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before the dawn

夜を縦横無尽に 駆け抜ける クリエーター sei_jin が贈る 
夜明け前の独り言コラム

カレー嫌いだと周りに公言している。

しかし決して食えないわけではない。
食いたくないだけで、もういいだろうって思うのだ。

寮生活時代、週末の賄い食はカレーと決まっていた。
大きな寸胴いっぱいにカレーが作ってあって
これまた大きなジャーから飯をよそって各自が食う事になっていた。

その寮には営業職と制作職の独身者が住んでいて、年代もばらばらで上はその当時にしてはかなりの年配の独身の営業の先輩が名主のように住んでいた。営業対制作では半分くらいの割合であったが、仕事の性質上、終わって帰って来る時間が早いのが営業職なので、若い連中の大食いは何杯もカレーをおかわりするものだから、制作の連中が夜中に帰って来ても寸胴には底溜まりくらいしかカレーが残っていない。飯は残っているがカレーとのバランスが悪すぎる。多分贅沢にカレーを特盛り状態で営業の連中が食うものだから、飯だけが残ってしまうのだ。

仕方がないので、寸胴のカベにこびりついたカレーの残骸をこそげ落として水を入れて温め直す。かなり水っぽくて薄い味のカレー汁、というかカレーの匂いがする「お湯」なのだ。それを飯に掛けるとなんだかカレーのお茶漬けのようになる。それを明け方に同僚のデザイナー達とかき込んで空きっ腹を満たすのだ。
昔、海水浴に行った民宿の昼飯に良く出たカレーもかなり水っぽいと思ったが
今にして思えばそれの方が断然旨かった。

一週間、馬車馬のように働いたのに、週末はそんなものしか食えない自分に無性に腹が立って仕方がなかった。
だからそんな寮生活から抜け出した後もカレーを見るたび、必ずあの薄くて水っぽいカレー汁を思い出すので食わなくなった。とは言ってもグリンピースが食えないという好き嫌いではなくて、食えるんだけどカレーを見ると腹が立つから食ってやるものかと思うのだ。同僚にいくら昼飯を誘われてもカレーだと「俺はいかない」と云うようになった。そう云うとみんな不思議がる。「カレーが嫌いなヤツ見た事がない」って。まぁそうだろうよな。

それにも増して結婚して子どもが出来るとまた甘ったるいカレーが出て来るようになって、それでまた腹が立ってきてカレーはもういいと云った。それ以来我が家は父親が家で飯を食わない時に家族でカレーを食べているらしい。

まあ、単なるわがままか天の邪鬼かも知れないけれど、そんなことで食い物が嫌いになるのかと思われるかも知れないけれど、これはまごう事ない事実なのである。
 
 つづく
生きる事は辛い。

そう感じるのは 世の中を組織から離れてひとりで歩き出してから。

ただ弱気でそう云うのではない。


敗北は死を意味する事にあらずして

復活を遂げるための小さな一歩だと信じたい。


何度でも敗北を喫してきた。

でも私は強かに生き続けている。


その命の綱を あなたは何本持っているだろうか?

