を決める事になり本来なら大好きなギリシャ


神話やファンタジー生物(ドラゴンやマンドラゴラ


などw)から名前を拝借したかったマーク、だがそんな


事をしたら鼻で笑われるだろうと鋭い勘が働き(笑)


科学的に存在が実証されている極めて架空の生物に


姿形が近い「恐竜」から名前を取ることにする、しかも


一番でかくて強い、獰猛なやつにしようと考えたマーク


はバンドを「ティラノサウルス・レックス」と命名、軽く


リハーサルしただけで一度も練習する事も無くライヴは


行われ、当たり前のように客の罵声を浴びステージ


から下ろされる、その後追いついたドイツの警察が


残りの機材を没収した、アンプとエレキ・ギターと音響


機材の全てを無くし、謎のメンバー二人が脱退した


ティラノサウルス・レックス、厳かな音楽活動を続ける


為に18歳のトゥックはドラムキットを売り払い、マーク


はアコギを買った、その時最も強く獰猛な恐竜から名前


を拝借したロックバンド「ティラノサウルス・レックス」は


ボンゴを叩く18歳の少年とアコギを弾いているマーク


だけのアコースティック・デュオになってしまっていたw。




何か聴きますか?では「The Groover」お聞きください




活動もままならない状態をどうにか切り抜けたのは


意外な人物の助けが有ってこそでした、元海賊ラジオ


局DJだったジョン・ピールという人物だった、大の


マークファンだった彼は事有るごとに彼らをゲストに


呼び、大学の学園祭などでMCを勤める時にも必ず


ティラノサウルス・レックスを呼んで前奏をしてもらった


そのかい有ってかマークたちは着々と大学生の間で


人気が出始め、しばらくするとライヴなどでカルト的な


人気を手にいれる。UFOという名のクラブでライヴを


行った後、ステージ裏で敏腕プロデューサーのトニー・


ヴィスコンティから声をかけられる、実はトニー、上司


から第二のビートルズを探して来いと言われロンドン


の街を夜な夜な徘徊していた、第二のビートルズから


程遠いも異様な雰囲気と個性を放っていた彼らに


不思議な魅力を感じていたトニーはマークに話を持ち


かける、マークは「今日7社のレコード会社から声を


掛けられたんだ、しかもその内の一つはアップル・


レコーズの新人探しに訪れたジョン・レノンだったよ」


と言い付けた、もちろんこれは嘘だったがマークは


トニーにプレッシャーを掛けてどうにか契約を結ぼう


と目論んでいた、見事引っかかった(失礼w)トニー


は次の朝、有望な新人を見つけたがこのままでは


アップルに先こされてしまうと会社を説得、直後に


契約を交わし、マークたち晴れて音楽ビジネスに


戻る事ができた。




レコード会社は奇抜な詩と不思議なビブラートを


利かせたマークの変わったスタイルに半信半疑


だった為かなり少ない予算をトニーに与えた、だが


トニーはマークたちの可能性と才能を心底信じて


いた、限られた予算内で出来る限りの仕事をした、


トニーはマークたちの為に多くの会場をブッキング


し、時間と労力を費やした、若き日のデヴィッド・


ボウイの作品でもプロデューサーとして活動して


いたトニーはデヴィッド・ボウイにティラノザウルス・


レックスのライヴでパントマイムの前座をさせていた、


先にプロとしてデビューしていたデヴィッド・ボウイに


とっては屈辱的な経験だったかも知れませんね、


実は少年の頃から音楽活動などで顔見知りの友人


だったマークとデヴィッドはこの時期から友人だけ


でなくお互いを良きライバルとしても見るようになる。




1968年に彼らのファーストアルバムが発売された


評論家に不評だったが、セールスは上々で彼らの


カルト的人気をさらに強める、セカンドアルバムは


さらにファンタジー要素が強く、カルト層での人気は


不動のものになる、だ、がやはり評論家には不評


だった、ポジティヴなマークは詩を批評されている


事に喜んだ、自分を詩人と位置づけていたマーク


にとって音楽で詩を批評される事は少なくとも「詩」


として見てもらえてるいる事だと考えていた、実に


前向き!w、初期アルバムでは最高傑作との誉れ


高いサードアルバム「Unicorn」が出来た頃には


マークとトゥックの間で方向性の違いが浮き彫りに


なってきていた、トゥックの薬物問題も大きかった、


マーク自身はその頃のミュージシャンでは珍しく


当時は薬物を乱用していなかった、酒も時々


ワインをたしなむ程度であまり飲まなかった。




プロモーションを兼ねた初の北米ツアーを行っている


時にそれはさらに酷くなりトゥックはステージで度々


事件を起こし逆にバンドの悪名を広めてしまう、


マークが困り果ててい時ツアーの途中でトゥックは


女性とどこかに消えてしまい逆にこれ見よがしと


ツアーをキャンセルし、イギリスに帰って直ぐに


新しいドラマーを募集する、マークが採用した人物


は知人を通して知り合った画家兼ドラマーである


ミッキー・フィンだった、マークもミッキーもUFOや車、


バイクや昔のアメリカンロックが好きだった為、気が


良く合った、代わりの新メンバーを見つけたは、いい


ものの、アメリカでバラまいた悪評はイギリスまで


届き、どこの誰もブッキングしてくれない事態に陥る、


が!大ファンのジョン・ピールがまたまたラジオや


ライヴのブッキングを手助けしてくれ、新年に放送


する為の音楽特番にも参加させてもらえた、この時


にマークは多くの曲でエレキ・ギターを使い、後の


T-REXサウンドの片鱗をチラつかせる。



ここで第一部は終わります、良かったら第二部T-REX

後半編(第2部)も是非ご拝読ください,以下リンク。

ココ・ジャンボ・T-REX記事後半(第2部)リンク

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