久しぶりの大阪。
今、帰りの新幹線の中で書いている。
N700系の窓側下の電源を使って^^;
たぶん3年振りかも知れない。
京都で暮らしていた時も、そうそうは大阪に足を運ぶ事はなかった。
元々京都の人間は、大阪はよほどの用事がない限り行くことがない。ほとんどの事は京都で事足りてしまうし、もしも京都以外でデートしようとすると大阪を飛び越して神戸あたりに行ってしまう。だから神戸や奈良は割と土地勘はあるのだけれど、大阪という街の土地勘がほとんどない。反対に大阪人は京都をよく知っているし、デートするにはみんな京都にやって来る。大学も京都へ通う事が多いから。
社会人になって、関西で就職した者は京都から大阪に通うことが多くなって、みんなよく知っているみたい。でも私は卒業と同時に東京に来てしまって、出張といえば本社がある京都ばかりだったし社会人になってもてんで大阪とは縁がなかった。
大阪の記憶と云えば数えるくらいしかない。子どもの頃に天王寺動物園に連れて行ってもらった事があったが動物園の記憶はまったくなくて、駅からの道すがら路上でおっさんが酔っぱらって寝ていたという強烈な記憶とか、父親がスーツを買うのにわざわざ丼池まで買いに行くのについて行ったりとか、学生時代、天満橋のデザイン事務所で春休みのアルバイトで通った事とか、その頃に友達と甲子園に阪神・巨人のナイターを見に行くのに梅田で阪神電車に乗り換えた事とか、大東市の友達の家に遊びに行った事。学生の頃に運送屋で引っ越しのアルバイトをしていて、京都から南森町辺りまで荷物を運んだ帰りにトラックの運ちゃんが小心者でどうしても空港線に車線変更できずに環状高速を2週回って結局1号線で帰った事とか。3年前に天満の先輩のデザイン事務所を訪ねて行った事など、数え上げればここに書き出せるほどしか大阪には行った事がなくて記憶もそれくらい。
ただし、大阪の地名は以前から色々と耳にしているのでいっぱい知っている。
だから地図さえ見れば、点が線に、線が面になって割と理解できた。
それと久しぶりに大阪の地下鉄に乗ってみたけれど、なんだか異国に来たような感じがした。
特に御堂筋線の梅田のホームには驚いた。なんだかロンドンの地下鉄のような構造になっている。
おおきな半円形のトンネル状のドームに上下2本の車両が出入りして、広いホームの中心から階段が取り付いている。東京の地下鉄にはこんな構造を持っている駅はない。以前から乗っていたはずなのに今更ながら感心してしまった。
それと、やぱり大阪には独特の「におい」がある。
小さい頃、京都から電車に乗って大阪の街に出ると途端に、あっ、大阪のにおいだと思ったものだ。学生の頃だけど大阪に来たときに鼻の中が真っ黒になった記憶がある。それだけ排ガスというか空気が汚れていたのかもしれない。
ゆっくり書いていたらそろそろ新横浜に到着しそうだ。
続きは帰ってから。
仕事関係での出張は独立して以来名古屋に行ったきりで、今回は大阪へ。
ただ、ビジネスではなくて私が加盟している協会から、
大阪の専門学校に模擬面接官として行ってこいとの要請で
協会の常務理事と有名なディレクターの大先輩ご両人についていく事に。
社団法人 日本広告制作協会(OAC)という団体があって
いわゆる広告デザイン制作を生業としている会社の集まりです。
JAGDAが個人のデザイナーの団体なら、こちらは法人が加盟する団体。
以前勤めていた制作会社が加盟していた際に、部会等の活動に参加していた経緯から
自分の会社を設立してから改めて入会し直しました。
その協会活動の中で「教育人材部会」というのがあり、そこに所属して
賛助会員校の専門学校や美術系大学との連携を推進するのが活動の目的です。
その一環として、協会員が学校に赴いて特別講義をしたり
就職活動支援の一環として、現場の採用担当や代表が模擬面接の指導に当たるというもの。
今回はどういうわけか協会のお歴々と同道することに。
政治家と同じく、こういった協会に加盟している社長さん達は
創業者の多くがもう60歳から70歳の高齢者が多くて
私たちのような40代50代は、まだまだはなたれ小僧の使いっ走りでして
行ってこいと云われれば何処へでも出かけて学校で話しをしたりします。
金儲けではないのですが、こういう団体に加盟して色んな活動に手弁当で参加すれば
色んな人たちに出会えるメリットがあります。
なかなかお話しできないような方達とも親しくなれるし
ひょんな切っ掛けで仕事につながったりする事もあります。
