日本百名山 其之陸 白馬岳 後編
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08:50 白馬大池山荘到着
雲が多くなってきていて、かなり冷え込んできていた。
蓮華温泉からの道と合流して、白馬大池山荘となる。
蓮華温泉からの道 白馬大池山荘
白馬大池山荘2 白馬大池前のキャンプ場
ここ、白馬大池で遅めの朝食を摂る事にした。
山荘のなかで、暖かいうどん等を食べたかったのだが、あいにく食堂などは営業していなかったため
自炊することにした。
大池前のキャンプ場には、2つ、テントが張られており、ここをベースに小蓮華、白馬へと向っているそうである。
朝食のペンネとミネストローネ
ペンネ調理風景
朝食はイタリアンとなってしまった。
メニューは、ペンネとミネストローネである。
どちらも暖かく非常においしかった。
近くで見ていたおじさんも、うらやましそうに見ていた。
食事後、水場で食器等を洗い、白馬大池を見物しにいった。
湖面は穏やかで、水はさすがに冷たかった。
紅葉と湖、とても和風な雰囲気であった。
白馬大池と紅葉1 白馬大池と紅葉2
丁度、この湖面の写真を撮り終えたところで、携帯のバッテリーが切れてしまった。
この日の朝からかなり少ない状況だったのだが、ここまで良く持ったと思う。
白馬大池まではもってくれと、思いながらここまで来たので、十分であった。
この先は、もう1つの携帯カメラで撮ることになった。
09:35 白馬大池山荘出発
予定よりも早く着いたのだが、朝食を摂っていると、ほぼ計画通りの時間となってしまった。
大池山荘の間の小道を通りぬけて、栂池へと向うルートをとる。
小蓮華であった男性とも、出発直前に小屋の前で再開した。
ここからは私の予想に反して、湖の周りを抜けていくコースであった。
大きな岩を飛び越えていくような、非常に不安定な道であった。
湖面を右手に進んでいった。
私は岩場をピョンピョンと飛び跳ねるように登っていった。
09:53 白馬乗鞍岳通過
岩場を登っていくと、広い平野に出る。
その先に、大きなケルンが見える。そこが白馬乗鞍であった。
ここでラジオを取り出し、10時のニュースを聴きながら先を進んだ。
(ここからはカメラの都合上、画像がかなり荒くなります。申し訳ございません。)
白馬乗鞍頂上 大きなケルン
乗鞍から東方面 天狗原へのくだり
天狗原へと下っていくのだが、時刻が10時を過ぎていたので、登山者の数がかなり多くなっていた。
逆に下山者は私一人で、ほぼ道を譲るかたちになっていた。
そして、下りも安山岩の大きな岩がゴロゴロしていて、一歩足を踏み違えると大怪我する恐れがあった。
八ヶ岳方面 下りの紅葉
天狗原への下り 天狗原への下り2
途中に八ヶ岳方面が大きくみえた。この山行中に、常に綺麗に八ヶ岳がみえていた。
近々登ってみたい山である。
このあたりになると、自然が多いせいか、かなり紅葉が進んでいることに気づかされる。
もみじなども、ほとんど真っ赤に染まっていた。
天狗原が近くなってくると、山道も湿気が多くなってきていた。
また、高度もかなり低くなってきているせいか、気温が上がり、暑くなっていた。
道には湧水があふれている部分が多く、岩が湿っているため、滑りやすい。
滑りやすい山道
11:10 天狗原木道通過
急な下りがひと段落すると、天狗原への入り口となる。
しばらく木道が続いており、静かな湿原を歩いていく。
このあたりは、休日を利用して写真を撮りに来られている方々がたくさん居た。
天狗原への入り口 湿地帯の木道
後ろを振り返ってみると、綺麗に紅葉した白馬乗鞍がそびえていた。
これから、向う人たちがかなりいた。
乗鞍の紅葉1 乗鞍の紅葉2
天狗原湿原
日差しがかなり強くなってきていて、気温も上がってきていた。
かなり、汗をかいていたが、水分補給もせずに、先を急いでいた。
天狗原をぬけると、また急な下山道に入る。
岩は少ないが、でこぼこした道である。
恐らく、登山口まであと20分くらいといったところであろうか、ここで今回の山行で一番の危機を迎えてしまった。
登ってくる2,3人の人とすれ違った瞬間、バランスを崩し、強く右足首をひねってしまった。
「バキ!」という音が聞こえた。
なんとか、その場に倒れずに済んだが、すぐに座りこんだ。
あぁ、やってしまったと思った。恐らく折れたかなあと思った。
ここまで、下山ということもあり、あまりにも軽率にきてしまっていた。
まず失敗の1つに、下山を急いだこと。時間的制約はなかったのだが、なんとか早く降りようという心理が働いていたようだ。
次に、登山靴の締め忘れ。白馬岳山頂から何度か注意してきたのだが、やはりおろそかになっていた。
このときも、しっかりと紐が締められておらず、足首周りが緩んでいた。
最後に水分補給を怠っていたことが挙げられる。
実際、乗鞍で給水して以来、約1時間半ほどしていなかった。
そのため、集中力が切れていたと思う。
途中、何回か軽い捻挫をしそうになっており、そのたびに、最後の最後で怪我をしては意味がないぞ!と自分に言い聞かせていたにもかかわらず、やってしまった。
情けない。
その場で座り込んで、まず足首の様子をみた。なんとか歩けそうであったが、無理すると痛い。
水分を摂った。かなり喉が渇いていたようで、大量の水分を摂った。
この後、なんとか歩くことが出来たが、ペースが恐ろしく落ちた。
段差のある階段のようなところが、厄介で、そろそろと下りることしか出来なかった。
残りわずかであろうが、なかなかビジターセンターが見えてこない。
少し、焦りにも似た感じが私を包んでいた。
12:00 栂池ビジターセンタ到着
本日のゴールであった。予定通りであったが、怪我から約30分ほどロスして到着した。
空は晴天であった。周りの木々もアルプスを思わせるような綺麗な景色であった。
しかし、依然、右足は痛かった。
でも、正直ほっとしていた。なんとか下山することができた。
栂池山荘が見えた 栂池山荘横の登山口
下山してきた場所は、昨年訪れた自然公園への入り口であり、懐かしい思いがした。
