光のMari-yuです。
久しぶりにブログを書きます。
前回から数日ぶりですが、初遠征の富山から無事戻ってきました。
記事を見てくださった方、ひそかにも応援ありがとうございました。
いろいろと書きたいこともありますが、そちらについては次回以降の記事で書いていこうかと思います☆
まずは伝えたいメッセージとか近況って感じです。
そうですね、私としてはいろいろなことがあって、ここ5月からは委ねるとか聖なる流れに乗るってタイミングが続いています。
あえて、何かをどうするってわけではないんだけど、「ねばならない」とかそういった意識を手放していっている感じですね。
言葉でいえば、「float」(浮く)って感じだけど、漂うって英語でいうと「drifting」になるみたい。
道がわからないときは、そうやって泳ぐといいよと。
仰向けの背泳ぎで波に流されていくように。
イルカのスピリットがかつて教えてくれました。
その都度のその都度のご縁に感謝していっている感じ。
少し前までの私は、結構限られたタイムリミットの中で、選ぶことが多くあったけれど。
多くは生活だったりとか、金銭による事情というのもあって。
とても今というものにしがみついていたのかもしれないなとも思う。
それは物的なものというか。生き残るためというか。、焦りってやつかな。
恐らくだけど、私が見たい次元は“そうじゃない”って感じ始めてから、
沢山のこう在りたいというものがこれまでに溢れてきたように思う。
自らに導かれて、内側の光を見ると感覚というか。
それはまさしく、愛。
…幸いなことにも、フリーとしての運営のお仕事のお話を知り合いつてでいただいたり、
これまでよりも融通の利く派遣でWEBの仕事をいただくキッカケが訪れたり。
いわゆる掛け持ちってやつですね☆
小さいけれど一つ一つをこなしながら、ジュエリー制作だったり、ヒーラーとかセラピスト講師だったり、
それらをやっていくということにつながっていて。アリとキリギリスの日常みたいだけれど。
…誰かを導く者だとするならば、何か特別なものであったり、特別な存在だとか、固有のエネルギーだとか、
なにか特別さというものを外側に追い求めていた野望は若いときはそれほどに燃えるものだけど、
それらに感謝して削がれていっている感覚。
なぜならそれはカタチさえも溶けて、愛になったのだから。
自分ほど、特別で唯一無二ってものはないんじゃないのかと☆
最近つくった私の存在感ってやつです(こっちはジュエリー制作の仕事用のイメージ)
影に光を纏うって感じは実はこんなにも煌びやか✨
いっそのこと、私は光の武者である方がそれらしいのかもって。
きっとそれが、Divine alchemyの象徴の光って感じ。
ようやく、イエローを扱えるようになったみたいです。私。
ただ、光であれ、そういう存在感✨
だから、私は光に還ってきた。