これも社会貢献の一環と云うわけです。
ただ、ビジネスではなくて私が加盟している協会から、
大阪の専門学校に模擬面接官として行ってこいとの要請で
協会の常務理事と有名なディレクターの大先輩ご両人についていく事に。
社団法人 日本広告制作協会(OAC)という団体があって
いわゆる広告デザイン制作を生業としている会社の集まりです。
JAGDAが個人のデザイナーの団体なら、こちらは法人が加盟する団体。
以前勤めていた制作会社が加盟していた際に、部会等の活動に参加していた経緯から
自分の会社を設立してから改めて入会し直しました。
その協会活動の中で「教育人材部会」というのがあり、そこに所属して
賛助会員校の専門学校や美術系大学との連携を推進するのが活動の目的です。
その一環として、協会員が学校に赴いて特別講義をしたり
就職活動支援の一環として、現場の採用担当や代表が模擬面接の指導に当たるというもの。
今回はどういうわけか協会のお歴々と同道することに。
政治家と同じく、こういった協会に加盟している社長さん達は
創業者の多くがもう60歳から70歳の高齢者が多くて
私たちのような40代50代は、まだまだはなたれ小僧の使いっ走りでして
行ってこいと云われれば何処へでも出かけて学校で話しをしたりします。
金儲けではないのですが、こういう団体に加盟して色んな活動に手弁当で参加すれば
色んな人たちに出会えるメリットがあります。
なかなかお話しできないような方達とも親しくなれるし
ひょんな切っ掛けで仕事につながったりする事もあります。
これも社会貢献の一環と云うわけです。
恋愛ってなんだっけ?
なんだかもう、そういう事ってずいぶんと遠い話になってしまったような気がする。
そう、恋愛の話になると昔から痛い目にあった事しか思い浮かばない。
そんなにモテる奴ではなかったし、かといって恋愛中毒な友達ほどにも熱心になれるわけでもなく・・・
私とてまだまだ男であって枯れ果てたわけじゃない。
けど、男女の関係のあり方がどうあるべきかっていう考え方は随分と変わったような気がする。既婚者だから絶対に女性と二人であってはいけないなどと聖職者じゃあるまいし云わない。でも変な言い方だけれどバレなければいいんじゃないかと。バレるってどこによ?それはとりもなおさず自分の中で処理できる大きさの問題であって、家庭にいざこざを持ち込んだり、相手にあるいは自分に必要以上の負荷をかけてしまうことは、まったくもって人生にプラスにはならないでしょうし。
惚れたってことは間々あるさ。
でも、その気持ちをどうすればいいのかもうあまり答えを持ってない自分に気がつくようになった。
だって、その恋心をどうするの?告白するの?まぁしたっていいかも知れないけれどされた相手も困るわな。嬉しいかも知れないけど迷惑かも知れないしな・・・
あまりに熱心に誘っても、なんだか自分がストーカーになったようで惨めだしって思ったとたんに「やめとこか・・・」ってなってしまう。
元々自分は熱しにくく冷めにくいタイプで、気まぐれのように何くれとかまってくれる相手には気づいてはいるけれどさして反応は鈍いのがいつもの自分。誘われたり誘ったりしながら、ずるずるとやってるうちに、相手にとっては煮え切らないと受け取られるらしく、相手の気が失せて来た頃にこちらがなんかいいなって思い始めてくる。そうなると相手とこちらのテンションの差が出てしまって、ちぐはぐになってしまう。とっくの昔に相手は見切っているのにこちらのテンションだけが空回り・・・・
そんなことが多くて「やっぱりやめとこ・・・」となる。
もう、ちょっとでも煩わしくなるとプラプラしてる方が気楽でいいやってなってしまうのがいつもの事。
そういう事が多いと、やっぱり恋愛なんてしなくってもいいや!って思ってしまうのです。
ただ、やっぱり男とばっかり話をしてても心癒される事って限られているからやっぱり女性と話しをしたくなるもので、近くにいるだけでも異性の発するものを受けるのは心のケアになるような気がする。
ソウルメイトって言葉を使う人もいる。いい言葉かも知れないな。
できればハグしたり触れたりできればもっと受けられるから心癒せる気がするんだけど。
千の言葉を尽くしても ひと時抱き合って
吐息や鼓動を聴くだけで
千の言葉も超える優しい気持ちをもらえる
だから 恋愛とかいう枠に閉じ込めなくても
これって愛?って訊かなくても
それだけでいいんじゃないか?