ベンチに荷物を降ろし、足の状態を確認してみた。
かなり腫れていた。骨折は覚悟した。
荷物を整理し、汗をかいた服装を着替えた。
紅葉祭りが行われており、たくさんの人々がこの地を訪れていた。
私は、足をテーピングし、ゴンドラ乗り場まで歩いた。
栂池ビジターセンター
このゴンドラ乗り場からリフトを乗りついで、約20分ほどで栂池の市街まで降りることができる。
ゴンドラ乗り場で冷たいジュースを買った。
ゴンドラからは白馬三山や、浅間、四阿山などがきれいに見えていた。
ゴンドラを降り、リフト乗り場まで歩いた。
足はやはり痛かった。
リフトに乗った。このリフトは本当にお世話になっているなあ・・・と思った。
初めて乗ったのは高校生のとき、それから、何回もこのリフトに乗っている。
懐かしかった。
リフトから見る風景は、なにひとつ変わっていなかった。
まだ夏草のままの草原をパラグライダーが優雅に舞っていた。
12:30 栂池到着
12:45の長野駅行きのバスに乗ることが出来たが、食事や温泉に入りたかったため、次の13:45というバスを待つことにした。
汗ばんだ体を綺麗にしたかったので、温泉に向った。
しかし、ここで手持ち現金が、バス代を払うと温泉代しか残らないことに気づく。
コンビニでおろせばいいや、という安易な考えで、まず温泉に入った。
バス停からまっすぐ下ってすぐの、栂池温泉に入った。
まだ早い時間だからか、まったく人が居なかった。
貸しきり状態の風呂に入った。
露天風呂からは白馬岳がきれいに望めた。極楽であった。
が、この風呂が足にはよくないと思い。
すぐに、水風呂に入り、右足を冷やす。
本当は風呂自体悪いのだろうが。。
頭も洗って、すっきりして、風呂を出た。
女将さんに近くにコンビニ又は、銀行がないか聞いてみたが、国道まで降りないと無いとのことだった。
だから、昼食はあきらめた。
バスの時間まで、温泉の待合所で新聞を読んでいた。
新聞を読みふけりすぎて、あやうくバスに遅れそうになった。
足をひきづりながら、温泉を後にした。
栂池温泉
13:45 長野行きバス乗車
バスに乗って、白馬の町並みを見ながら帰っていた。
途中、停留所で何人かの人をピックアップしていた。
気づいたら眠ってしまっていたようだ。
また、長野駅の手前で起きる。
日差しは夏のようであった。
15:15 長野駅到着
とにかくお金を下ろさないと帰ることができなかったので、少し離れていたが、道をはさんで向こうのセブンイレブンまで歩いた。
かなり、足が痛んできていた。
セブンイレブンで「したらば」が売っていたので、それを買ってしまった。
店員に駅にレストランのようなものがあるか?と聞いても、まったく、とんちんかんな回答しかできず、大丈夫か?と思ってしまった。
長野駅に向かい、とりあえず、切符だけを買う。
確かに、駅のなかに食事施設はあまりなく、売店で昼食を買って、車内で食べることにした。
15:35 長野駅出発
長野駅が始発なので、新幹線は座席が十分に確保されていた。
座席に座り、買ってきたビールを飲む。
冷えていて、すこぶるうまい。
おにぎりやら、サンドウィッチやなんやら、大量に買いこんできたものを一気にたいらげた。
途中、佐久平や軽井沢あたりで、席は満席となり、立っているお客さんも出始めていた。
夕暮れの上州路を電車は軽快に走っていく。
車内ではまったく眠ることができなかった。
目の前の新幹線の情報誌に目を通した。北前船の歴史について書かれた興味をそそる文書であった。
以前、広島に旅したとき、瀬戸内から東北への定期船が出ていたということを知って驚いたのを思い出した。
東北地方に上方文化を伝える重要な便だったようだ。
17:05 東京駅到着
そうこうしている間に東京駅に着いていた。
下車するとすぐに、足の痛みが襲ってきた。
しかし、とにかくここまで無事に帰ってこれてよかったと安堵したのも事実であった。
18時過ぎに自宅に無事到着した。
この日は、なぜかすき焼きを食べたくなり、スーパーで高級な和牛を買い、自宅でサッカーを見ながら食べた。
卵を買い忘れ、あきらめようと思ったが、あの生卵につかった肉を食べたかったので、もう一度買いに行った。
自転車には乗ることができたので、なんとか再度、家から出る気にはなったが。。
苦労のおかげか、すきやきは非常においしかった。
足のほうは翌日、急患として診てもらったが、骨には異常がなく、骨折していなかった。
骨に異常がなかったため、そのまま放っておこうと思った。
しかし、二日後になっても腫れが引かないため、週末再度、医者を訪れた。
診断の結果、靭帯を損傷していた。
断裂まではいっていないが、かなりの怪我らしい。
足首を左右から挟みこむタイプのギプスで固定された。
取り外し可能なので、生活上、支障は少なかったが・・・。
この日から約三週間、そして、その後の1ヶ月ほどリハビリとなってしまった。
白馬は総じて最高であった。
テント泊の失敗も教訓になったし、楽しかった。
しかし、最後の怪我だけが、本当に残念な結果となってしまった。
山行中の水分補給は、体力的なことだけでなく、集中力にもかかわるのだなあ~と改めて肝に命じた。
終
日本百名山 其之陸 白馬岳 中編
前編からの続き
2007/10/05 15:00 @白馬山頂宿舎
宿に着くと、すぐにテントを張るために、申し込みに行った。
先客で、先程の学生がおり、あまりの寒さに鼻をダラーンと垂れていた。
小屋のおじさんに500円を払い、テントに付ける印のようなものをもらった。
ノートに記帳して、少しおじさんと話した。
今日は平日金曜ということもあり、人は少ないし、そろそろシーズンオフとのことであった。
この辺りはやはり遭難事故が多く(登山者自体多いのだが)、積雪期にはガイドをつけていても、遭難してしまうと仰っていた。
小屋を後にして、その少し上の幕営地点に向かう。
飲料水とトイレは使い放題とのことであった。
テント設営所に着くと、学生さんが場所を見定めており、さらに1つテントがすでに張られていた。
どうやら、先客がいるようであった。