私はその命の綱をたぐり寄せて 強かに生きている。



春、15の誕生日を迎えた翌日、彼は「路地裏の少年」でソロデビューした

彼との出会いが、15の少年の旅立ち



10代 生き急ぐ事の意味 社会への不信 大人への反抗 暴走 薄暗い裁判所の廊下

淡い恋心。そして暗くて長い浪人時代の鬱屈した感情

駆け抜けたときに、いつも耳元で聞こえていた「ラストショー」

それ以来、自分の人生がシンクロするように彼の歌と共に疾走する



20代 少し大人になった気がした

大人の恋愛。夜の街で出会った年上の人妻 別れ

学生の分際で転がり落ちるような同棲

何かをつかみたくて駆け回っていた時代

自分勝手な私を優しく見つめて去っていった恋人

演劇 映画 音楽 山 スキー 長距離トラックの運転手

そして宛てのない放浪の旅の繰り返し



卒業 そして就職 恋人との別離 上京 東京

大都会に飲み込まれるようにあくせくと働かされていた駆け出しの頃

世間はバブルに踊っていた でも自分は朝まで仕事

不安 何かが違う くそったれ人生 

惨めな独身寮生活 そこを抜け出した独りの四畳半

寄る辺なき都会の雑踏 スクランブル交差点の人の波 出会い そしてまた同棲




30代 不安とバブル崩壊の荒波の中で 責任を負う事の意味

あえぎながらも負の遺産を背負って 会社を建て直すために朝まで働き通し

成功 そして恋 不倫 大人の出会い 背徳的なセックス 


40代 不惑 自信 そして重責 家族 少しの息切れ

代表取締役の一歩手前 経営的確執 覇権争い 謀略 敗北

そして独立 バブルに次ぐ不況 

大波に翻弄されながらも小舟を漕ぐ漁師のよう




around 50 before the dawn 新しい夜明け前の静寂 

夢見ていたような未来はもう来ないという諦観

無邪気な恋に落ちるにはもう若くない

柔肌に顔をうずめた一瞬の安堵 そして孤独

行き先の分からない船 帰る港を見失いかけている

でも走り続けなければならない訳はある 

それは自分が生き続けている限り

それを探し求めるのが人生という旅ならば

生きている限り 15の出発からあてどない放浪の旅はまだまだ続く
 
  
  
 SHOGO HAMADAは僕が15歳の誕生日の翌日に「愛奴」というバンドを解散してソロデビューした。以来実に35年近くも聴いていることになる。

 京都という街は「布団を掛けて眠っている」と云われるくらい穏やかな東山をはじめ、三方を山に囲まれた盆地で門口を出れば東に比叡山が、西には鷹峯の山が間近にみえる狭い街だった。昔から人は冷たいと云われているが、付き合い方次第ではニュートラルな存在でいられた。朝学校にいこうと門口を出ると近所のおばさんに声を掛けられる。「おはやいお出かけで。どちらまで?」そんなもん学校に決まってるだろうが!って思いながらも「おおきに、ガッコに」「そうどすかぁ、気ぃつけていっといやすなぁ」・・・・

 まぁ、そういった古い因習の固まりみたいな街だったから、若い頃は嫌で仕方がなかった。それに抹香臭いというか、至る所に寺があるし。高校の敷地でさえ大徳寺から市が賃借して建てられていたので周りは全てお寺ばかり。生徒集会の議場閉鎖をかいくぐって裏の生け垣から脱出した先が、国宝級の「小堀遠州」作の庭がある有名な塔頭だったりして。
 学園祭でアンプギンギンにボリューム上げてギターを弾けば、大徳寺の和尚が「うるさい!」と怒鳴り込んできたし。やんちゃだったので大徳寺の境内でバイクの練習したりして、般若林の修行僧におもいっきり追いかけられたり。

 そんな井の中の蛙みたいな奴が、いきなり大都会の喧噪に放り込まれたのだからそりゃあもうカルチャーショックだった。それに住んでいるところが千葉の行徳だし。山なんかどこ見渡したって見えやしないし、駅から15分もかかってバイパスをとぼとぼ歩いて帰るあいだに、暴走族が行ったり来たりするような場所にイライラしていたんだと思う。
 やっと乗れた東西線の最終電車に揺られながらSHOGO HAMADAの歌を聴いた。今までずっと聴いていたのに、窓に映る自分の姿を見ていたらその歌詞の意味がすとんと心に落ちて来た。
「生き馬の目を抜く街」と以前東京で働いていた先輩に云われたことがあった。ふぅん、そんなもんですかと思っていたが現実に自分に降り掛かる大きなチカラを支えきれないでいると、SHOGO HAMADAの歌も先輩の残した言葉も現実のように染込んで来た。
 東西線で浦安を通るたびにあの有名な「夢の国」から打ち上げられる花火を見ては、この先夢をどうやって描いていけばいいのかわからない自分に唇を噛み締めるばかりだった。[路地裏の少年]

 実際仕事の方でも焦燥感にかられていた。
その頃は世間が景気のいい話をし始めたバブル前夜の頃で、茅場町と人形町のあいだにあった会社の近所には証券会社が多くて、喫茶店に入ると周りの席から信じられないくらい桁違いの景気のいいお金の話しが聞こえて来た。