なんだかもう、そういう事ってずいぶんと遠い話になってしまったような気がする。
そう、恋愛の話になると昔から痛い目にあった事しか思い浮かばない。
そんなにモテる奴ではなかったし、かといって恋愛中毒な友達ほどにも熱心になれるわけでもなく・・・
私とてまだまだ男であって枯れ果てたわけじゃない。
けど、男女の関係のあり方がどうあるべきかっていう考え方は随分と変わったような気がする。既婚者だから絶対に女性と二人であってはいけないなどと聖職者じゃあるまいし云わない。でも変な言い方だけれどバレなければいいんじゃないかと。バレるってどこによ?それはとりもなおさず自分の中で処理できる大きさの問題であって、家庭にいざこざを持ち込んだり、相手にあるいは自分に必要以上の負荷をかけてしまうことは、まったくもって人生にプラスにはならないでしょうし。
惚れたってことは間々あるさ。
でも、その気持ちをどうすればいいのかもうあまり答えを持ってない自分に気がつくようになった。
だって、その恋心をどうするの?告白するの?まぁしたっていいかも知れないけれどされた相手も困るわな。嬉しいかも知れないけど迷惑かも知れないしな・・・
あまりに熱心に誘っても、なんだか自分がストーカーになったようで惨めだしって思ったとたんに「やめとこか・・・」ってなってしまう。
元々自分は熱しにくく冷めにくいタイプで、気まぐれのように何くれとかまってくれる相手には気づいてはいるけれどさして反応は鈍いのがいつもの自分。誘われたり誘ったりしながら、ずるずるとやってるうちに、相手にとっては煮え切らないと受け取られるらしく、相手の気が失せて来た頃にこちらがなんかいいなって思い始めてくる。そうなると相手とこちらのテンションの差が出てしまって、ちぐはぐになってしまう。とっくの昔に相手は見切っているのにこちらのテンションだけが空回り・・・・
そんなことが多くて「やっぱりやめとこ・・・」となる。
もう、ちょっとでも煩わしくなるとプラプラしてる方が気楽でいいやってなってしまうのがいつもの事。
そういう事が多いと、やっぱり恋愛なんてしなくってもいいや!って思ってしまうのです。
ただ、やっぱり男とばっかり話をしてても心癒される事って限られているからやっぱり女性と話しをしたくなるもので、近くにいるだけでも異性の発するものを受けるのは心のケアになるような気がする。
ソウルメイトって言葉を使う人もいる。いい言葉かも知れないな。
できればハグしたり触れたりできればもっと受けられるから心癒せる気がするんだけど。
千の言葉を尽くしても ひと時抱き合って
吐息や鼓動を聴くだけで
千の言葉も超える優しい気持ちをもらえる
だから 恋愛とかいう枠に閉じ込めなくても
これって愛?って訊かなくても
それだけでいいんじゃないか?
のら猫やのら犬は、生きるためにエサを探して回る。
ほぼそれが生活の全てであって、それを止めると「死」が待っている。
我々のような組織に属さぬ者はのら猫達となんら変わらないような気がする。
大きな企業に勤めている人たちは飼い猫のようなもので、必ず食い物は飼い主が用意してくれる。
それを食って、少しばかり飼い主の面倒なお相手はしなければならないけれど、後はひなたぼっこをしたり、家の中のお気に入りの場所で昼寝をしたりしていれば寿命を全うすることができる。
なにも自分一人あくせく働かずとも、毎月給料は振り込まれるし、社員数が多けれは多いほど、隠れ蓑のように必要以上のことはする必要もない。嫌な上司と関わらないといけない場面もあるけれど、それをのぞけばほんとうに飼い猫と何ら変わらぬ「危機感」を持たずに生きていける。
最近、とある企業に常駐という形で毎日通っているが、
そういう人たちとの意識のずれを特に感じてしまう。
私のようなピンの人間はどうしても声を掛けてもらった仕事は断る筋合いは何処にもない。
これでまたひと月食えると胸を撫で下ろすのだが、大企業にいる人たちはちょっと手間のかかる仕事となるとすぐに敬遠したがる。たぶん「なんで自分がやらなくちゃならないんだよ」と考えてしまうんだろうな。確かに私も組織に所属していた頃は、そんな意識だったような気もする。