時刻は15時過ぎであったが、風が冷たく、寒さを感じていた。
私は、そそくさと場所を決め、テントを張ることにした。
風は東から吹いており、時にはかなり強く吹いてきていた。
学生さんは大きなレシーバを持って、友人と交信しているようであった。
ここでは携帯電話の電波は入らなかったが、ハムの電波は入っているようであった。
風が強かったので、なるべく風を避けるところを選らんで設営しようとしたのだが、テント設営中、フライやテントが風で煽られる場面が多々あった。
手馴れていないせいか、設営がぎこちない(笑
設営している最中に、幕を引っ掛けるフックとポールの間に左手の人差し指を挟んでしまい、流血したり、強く引っ張ったり、握ったりしたために、親指の爪部分を傷めたりと、何かと手が傷ついた。
やはり、軍手が必要であろう。
それに、なんといっても、寒い。
指先の感覚が鈍くなってくる。
16時ごろ、やっとこ、フライまで張り終え、テント内に入る。
風は凌ぐことができるが、マットが無いため如何せん地面からの冷気をシャットアウトできない。
テント内に入り、ザックを広げ、荷物を出し、汗で濡れた服を着替えた。
ラジオをつけ、地図を広げ、今日のルートを振り返り、明日のルートを確認する。
心地よい疲れが、全身を覆ってきた。このまま眠れそうであった。
が、夕飯を食べてから寝ようと思い、水を汲み、ビールを買いに小屋まで行った。
相当に冷え込んできていた。
初めてのテントはそれなりの居住性は確保できていた。
17時前になったので、夕食の準備をし始めた。
買ってきたビールは水をかけて、外に放りっぱなしにしておいた。
それで十分に冷えているくらい、外は寒かった。
夕日の紅い光が、向かいの山を染めている。
向かいの山というか、白馬岳と杓子岳をつなぐ、稜線になるのだが。
寒空の下、夕食はパスタと炊込おこわと豚汁にした。
いずれも、お湯でできる簡単なものである。
今回はこのような簡易な食料の味見も兼ねていたので、かなりの食料を買い込んできていた。
バーナーに火をつけ、パスタを煮込み始める。
私の持ってきたコッヘルでは底が浅いため、パスタ全体が水に浸からなかった。
煮込み始めて、5分後くらいに、半分に折って入れればいいということに気づいた。
アウトドアではいろいろと知恵をめぐらすと、思いも寄らない解決法が浮かんだりするのだと思った。
「ひらめき」はすばらしい。
パスタの味はまずます。
クリーミーな味付けで、お腹を膨らませてくれる。
なにより、温かいのがうれしい。
続いて、おこわと豚汁の調理に移る。
といっても、湯を沸かしているだけだが・・・(笑
おこわは、入れる湯の量がわかる線があるとのことだったが、勘違いして最上部までいれてしまった。
絵では上部のジッパーが閉まるのだが、明らかに湯の入れすぎなので、締めようとすると、湯が溢れてきた。(笑
中身の湯を捨てていくと、ここまでという線が見えた。
ジップを締めて、20分ほど放置しておいた。
残った湯で豚汁を溶かし、すすった。
なんども書くが、この環境下では温かいものは、本当にありがたい。
が、すぐにさめてしまうという難点もあった。
豚汁はやはり、味噌汁ベースなので、味はうまい。
おこわは湯を捨てたせいか、全体的に味が薄かった。
しかし、米自体はふっくら炊けているような感じで、薄味ながら完食してしまった。
残ったビールを飲んでいたが、寒さのために、あまり酒は進まなかった。
酔っ払うというほどでもなく、体温は逆に下がったような気がした。
食後、食器を洗いに表へと出た。辺りは薄暗い。
水を使って、食器を洗ったが、水がとてつもなく冷たい。
トイレに寄って用を足し、テントに戻る。
寝袋に足を突っ込んで、寝る準備を整える。
テント越しでも、辺りが暗くなってきていることが分かる。
ヘッドランプを取り出し、電灯代わりに使用する。
ラジオを聞きながら、寝袋にもぐりこむ。
この時点では、若干の寒さを感じていたが、ラジオを聴いていれば、自然と眠れるだろうと思っていた。
ラジオの電波は結構入った。関東圏はもちろん、東海、関西まで入った。
ABCやMBS、OBCといった懐かしいラジオ局の名も聞かれた。
ちょうど、ナイター中継が終了したタイミングなので、野球の特集番組が放送されていた。
太田孝司や、亀山といった懐かしい関西の声が聞こえた。
寝ようとして、30分ほどたっただろうか・・・。
まったく眠れない・・。
恐ろしく寒い・・。
地面から背中の熱が奪われていくのが分かったし、テントの中も冷えていることに気付く。
体勢を横にしたり、寝返りを打ったり、背中に新聞紙を入れたりとしたが、寒さは簡単には拭えない。
そうこう考えていると、朝までこの状況で持つのか?という不安感に駆られてきた。
死なないとは思うが、朝まで耐えられるか・・。
これなら夜通し歩いたほうがいいとさえ思った。
このまま寝ていても、ダメだと思い、思いきって小屋へと向かった。
小屋に入ると、「助かった・・」と思った。
人と会話することで、ちょっとしたパニック状態から解放されたような気がした。
「体調が悪いので、小屋で一泊させてもらえませんか?」とお願いした。
小屋の人は優しく受け入れてくれた。
時刻は19時過ぎであった。
小屋は開いていたが、もう寝る準備にはいろうとしていた。
貴重品だけを取りにテントに戻った。
2人はテント内で寝ているのだろうか?
学生さんの装備なら十分耐えしのげるのだろう。
暗い道をヘッドランプで照らして小屋へと戻る。
小屋に戻ると、「浅間」という部屋に通された。
30人ほど泊まれる、2段ベッドがある。
そのなかの布団はどれだけ使っても良いと言われたが、入ってすぐの下段の布団にもぐりこんだ。
山荘内の寝床
他の部屋も静かであった。
暗い部屋で布団に入り、「助かった」と何度も思った。
ラジオを聴きながら、再び眠りに入ろうとしたが、興奮しているせいか眠れない。
ラジオを聴くのを止め、物思いに耽った。
いろいろなことを考えた。。
なにもすることがないので・・・。
山の魅力とはなんであろう。
この人生を振り返ることができる時間であろうか?