 でも自分はそんな景気のいい話とは関係なく、来る日も来る日も怒鳴られながら下働きの日々。
 大学でデザインは学んだけれどそんな机上の空論を振りかざしたって現場の仕事にはすぐに活かせるわけもなく、今と違ってMacなんて便利なものはなくてひたすら描くことが求められた。
 プレゼンカンプだって折り込みチラシは手描きだった。レタリングなんて学生時代にそんなに熱心にやってこなかったし「大創業祭」なんて文字なんか描いた事すらなかった。へたっくそな手描きカンプを先輩にぼろくそに云われ「そんな子どもみたいなレタリングで客に見せられるか!」って怒鳴られる始末。確かにレタリングが巧ければ全てがオーケーな訳じゃないけれど、今、目の前にある問題を解決するにはそれを攻略するしかなかった。
 独身寮の隣の部屋には同期のデザイナーがいた。彼は割と要領のいい男でそういった新米の難題をくぐり抜けることが得意だった。彼のついた先輩はストイックでもないし怒鳴られる事もなく、飄々とやっていた。だから寮に帰っても夜遅くまでファミコンをやっていた。薄い壁からファミコンの音がずっと聞こえる。別に彼に対抗意識を持ったわけではないが、彼がファミコンをやめて寝るまでは自分はレタリングの練習をしようと決めた。チラシの刷り上がりとトレーシングペーパーを何枚も持ち帰っては毎晩彼がファミコンをやめて寝るまで必死にレタリングを続けた。[八月の歌]


 つづく
日々是三嘆

毎日シープドッグのように人を追っかけ回していると

何となく見えて来るものがあります

当りとは云えなくも遠からじ

そんな毎日の嘆きや驚きの独り言集





劇的に変化するコンサルティングなどない。
日々実業の中で軌道修正してやらなければ個々の能力は開発できない。


あくまでもコンサルティングは背中を押す事だ。
その人が自立歩行を始めない限りその人は変わらない。


気持ちはあっても行動に移せない。そういう人たちが意外に多い。
行動に移せるように背中を押してあげることができれば、行動するのはその人次第だ。


意識は一夜にして変えられる。
しかし実力は日々の積み重ねでないと変わらない。


「頑張ってる」とみんな云う。
でも認められていない人は多い。
本当に頑張っているが、客観的にみて頑張りが足りないのか、見えないところで頑張っているのか、
それとも欠点ばかりが目立ってしまって、本来のいい所が霞んでしまっているかだ。


怠惰な社員はなんで怠惰なのかを徹底的に分析する必要がある。


癖はみんなある。それを押し通そうとすると他と衝突する。


最善を尽くしてきたかと聞くと、大概は「尽くして来た」と云う。
しかしそれは自分の尺度で見た場合か客観的尺度で見た場合かどちらだと思うか?
周りから最善を尽くしていると思われているかどうかだ?


広告やデザインを含めた表現は、社会との係り合いの中で初めて成立する。社会が求めていないというより社会に対してクリエーターがその必要性をアピールして来なかった事が今の低い価値観に至っている。

いかにその業界で有名な制作者や制作会社でも、一般社会においてはマイノリティである。社会の中では黒子としてしか存在して来なかった。しかし身の回りにあるもののほとんどがデザインが施されている。デザインを含めた表現に価値を見いだせない社会に対して我々は何をすれば良いのだろうか。

不況のさなかでは、一番始めに削られるのが広告デザイン費と云われる。しかし現実的にこの経済情勢下で大手は広告デザインに多くを費やしてブランディングの確立に努めようとしている。ユニクロ然りマクドナルド然り。その価値を多くの企業に認識させられるロジックを持つことが、この厳しい世の中を生き延びられる唯一の手だてなのだろう。

心あるクリエーターでも、独りで乗り出してもこの荒波にはなす術はない。しかしそのひとつひとつが集結してもの言う集団として行動しなければ、この世を動かす術にはなり得ないだろう。
ピータードラッカーは云う。「変化はコントロールできない。できることはその先頭に立つ事だけだ」と。