ただ、小さなプロダクションなんかだと、ひとりが働かないとすぐに目立ってしまうし、そんなヤツはしごく迷惑だから、いくら雇用関係があろうとも辞めさせられてしまう。大企業だとホント使えないヤツでも採用した企業側の責任で雇用を継続しなくてはならない。大きかろうが小さかろうが変わらないが、大企業ほど辞めさせられないわけで、のうのうとそういう輩がのさばって生きていく。事もあろうに年功序列で課長や部長に昇進したら、部下にとっては甚だ迷惑であり不幸以外の何ものでもない。
日本企業が伸び悩んでいるのは、もしかしたらそういう輩が組織に蔓延していて、全うな企業活動がもはや出来なくなっているのではないだろうか。
そう考えると、勝つか負けるかなどはとても容易い事ではないか。ちょっとやる気を出して、組織を活性化して、成果をあげれば報償を出し、そいつに追いつけ追い越せを意識させれば、組織なんてもっと活性化できるはず。そして逃げ腰野郎や勘違い野郎は、もっと目立ってくるし、左遷の理由をとうとうと語って聞かせる必要もないというものだ。
日本の活性化なんて、もしかしたら意外と容易くできる事なんじゃないのかなと思ってしまったりするのだが。
ほぼそれが生活の全てであって、それを止めると「死」が待っている。
我々のような組織に属さぬ者はのら猫達となんら変わらないような気がする。
大きな企業に勤めている人たちは飼い猫のようなもので、必ず食い物は飼い主が用意してくれる。
それを食って、少しばかり飼い主の面倒なお相手はしなければならないけれど、後はひなたぼっこをしたり、家の中のお気に入りの場所で昼寝をしたりしていれば寿命を全うすることができる。
なにも自分一人あくせく働かずとも、毎月給料は振り込まれるし、社員数が多けれは多いほど、隠れ蓑のように必要以上のことはする必要もない。嫌な上司と関わらないといけない場面もあるけれど、それをのぞけばほんとうに飼い猫と何ら変わらぬ「危機感」を持たずに生きていける。
最近、とある企業に常駐という形で毎日通っているが、
そういう人たちとの意識のずれを特に感じてしまう。
私のようなピンの人間はどうしても声を掛けてもらった仕事は断る筋合いは何処にもない。
これでまたひと月食えると胸を撫で下ろすのだが、大企業にいる人たちはちょっと手間のかかる仕事となるとすぐに敬遠したがる。たぶん「なんで自分がやらなくちゃならないんだよ」と考えてしまうんだろうな。確かに私も組織に所属していた頃は、そんな意識だったような気もする。
ただ、小さなプロダクションなんかだと、ひとりが働かないとすぐに目立ってしまうし、そんなヤツはしごく迷惑だから、いくら雇用関係があろうとも辞めさせられてしまう。大企業だとホント使えないヤツでも採用した企業側の責任で雇用を継続しなくてはならない。大きかろうが小さかろうが変わらないが、大企業ほど辞めさせられないわけで、のうのうとそういう輩がのさばって生きていく。事もあろうに年功序列で課長や部長に昇進したら、部下にとっては甚だ迷惑であり不幸以外の何ものでもない。
日本企業が伸び悩んでいるのは、もしかしたらそういう輩が組織に蔓延していて、全うな企業活動がもはや出来なくなっているのではないだろうか。
そう考えると、勝つか負けるかなどはとても容易い事ではないか。ちょっとやる気を出して、組織を活性化して、成果をあげれば報償を出し、そいつに追いつけ追い越せを意識させれば、組織なんてもっと活性化できるはず。そして逃げ腰野郎や勘違い野郎は、もっと目立ってくるし、左遷の理由をとうとうと語って聞かせる必要もないというものだ。
日本の活性化なんて、もしかしたら意外と容易くできる事なんじゃないのかなと思ってしまったりするのだが。
生きる事は辛い。
そう感じるのは 世の中を組織から離れてひとりで歩き出してからか。
ただ弱気でそう云うのではない。
敗北は死を意味する事にあらずして
復活を遂げるための小さな一歩なのかも知れない。
何度でも敗北を喫してきた。
でも私は強かに生き続けている。
その命の綱を あなたは何本持っているだろうか?