なにか「自分ひとり」という強烈な現実を突きつけられているような気がしていた。
さらに1時間くらい経っただろうか。。
やはり寒く、一向に布団の中が温まらないので、となりの掛け布団を1枚借りて、2枚重ねにした。
そうすると、温かくなったのか、知らない間に眠りに落ちていたらしい。
その瞬間は記憶にない。
この感覚は、10年以上前の高校時代に感じたことがある。
それも同じ白馬で・・・。
不思議な夜であった。
2007/10/06
05:00 起床
パチッ!と、目が覚めた。予定では、なんとなく5時くらいに目覚めればいいなあと思っていたが、ここまで熟睡できるとは思わなかった。
なんとなく2時とか4時とかに目を覚まして、眠れない時間を過ごすのではないかと考えていたが、杞憂に終わった。
目覚めはとても良かった。
体力は完全に回復していた。
いざ布団から出るのも、まったく億劫ではなかった。
窓から朝日らしき光が差し込んでいる。
光に誘われる虫のように、窓辺へと進んだ。
板張りの床がきしむ。
その光景は、得も言われぬ絶景であった。
小屋は登ってきた大雪渓側に向かっており、ちょうど東を向いている。
浅間山、四阿山あたりから御来光が放たれている。
この至福の時間を有しているのは私ししかいないと錯覚するくらい、興奮していた。
小屋からの空 月と北極星
この瞬間を逃しはしないと、ここからの動きは速かった。
寝床を直し、すぐに階下に降り、トイレにはいり、洗面所へ向かった。
洗面所でコンタクトを着け、歯を磨き、顔を洗い、すっきりしたところで、小屋を出た。
出る際にお礼の挨拶をしたかったが、前日に早発ちする際は静かに行ってくださいということを聞いていたし、朝食の準備が忙しそうであったので、静かに小屋を後にした。
洗面所 御来光
外は寒かった。
天候がいいせいで、放射冷却現象が起こっていた。
あたりの水は凍っていたし、霜柱がザックザックと立っていた。
しかし、そんな寒さなど気にならないくらい、絶景であった。
早くテントをたたんで、出発したい!その一心であった。
白馬荘方面 八ヶ岳方面
テント設営所に戻った。
静かに3つのテントが設営されている。
私は急いで、自分のテントに入り、ザックに荷物を詰めた。
朝食はゆっくり摂る予定であったが、先を急ぐため、ここでは摂らないことに決めていた。
夜が明けていくのがテント越しに分かった。
テントを片付けるのに、結構時間がかかったし、やはり手が凍えるくらい寒かった。
06:00 白馬山頂宿舎出発
テントの撤収に約1時間ほどかかった。
出発のころには、日が完全に昇っていた。
小屋の前の道を登っていく。
霜柱のせいか地面が硬い。
背後からの光が私を包む。
なんと神々しい風景なのだろう。
この一瞬が何物にも代え難いと感じていた。
剣岳方面の朝焼け その2
小屋から少し登ると白馬三山の主稜にぶちあたる。
それを北に向かって登る。
南に向かうと杓子岳、白馬鑓ヶ岳方面である。
目の前には白馬山荘が見えている。そして左手には朝焼けを受ける旭岳、そしてその向こうには黒部市街と日本海が見えていた。
富士山・南アルプス方面 旭岳
山頂への途中でこれだけの景色だったから、山頂はどうなっているのかと、かなりテンションが上がってきていた。
太陽が現れる 富士山が見えた
出発から15分程度であろうか、白馬山荘へと到着した。
途中、長い一本道の山道を登るのだが、見晴らしが良いので、気持ちよく登れた。
朝食をとっていないのが気がかりだったが、とりあえず水分だけはとっておいた。
白馬山荘の直前に、前方から女性が降りてきた。
そして、山荘で男性1人とすれ違った。
この日の早起きは、やった人しか分からないだろう。
すれ違う人たちの顔は皆、笑顔だった。
06:15 白馬山荘到着
白馬山荘に到着した。
気温はかなり低い。
小屋は朝餉の準備をしているようであった。
写真を撮って、すぐに山頂へと向かった。
このあたりから、山頂にかけては、あまりに風景がきれいだったので、写真ばかり撮ってしまっていた。
しかし、昨晩、小屋で夜景モードで撮ってしまっていたので、画像サイズが小さいまま撮影してしまっていたのが残念だった。
気づいたのは、帰ってからであった。
ここからは、その写真をしばらく載せます。
山頂への標識 猿倉方面
山道からの崖 白馬山頂への道
松沢貞逸顕彰碑 良く晴れていた黒部市街
途中、松沢貞逸なる人の顕彰碑があった。
この人物については、いろいろと調べてみたが、明治期に白馬開発に尽力されたということしか分からなかった。
碑を過ぎて、頂上を目指す。
左手側には日本海が開けており、天候がよさそうであった。
山頂への道は勾配はきついが、尾根づたいに道が続いてるため景色は最高であった。
06:35 白馬岳山頂到着
山頂に到着した。
冷たい空気と、眩い朝日が私を包む。朝の冷涼とした空気が自然の厳しさを伝える。
かと思えば、雷鳥がさえずる声がしたり、風が止み、無音になったりして、一瞬の緩和を与えてくれたりもする。
不思議な空間であった。
私は、この360度パノラマの景色に酔いしれてしまっていた。
山座同定盤の上に地図を広げ、「あの山が、これか!」といった風に、1つ1つの山々が分かるたびに感動していた。
以下に、山頂からの風景を載せる。
白馬岳山頂 一等三角点
日本海方面(北北西) 雪倉岳・朝日岳(北)
白馬三山・槍・富士(南) 剣・館山・槍(南西)
八ヶ岳・秩父山塊(南東) 浅間・四阿山(東)
小蓮華尾根(北東) 大雪渓方面(真下)
姫川市街・雨飾(北) 妙高・火打方面(北東)
私自身、数多ある山々の中で、一番感動したのは、やはり八ヶ岳であろうか。
