「つい人と比べちゃう」という事 | 自然体でいられる幸せ哲学

自然体でいられる幸せ哲学

いつも飾らずあるがままの自分でいられるのって、本当に幸せです。
20年ちかく、人材業界、留学カウンセラー、人事と、たくさんの人と接してきた経験を、
心理学、脳科学、哲学と、少々スピリチュアルなんかに照らし合わせて
「自然体」でいられる方法を考察しています

昨日は、継続コースの記念すべき1回目でした!

帰ってきてから、イタリアンで
癒されている私↓




昨日のセッションの話題のひとつに
「つい人と比べちゃう」という事があって

よくある事だと思うのですが
それで苦しむ事も
それまた、よくある事ですよね

ただ、比べたとしても、

それを原動力に頑張れたり、発展させられれば

それは良い刺激になりますよね

だけど、それを自己否定とか、負けたとか
そちらに持っていってしまうから
苦しい訳です


いつも「つい人と比べちゃう」のは
言ってみれば「思考グセ」なのですが
その瞬間、「この人と私は違う」と思う事は
止められないと思うんです

ただ、その先の思考や行動を
自分がどう選んでいるか

負けたと思うか
私もがんばろうと思うか


それが違うだけ


コーヒーブレイクw


ちょっと小難しい話になっちゃうかもしれませんが
かの、ギリシャ哲学者のアリストテレスさんがおっしゃったように
人間は「社会(ポリス)的動物」なのです

(Wikipediaより抜粋)
社会的動物(しゃかいてきどうぶつ)とは、
社会を構築し、その中で生活する動物の事である
アリストテレスは『国家』において、
人間は「zoon politikon (ポリス的な動物)である」と述べた。
人間というのは、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、
ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人同士の共同体)を
つくることで完成に至る、という(他の動物には見られない)
独特の自然本性を有する動物である、ということを述べた。



アリとか、サルとかもそうだと思うのですが
人間って、社会を作って共同体となる事で
生き延びてきた種(動物)なんですよね


しかも!

《善く生きること》を目指す人同士の

共同体をつくることで完成に至る
 

って、こんなに昔から言われてるんだ!って

思いましたけど、この話は、またそのうちに。。

 

 

だから、他者の存在がなくなる事はなくて
どういった形でも「全く意識しない」っていうのは
無理だと思うのです

という事は、「他者と自分が違う!」と思う所までは
本能に近い事なんだなと


ただ、その後の思考や行動は自分が選べる訳です


今まで、無自覚に選んでたかもしれないし
育った環境で、知らずにそう選ばされてたかもしれない

でも、いつでも、いつからでも
選び直せるし

選び直すかどうかも自分次第

選び直すっていっても
どうやったらいいかわからない。。
なんて方は、
 

ぜひ一度、会いに来てもらえればなーと思います照れ

 

 

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四角お客様の声四角

 

クローバー 自分の思い込み=判断基準で世界はできていて、
見たくないものを見る恐怖があるとはっきりわかった
そしてそれは案外ドウデモイイ思い込みで、
まず色々やって見てから考えよう、と思えました

 

クローバー 自分の「人間関係に対して無意識に
持っていた感覚」が明らかになり、
人間関係に対して気持ちが楽になった

 

クローバー 自分の中にいかに先入観で物事を捉えているか?
良いか?悪いで?で判断しているかに気づきました

 

クローバー 自分の持ってるムダな概念が明るみとなり、

さらにさらに、わたしはこの歳にもなってもなお

「白馬の王子様と運命の出逢い説」を抱く、脳ミソお花畑な女でしたw

 

 

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