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ソリッドのブログ

模型、トイガン、クルマやバイク、アニメや映画、ZIPPO改造などその時々のマイブームを記事にしています。戦士の銃にはちょっとウルサイですw
 
同好の趣味の方ヨロシクお願いします。








終戦記念日である8月15日、金ローで「火垂るの墓」が放送されましたね。
その感想文なので特に面白くはない記事です。


初めて火垂るの墓という作品を観たのは5年前か10年前か、観るに至るきっかけも何だったかはもう覚えてませんがDVDをレンタルしたような記憶があります。

感動作という売り文句めいた触れ込みをよく耳にしますが、いやその時は全く感動しませんでした。
率直に一言で言うと清太の自分本位な振る舞いがこの二人の兄弟にとって最悪の結果を招いたという印象が強く残りましたね。
でも全てが裏目に出て成すすべなく悲劇を迎えてしまう結果に関しては悲しいし同情しますよ。ほら見たことか!みたいな気持ちではありません。


その後も火垂るの墓についての感想や考察を目にする機会があるたびになぜ感動作と呼ばれるのか、その所以を知ろうとしましたが結局納得のいく結論には至らず。
でも観る人の考え方や経験、境遇などによっても様々な受け取り方ができる作品ではありますし幼い兄弟に降りかかる哀しい運命に涙してしまう心境になるのも無理はないことは理解してるつもりです。

で、今回の金ローでの放送を知りもう一回観てみようと。

正直な話、火垂るの墓はもう観るつもりはなかったんですけど、いや待て、もう一度観たら何か感じ方が変わるかもしれん。と思い直した次第。
火垂るの墓という作品を今ならどう感じるか、それはなぜなのかをはっきりさせるのが目的でもあります。


観ました。

いや全く感動しませんでした。感情があまり動かされない。

別にね、誰もが感動すると思ったら大間違いだぜ!みたいに斜に構えてはいませんよ。むしろ涙腺弱くなってきた今観たら号泣しちゃうかも、くらいのニュートラルな心持ちでした。

なので、この作品ってそういう造り=感動しないような造りになってるんじゃないかとさえ思えてきたんです。
感情を高ぶらせるようなBGMの使い方はしてないし登場キャラクターに特に感情移入させるような演出もしてないような気がします。
淡々と日々の出来事を描いているだけというか。その出来事は悲しいことや残酷なこともあるんですがそれすら単なる事実として描かれてる印象。

あ、感じ方は人それぞれなので賛同してもらわなくて構いません。でもだからといって反論されても困りますけど。
だって節子が亡くなったあと一人で遊んでるシーンとか、そこ泣けますよね? でもそのシーンですら感動シーンだと思えない感覚。むしろ不思議なんですよ。
常に客観的に俯瞰して観てる感覚。

ちなみに私、他のアニメとか観てけっこう簡単に泣きますよw


清太の振る舞いに対しては前回観た時ほどには苛立ちを感じませんでしたね。
14歳っていやあ今なら中学2年くらい? 遊びたい盛り。で、何一つ不自由なく甘やかされてきたであろうお坊っちゃん育ち。ああいった態度や行動もしちゃうんだろうなって。
それを預かるおばさんの立場からしたらそれが鼻につくことこの上ないだろうってのも想像できます。
そういう日々の積み重ねが清太とおばさんの間にはあったんでしょうね。

登場キャラクター達に共感できる部分はあります。でも好きにはなれませんね。全員が戦争の被害者と言えますし誰も悪人ではないけれど、戦争によって引き起こされる様々な生活環境の変化で人間の嫌な部分が垣間見えてしまってその嫌悪感が強いのかもしれません。

でもその嫌悪感はキャラクター個人ではなく人をそうさせる状況、悲しく残酷な出来事の元凶である戦争という愚行にこそ向けられるべきものであり、その静かに高まる憤りに気持ちを支配されてしまう、そう感じさせる作品のため私個人にとっては感動作と思えない要因なのかもしれない。と結論づけました。


最後に、感動しないから好きじゃない作品ということではありません。
思ってることを全て正確に言葉にする文才はないので誤解や不快感を招く表現などあったかもしれません。が、色々と感じたことを気持ちが冷めないうちに書き留めておきたくて記事にしました。お目汚し失礼しました。


えー全然分からん、賛同しかねる! 何言ってんの? いやそ~じゃねぇよ、と思われた方はイイねも押さなくて結構っすよ♪