雲海のなかから、その秀麗な山容をあらわしているのには、言葉がでなかった。
大きさも、小さすぎず、大きすぎずの距離にある。
剣、槍、立山も肉眼ではっきりとみることができた。
まだ未踏なので、是非登りたいと感じた。
富士山も南の空にうっすらと確認できた。
この夏登った山がそこにあるというのは、なんとも感慨深い。
感動ばかりで、それ以外なにもしていなかった気がする。
ひたすら、目と地図を使い、知的欲求を満たしていた。
10分ほど経過しただろうか。
流石に風が強いため、体が冷えてきた。
そのため、下山することにした。
山頂から少し下ったところに、岩陰があったので、そこにザックを降ろし、汗をかいたTシャツを着替え、行動食と水分を摂った。
朝食は白馬大池の小屋で、温かいものを摂ろうと思っていた。
06:45 白馬山頂出発
白馬岳からの下山は、いきなりの崖道となる。
石英のような、瓦のような岩の瓦礫でできた急峻な崖を下っていく。
眼下には一筋の道が伸びており、その先に小蓮華、雪倉岳が迫っていた。
山頂からの下り 三国峠と小蓮華を見下ろす
右手側を見ると、東方面になり、これから登る小蓮華、さらにその奥に、浅間、四阿山が見えていた。
東方面 雪倉岳・朝日岳・姫川
下りの道は崖を下る以外は、緩やかな下りの道である。
ただし、崖は下の写真のように、かなり危険である。
途中、ほとんど人はいなかった。
1人だけ、追い越しただけであった。
07:20 三国峠通過
三国峠に到着した。
美しい峠であった。
昨日までは単なる、通過ポイントとして捉えていたが、白馬岳山頂から下ってくる途中、三国峠を見下ろしながら感じていたことがあった。
三国という名前からして・・・恐らく・・・3つの県境なのだろうということであった。
もしくは、過去にそういうところであったなど。
なんとなく、想像はしていたが、まさにそうであった。
峠を頂点に、雪倉方面への尾根の東西で富山県と新潟県、小蓮華、白馬岳への尾根の南北で長野県と、上記2県に分けられている。
地図上でもその尾根が県境となっていた。
なんだかよく分からないが、ちょっとそういう発見がうれしかった。
三国峠にはハイマツ
が地形保護と雷鳥
保護のため植えられており、綺麗に整備されていた。
実際、雷鳥はたくさん居た。
白馬岳山頂辺りから、この峠まで、ひな鳥が無邪気に遊んでいる姿を多々目撃できた。
しかし、私はこれが雷鳥だとはまったく気付くことはなかった。
今、こうして書いているなかで、ああ、あれがそうだったのかと思い出している。
白馬岳から少し下ったところが三国峠なので、ここから小蓮華山までは、また登りとなる。
小さなピークを2つほど越えて行く。
道はやはり綺麗である。左に紅葉が始まっている雪倉岳を見つつ、先を急ぐ。
霜柱 小蓮華への山道
この時間になると、白馬大池の小屋を早発ちした人たちであろうか、反対方向から降りてくる人たち、何人かとすれ違った。
皆、口々に寒いと言っていた。
それもそのはず、この時間帯でも、道には霜柱がたっぷり生息していた。
小蓮華への道を見上げるピークに来ると、小蓮華の綺麗な山姿に見惚れる。
まるで、山頂から一本の柔らかな絹糸が降りているかのような一本道であった。
07:50 小蓮華山到着
小蓮華山頂
小蓮華山に到着すると、白馬大池側から登って来ている人たちと出会った。
皆、この日の晴天に感謝しているようであった。
山頂から見える姫川や雪倉岳を写真におさめていた。
その中の1人の方とずいぶん長く話し込んだ。
話していると昨日、栂池方面から入ったという。
よく聞いてみると、昨日、長野駅からバスで一緒だったという。
驚いた。隣にいた男性だった。
昨日は大池の小屋に泊まり、今朝、小蓮華からの風景を写真に撮ろうとここまで来たらしい。
北アルプスにはよく来るらしいが、白馬は初めてで、こんなに綺麗な風景に出会えたのは幸運だと言っていた。
その人が言うには、小蓮華山頂は最近、陥没したらしく、危険なためロープで奥に行けないようになっている。
それが残念だと言っていた。
男性はこの寒いなか、ラグビーシャツのような薄手のシャツ一枚で、一眼レフを片手にしていた。
寒いので、この後はもう降りるとも言っていた。
先に行く、と別れを告げた。
08:00 小蓮華出発
小蓮華山頂を発った。
この時間を過ぎると、やはり少しずつ人が増えてくる。
また、少しずつであるが、植物が多くなってくる。
途中には、その木の実などを食べた鹿などの動物の糞も見かけるようになる。
道は相変わらずのアップダウンが続いていた。
しかし、この辺になると遠くに白馬大池が確認できるようになっていた。
山塊の中に、一枚の大鏡があるかのようにキラキラしていた。
あいにく、この後、少し天候が悪くなってくるのだが。
右手側には昨日、登ってきた猿倉や白馬沢、杓子尾根が朝日を受けて輝いていた。
白馬大池1 杓子尾根と猿倉
白馬大池が近くなってくる。
南側にも白馬の市街地が近くなってきていた。
そんな中、眼下には栂池自然公園が広がっているのが分かった。
昨年の夏、ここを訪れたときに、目の前に白馬大雪渓を見たのが、今回の旅の起因となっている。
そこの場所を今、見下ろしている。
感慨深い。
ふと、今降りてきた後ろを振り返ってみた。
やはり、小蓮華山は綺麗であった。秀麗という言葉がふさわしい。
小蓮華を振り返る 雪倉岳
白馬大池まですぐそこまでという所まで来る。
八ヶ岳や栂池市街もとても近くなってきていた。
山が紅く染まってきているのが分かった。
今日の放射冷却でいっそう、色がでてきたのだろうか?