私はその命の綱をたぐり寄せて 強かに生きている。
春、15の誕生日を迎えた翌日、彼は「路地裏の少年」でソロデビューした
彼との出会いが、15の少年を変えていった
生き急ぐ事の意味 社会への不信 大人への反抗 暴走 薄暗い裁判所の廊下
淡い恋心。そして暗くて長い浪人時代の鬱屈した感情
10代を駆け抜けたときに、いつも耳元で聞こえていた「ラストショー」
それ以来、自分の人生がシンクロするように彼の歌と共に疾走する
20代 少し大人になった気がした
大人の恋愛。夜の街で出会った年上の人妻 別れ
学生の分際で転がり落ちるような同棲
何かをつかみたくて駆け回っていた時代
自分勝手な私を優しく見つめて去っていった恋人
演劇 映画 音楽 山 スキー 長距離トラックの運転手
そして宛てのない放浪の旅の繰り返し
卒業 そして就職 恋人との別離 上京 東京
大都会に飲み込まれるようにあくせくと働かされていた駆け出しの頃
世間はバブルに踊っていた でも自分は朝まで仕事
不安 何かが違う くそったれ人生
惨めな独身寮生活 そこを抜け出した独りの四畳半
寄る辺なき都会の雑踏 スクランブル交差点の人の波 出会い そしてまた同棲
30代 不安とバブル崩壊の荒波の中で 責任を負う事の意味
あえぎながらも負の遺産を背負って 会社を建て直すために朝まで働き通し
成功 そして恋 不倫 大人の出会い 背徳的なセックス
不惑の40代 自信 そして重責 家族 少しの息切れ
代表取締役の一歩手前 経営的確執 覇権争い 謀略 敗北
そして独立 バブルに次ぐ不況
大波に翻弄されながらも小舟を漕ぐ漁師のよう
around 50 before the dawn 新しい夜明け前の静寂
夢見ていたような未来はもう来ないという諦観
無邪気な恋に落ちるにはもう若くない
柔肌に顔をうずめた一瞬の安堵 そして孤独
行き先の分からない船 帰る港を見失いかけている
でも走り続けなければならない訳はある
それは自分が生き続けている限り
それを探し求めるのが人生という旅ならば
生きている限り 15の出発からあてどない放浪の旅はまだまだ続く
そう感じるのは 世の中を組織から離れてひとりで歩き出してからか。
ただ弱気でそう云うのではない。
敗北は死を意味する事にあらずして
復活を遂げるための小さな一歩なのかも知れない。
何度でも敗北を喫してきた。
でも私は強かに生き続けている。
その命の綱を あなたは何本持っているだろうか?
私はその命の綱をたぐり寄せて 強かに生きている。
春、15の誕生日を迎えた翌日、彼は「路地裏の少年」でソロデビューした
彼との出会いが、15の少年を変えていった
生き急ぐ事の意味 社会への不信 大人への反抗 暴走 薄暗い裁判所の廊下
淡い恋心。そして暗くて長い浪人時代の鬱屈した感情
10代を駆け抜けたときに、いつも耳元で聞こえていた「ラストショー」
それ以来、自分の人生がシンクロするように彼の歌と共に疾走する
20代 少し大人になった気がした
大人の恋愛。夜の街で出会った年上の人妻 別れ
学生の分際で転がり落ちるような同棲
何かをつかみたくて駆け回っていた時代
自分勝手な私を優しく見つめて去っていった恋人
演劇 映画 音楽 山 スキー 長距離トラックの運転手
そして宛てのない放浪の旅の繰り返し
卒業 そして就職 恋人との別離 上京 東京
大都会に飲み込まれるようにあくせくと働かされていた駆け出しの頃
世間はバブルに踊っていた でも自分は朝まで仕事
不安 何かが違う くそったれ人生
惨めな独身寮生活 そこを抜け出した独りの四畳半
寄る辺なき都会の雑踏 スクランブル交差点の人の波 出会い そしてまた同棲
30代 不安とバブル崩壊の荒波の中で 責任を負う事の意味
あえぎながらも負の遺産を背負って 会社を建て直すために朝まで働き通し
成功 そして恋 不倫 大人の出会い 背徳的なセックス
不惑の40代 自信 そして重責 家族 少しの息切れ
代表取締役の一歩手前 経営的確執 覇権争い 謀略 敗北
そして独立 バブルに次ぐ不況
大波に翻弄されながらも小舟を漕ぐ漁師のよう
around 50 before the dawn 新しい夜明け前の静寂
夢見ていたような未来はもう来ないという諦観
無邪気な恋に落ちるにはもう若くない
柔肌に顔をうずめた一瞬の安堵 そして孤独
行き先の分からない船 帰る港を見失いかけている
でも走り続けなければならない訳はある
それは自分が生き続けている限り
それを探し求めるのが人生という旅ならば
生きている限り 15の出発からあてどない放浪の旅はまだまだ続く