白馬大池2 八ヶ岳と栂池市街
白馬大池直前まで来ると、背の高さほどある垣のような中を歩いた。
昨日とは嘘のように、人と出会う。
やはり、三連休初日ということもあり、紅葉もあるので、人出が多いのだろうなと思った。
白馬大池3 白馬大池4
その垣を抜けると、1人の男性が長靴姿で大池の写真を撮っていた。
大池付近まで来ると、紅葉がかなり進んでいた。
男性に声をかけると、気さくに話してくれた。
大池の小屋の人だったらしく、今年は紅葉が遅いと言っていた。
温暖化の影響か、毎年遅くなっていってるんだそうだ。
それでも、池の向こう側の林などは綺麗に色付いてきていた。
大池と紅葉 道端の紅葉
中編終了
日本百名山 其之陸 白馬岳 前編
2007/10/5 (金) 第1日目
04:00 起床
昨晩、寝たのは午前1時半ごろであった。
今日の日のための準備に手間取っていたからだ。
前日、ギリギリまで出発をためらっていたが、9月の連休はまったく動くことができなかった(体調不良など)ので、今回の連休は行こうと決めた。
白馬岳は、昨年から考えていた登山ルートだけに、念願かなったと言ったところだろうか。
昨年、旅行で栂池自然公園を訪れたときから白馬岳に登ってみたいと強く思っていた。
天候は調べた結果、翌日の午後から晴れるということであった。
仕事終わりに、アウトドアショップに寄り、シュラフを購入する。
この時、もう少し良く考えて購入するべきであった。。
このミスが後々響いてくることは、この時はわからなかった。
帰宅後、9月に購入してあったテント(mont-bellのムーンライト1型)を部屋の中で試し張りしてみる。
その幕営の簡単さに驚いた。
骨組みは、カチャカチャと半自動的に組上げられ、それに沿ってテント生地を張るという感じで、初めてでも僅か10分足らずでできてしまった。
荷造りを終え、風呂に入って、明日のコース取りを考え始めたのが午前12時半頃・・・。
もう寝るべき時間であった。
しかし、実際調べてみると、いろいろと想定外のことが分かってきた。
・この時期、白馬駅から猿倉へのバスが土日にしか運行されていないこと
(つまり明日は運転していない)
・白馬岳に登るときは、必ず立ち寄りたかった天上の温泉、鑓温泉が9/30で閉鎖されてしまっていること
などなど・・・。
前途は多難そうであった。
しかし、どうしても大雪渓を登りたかったので、白馬駅から猿倉へ行くルートを選択した。
今回も始発の電車であった。
起床すると、開け放った窓から雨音が聞こえてきた。
さらに行く気が削がれた。雨も降っているし、今回はやめようかと。。
しかし、気を取り直し、出発することにした。
身支度を整え、家を出るころには雨は止んでいた。
04:45 自宅出発
雨に濡れた道を自転車で進んだ。
今回は寝袋とテントをしょっているため、荷物が重い。
雨上がりのにおいが私をつつむ。
平日、始発で仕事に向かう人たちを横目に駅へと向かった。
05:00 東海道線始発乗車
車内は始発ということもあり、空いていた。
ボックス席に座ったが、前に人がいたこともあり睡眠することはできなかった。
となりの中国人女性2組がうるさかった。
途中、横浜で大量に人が降りた。
川崎駅を過ぎたあたりで、空が白み始めた。
東京の天気は回復しているようであった。
05:52 JR東京駅到着
長野新幹線の切符を買い、朝食を買う。
駅の売店で、おにぎり2個と、サンドウィッチ、お茶を買う。
さらに、ペットボトルの水を2本(500ml)買い、水筒へと移しておいた。
この売店のおばちゃんが、まあ愛想が非常によかった。プロとしてやってました。
新幹線のホームに上がり、ディリースポーツを買う。
先の新幹線が出たホームに、私が乗る新幹線が入線してきた。
あさま501号@東京駅
東京駅からの乗客はきわめて少なく、席にはかなりの余裕がある。
長野新幹線下りはすべての号車で自由席であった。
3号車に乗り込み、荷物を降ろす。
車外に出て、あさま号の写真を撮る。
席に戻り、新聞を広げ、朝食を採り始める。
そうこうしている間に、電車は動き始めていた。
ラジオは一向に入らない・・・。
06:24 JR東京駅出発
雨上がりの通勤ラッシュ前の都内の町を新幹線が通り抜けていく。
上野でパラパラと人が乗ってくる。
朝食を摂り終え、ボーっと風景を見ていると大宮に到着していた。
大宮ではたくさんの人が乗ってきた。登山客らしき人たちも多く見られた。
それからは深い眠りについた。
気がつくと佐久平に着く直前であった。
佐久平を過ぎ、長野までもう一駅という上田で大量の乗客が乗ってきた。
通勤通学の乗客であるが、長野まで一駅である。。
座席はほぼすべて埋った。
10分後、ようやく長野に到着した。
08:04 JR長野駅到着
長野駅を出るとこちらも雨上がりの様子であった。
通勤通学の人々があわただしく、駅を行き来する。
東口へと出て、バス乗り場へと向かった。
しかし、初めて長野新幹線に乗ったが、東京-長野間が1時間40分とは、恐ろしく近い・・・。
JR長野駅
08:20 白馬行バス乗車
15名程度の乗客を乗せ、バスは出発した。
JR長野駅からJR白馬駅まで料金は1500円で、東口バスターミナルの一番前から出ていた。
アルピコグループのバスで、終点は栂池まで行っているようであった。
バスの時刻などは以下を参照のこと
アルピコ 白馬方面バス
最前部に座った登山客グループがしゃべっている。
長野市街をバスがぬけて行く。
味噌の研究所などがある。
バスが山間の渓谷に入っていった後、今日2度目の深い眠りに落ちた。
また気がついたときには、白馬駅に着く手前だった。
09:25 JR白馬駅前到着
雨上がりの白馬駅前
雨上がりの白馬駅前に降りた。
日差しも少ないせいか、白馬はさすがに涼しい。
猿倉へのバスがないことは分かっていたが、一応白馬観光協会へ行き聞いてみる。
当然、無かった。
駅のトイレで用をたし、仕方なくタクシーに乗り込む。
猿倉までタクシーで行くことにした。
タクシーの運転手さんは非常に気さくで、昨日あたりからようやく寒くなり始めたと言っていた。
途中、コンビニに立ち寄ってもらった。
今回のテント泊に備えて、小説を買おうと思ったが、めぼしいものがなかった。
水とカップラーメンを買い、店を出た。
猿倉に向かうにつれて、天候も悪くなってくる。
霧が濃くなってくる。
途中、猿倉に向かって歩いている人を見かける。
白馬駅から歩いているのだろうか?
09:50 猿倉到着
猿倉とタクシー
猿倉に着くと、霧雨が降っていた。
霧も濃く、気温も低い。
タクシーにお礼を言い、別れた。料金は3700円だった。
猿倉の駐車場上には猿倉荘があり、近くにタクシーの料金が記載された看板もある。
駐車場横にはバス停があり、その軒下で準備を始める。
着替えて、ストレッチをして、いざ出発となった。
依然、雨は降り続いていた。
猿倉荘 タクシーの看板
10:10 猿倉出発
登山口看板 登山口
猿倉の登山口を登り始める。
きれいに整備された道である。
霧雨が強くなってきていた。
ただし、猿倉でザックカバーをかけただけで、レインウェア等は羽織ってはいない。
少し行くと左手側に中部山岳国定公園の石碑が見えてくる。
さらにしばらく行くと、左手側に鑓温泉への分岐点が見えてくる。
事前には調べていたが、看板にも閉鎖中の文字が・・・。
期待していただけに、とても残念であった。
中部山岳国定公園石碑 鑓温泉分岐
雨は依然、霧雨のままだが髪が非常に濡れている。
丹沢でもこんな感じだった。
体の右から吹き上げてくる霧で、右半身だけ濡れていたのを思い出した。
10時過ぎだというのに、立ち込めるガスと雲のせいで、薄暗い。
あたりは人がまったくおらず、自然だけがあった。
道には雨で溢れた湧水が流れてきていた。
登山道兼、林道のような道を登っていくと、長走沢の流れに出た。
昨夜来の雨のせいか、水量が多い。
すぐ下は滝のように、水が落ちている。
その中を木製の細い橋が横切っていた。ここを歩いて渡れということだった。
長走沢 長走沢の滝
橋の上は雨で濡れていて、非常に滑りやすかったので、かなり慎重に渡った。
橋を渡り終え、道を登っていくと、2人組の登山者とすれ違う。
ここまで約20分ほど歩いたと思うが、これまでに出会った登山者はやっと3人であった。
平日で雨ということもあり、やはり登山者自体が少ないのか。
人が少ないのは、とてもよいのだが、それはそれで寂しいものだ。
登山道を登っていくと、車が止まっており、その先に登山口があった。
急に道幅が狭くなっており、車はもはや、これ以上入れないようであった。
登山口 白馬沢の流れ
細い登山道へと入る。深い山林の中を進む。
足場はそれなりに整備されているが、雨のために濡れており、非常にすべりやすい。
途中に、白馬沢の前を横切った。
紅葉が始まりかけていて、飛沫の白とあいまって、なんともいえない和の風景に触れることができた。
猿倉から50分程、経過した時点でようやく、第一チェックポイントである白馬尻小屋前に到着した。
白馬尻小屋
ここが有名な白馬大雪渓への入り口となる。
小屋では既に先客がいて、中に入って休んでいた。下山者のようであった。
白馬尻小屋の手前に、大きな小屋跡のようなものがあった。
それはすでに解体された小屋の跡であった。
この白馬尻小屋も、もう少しすると解体されるようであった。
ここから大雪渓がとても綺麗に見えるらしいが、この日の天気だと、辺り10mが視界の限界であった。
小屋の前が広場になっており、その先が雪渓を源頭とする白馬沢となるのだが、ガスでまったく見えなかった。
ただ、沢のサラサラという音だけが、涼しげに響いていた。
大雪渓看板 小屋前からの白馬沢
白馬尻小屋入口 解体時の写真
11:00 白馬尻小屋出発
ここで少し休憩をとった。雨が気になっていたのと、雪渓を前にしているせいか、若干寒くなってきたので、レインウェアを出して、着た。
そして、水分を補給し、再出発した。
ここから大雪渓まで少し山林を歩く。
途中、大きな一枚岩や、雨に濡れたくもの巣など、景色を楽しみながら歩いた。
徐々に気温が下がってきているのが分かった。
大岩 くもの巣と幾何学模様白馬尻小屋を出て、歩いていると、山林が途中で終わり、開けてくる。
白馬沢づたいに歩いているようで、常に水が流れる音が聞こえている。
しかし、ガスで全容は見えない。
前方に大きなケルンが見えてくる。
それが大雪渓ケルンである。
ここから、もう少し行くと、大雪渓の入口となっている。
分厚い雪渓の切れ端が出迎えてくれた。
大雪渓ケルン 大雪渓への道
11:30 大雪渓入口到着
雪渓から降りてきた人たちなのか、霧の中から、男性5人グループとすれ違う。
目の前には雪渓が迫っていて、手前には大きな岩がゴロゴロしているところで、アイゼンを装着した。
雪渓づたいに冷たい冷気が吹いてくる。
少し立ち止まっているだけで、体が冷えてくるので注意が必要だ。
大雪渓入口
11:45 大雪渓入口出発
アイゼンの装着に手間取ったり、岩の間を通過するときに泥にまみれたりと、少し時間がかかった。
15分も、じっとしているとこの状況では寒くて、つらい。
大雪渓には独特の風紋のような形がついており、この夏多くの登山客が歩いた跡であろうか、泥で黒くなっていた。
ガスで視界が悪いし、登山客が私一人だったので、とにかく目印のリボンやペンキの丸印を見失わないように注意した。
雪渓上では、いたるところで切れ目があり、深いクレバスとなっていた。
この雪渓の下を融けた水が流れているのだろう。
そう考えると、この万年雪の上を歩いているということが、とてつもないことだと思えてきた。
目印に沿って進んで行くと、途中、左岸の砂礫の山のようなところを登らされる。
ここは足場がゆるく、アイゼン装着ということもあり、非常に歩きづらい。
無理せず、雪渓上を歩いたほうがよい。
ザック、ザックと雪を踏みしめるように登って行く。今度は冷気が心地よい。
目印のリボン 誰もいない大雪渓
クレバス1 クレバス2
やはり依然として、登山客は皆無であった。
誰もいない大雪渓は不気味である。。このまま遭難してしまうのではないかと思うことさえあった。
それでも、とにかく先を目指して登って行く。
すると、途中から白い雪渓上に赤いレンガ色の道らしきものが見えてくる。
助かった・・・と思った。恐らく、これが登山道なのだろう。たくさんの人たちが登った際にできた道なのであろう。
その道にすがるように、雪渓を登って行く。
雪渓を歩くのは、普通の山道よりも体力がいると、私は思う。
足腰にかかる負担が、山道よりもきつい気がする。
なかには、雪渓は歩きやすいという人がいるのだけれど、傾斜もきついし、かなりつらいと思う。
雪渓の上部の方にくると、誰もいないからか、自然の音がよく聞こえた。
雪渓が融けて流れている沢の音は終始、聞こえているし、鳥のさえずりも聞こえる。
しかし、時には左岸の杓子尾根のほうから、「パラ・・・パラパラ」という音が聞こえてくる。
そう!山が崩れている音なのであった。
小石が尾根づたいに、頻繁に転がり落ちてきていた。
一昨年、ここの雪渓で、杓子岳から家一軒ほどの大岩が落石し、死傷者が出たという事件を思い出し、ぞっとした。
参考:白馬岳落石事故
そんな中、歩いていると、ガスが晴れ始めた。
ガスが晴れる 大雪渓左岸
しかし、晴れたと思えば、すぐにガスがかかり始める。
これの繰り返しだった。
雪渓後半は完全なシャリバテ状態であった。
確かに、時間的には午後12時を回っており、お昼の時間であった。
空腹のため、まったく力が出ずに、雪渓の上に腰を下ろし、しばし休憩し、行動食であるウィダーインゼリーを食べて、エネルギーを補給した。
このときほど、ウィダーが偉大だと思ったことはなかった。
それからすぐに、大雪渓への出口へと出てしまった。
12:25 大雪渓出口到着
大雪渓を抜けると、岩がごろごろとした道となる。自然とアイゼンを外したのだが、よく見ると「ここでアイゼンを外してください」と書いてあった。
大雪渓最上部 アイゼン脱着所
雪渓の最後の方では、時たまガスが晴れて、景色がよかったが、全体を通してガスに包まれていて、人がまったくおらず、不気味だった。
12:35 大雪渓出口出発
依然として天候はすぐれない。雨は止んでいたが・・・。
出発して、すぐに標高2000Mの標識に出会う。
猿倉が1230Mだから、約750Mほど上がってきたことになる。
標高2000M 霧に霞む杓子岳
標高2000Mを過ぎて、歩いていたが、このあたりが葱平であるということに、全く気づかなかった。
地図上では地名はあるのだが、このルートには標識らしきものが何もないので、自分が今どのあたりにいるのかということが、大雪渓を抜けたあとは全く分からなかった。
このあたりで天候が回復してくる。
霧の晴れる回数が多くなってきており、切り立った杓子岳や、その尾根、丸山などが見ることができた。
あたりの木々は徐々に紅葉してきており、とても綺麗であった。
杓子岳が姿を現す 葱平から丸山を望む
杓子岳と丸山 杓子尾根
杓子尾根からは、相変わらず小石が崩落する音が静かに聞こえてきていた。
杓子尾根は勇壮であった。山肌は岩や砂で、山の塊がにじりあって、空をささえている様相であった。
このような大きな山塊を間近で見ることができたのは初めてであった。
小雪渓を左に見ながら登って行く。
小雪渓の途中に、右岸の尾根からの水脈をすべて飲み込んでいるクレバスがあった。
雪壁の模様がなんとも言えず、秀逸である。
また、自然のなかでこのような大きな空洞が穿たれたと思うと、あらためて畏敬の念を覚えた。
雪渓の端では大きな崩落現場も見ることができた。
雪渓を横に見て 小雪渓の大穴
雪渓の切れ目 雪渓崩落
この先は、岩場を進んでいくことになる。
道は細く、分かりづらい。さらに、雨の後なので、滑りやすく、湧水まで滲み出ている。
ガスは晴れて、景色はよくなっていたが、この登りはきつかった。
道は急峻な尾根を巻くように作られているので、足を滑らせると崖をすべり落ちることになってしまう。
かなりの危険が伴う道である。
自然の静寂のなかを登って行く。
紅く染まったもみじ 登山道
断崖の沢を渡る 橋の下(急な崖)
途中には崖を流れる滝のような沢があり、それを横切る丸太のような橋が架けられていて、それを渡った。
下は絶壁なので、渡るのには少し勇気がいった。
コース上、ここを通らなければならない。
なかなかのスリルであった。
黄色の目印
大雪渓からそうなのだが、登山道が非常に分かりづらい。
なんとなく、あっち方面に上っていくんだなあ、とは分かっているが、一度コースを見誤ると、思わぬところに出てしまう可能性があるだろう。
コース上には黄色のペンキで丸印が描かれているので、それに沿って進めば間違いはない。
なかなか傾斜のきつい登りを上っていく。
途中、左手には相変わらず、天高く突き出た杓子岳がそびえている。
また右手側の尾根には西部開拓時代を思わせるような風景があり、巨大な岩がたくさんあり、その中に端を発している源頭が見えた。
先程の雪渓からの風景とは明らかに変わってきており、草木が多くなってきていることに気づいた。
恐らく、もうその上のほうが、いわゆるお花畑なのであろう。
だが、今回は10月ということもあり、夏に咲き誇っていた花々は、ほとんどが枯れていた。
来年咲くための準備に入るのであろう。
このようにして、生命は輪廻していく。
沢を吹き抜ける風が自然の厳しさ、刹那さを感じさせた。
この辺りまで来ると、さすがに足腰にバテがきはじめていた。
この登りのつらさは、久々に応えた。
心拍数がとても早く、汗も、もうかきすぎて、水分が無いよ、というほどであった。
あの辺りで休憩を入れようと思いながら、だらだらと歩いた。
時間は14時前で中途半端であったが、昼食をとろうと思った。
突然、今まで感じなかった人の気配を久しぶりに感じた。
学生ぐらいの若者がザックを下ろし、荷を整えていた。
100Lはあろうかという大きなザックであった。
話をしてみると、今朝、猿倉から登ってきたらしいのだが、なんと白馬駅から徒歩で猿倉まで行ったらしい。
白馬駅から猿倉までは3時間程度かかったとのことであった。
上には上がいるもんだなあ・・・と思った。
学生と別れ、先に進んだ。
13:50 休憩ポイント到着
目の前に大きな岩が立ちはだかり、道がふた手に別れているところで休憩を取ることにした。
岩の下辺りが、腰掛けるのにはちょうど良く、なだらかなくぼ地になっていた。
ここで遅い昼食を摂った。
遅い昼食 カップラーメン
バーナーで湯を沸かし、麓で買ったカップラーメンを作る。
その前にあまりの腹の減りように、カロリーメイトの封を切り、半分食べた。
風が強く、体温を奪っていく。
陽が傾き、山全体の気温が著しく下がってきていることも分かった。
山頂の方は、なんとなく分かるのだが、小屋がどの辺りかは分かっていないため、少し不安であった。
ラーメンをすする。とてもうまい。
寒い中で温かいものを食べると、本当に体力が回復する。
一息ついたところで、約30分ほどの休憩を切り上げ、先を急ぐことにした。
ラーメンを食べている途中、先程の学生が反対側の道から私を追い越していった。
14:15 休憩ポイント出発
休憩から少し行ったところで、今回のキャンプポイントである白馬山頂宿舎が確認できた。
休憩からあまりの近さに驚いたが、正直、安心した。
辺りはお花畑となり、その中を一本の登山道が通っていた。
学生はもう、先の登りを登っていた。
お花畑登り 巨大な一枚岩
標高2553Mの石碑 丸山方面の草原
標高2553Mの石碑を過ぎる。
石畳の登山道となり、真上には山頂小屋がはっきりと確認できるようになっていた。
夕暮れが近いせいか、辺りは物悲しい雰囲気に包まれていた。
後ろを振り返ってみると、登ってきた雪渓や、白馬沢、白馬の市街地が遠くに確認できた。
白馬山頂宿舎への最後の登りを上りきる。
目の前がゴールということもあり、足取りが軽い。
14:40 白馬山頂宿舎到着
白馬山頂宿舎看板
ようやくゴールとなったが、想定時刻よりも早く着いた。
予定では15時であったが、約20分短縮した形である。
今回は1泊することもあり、かなり時間に余裕をもたせた山行としたのだが、結果的には早く着いていた。
いつもは帰りの時間を気にするあまり、ゆっくりと周りを楽しむことがあまりできていないと感じていた。
今回は人が少ないし、時間に余裕があるということもあり、山を満喫した感じがしてた。
前編終了 中編へと続く