気がつけば、残り10日程で今年も終わるではありませんか⁉️


これだけは、なんとしてもアップしなければ‼️


…と言う事でこちら↓

そうです!

娘の8回目のbirthdayゲラゲラです!



シャインマスカットのケーキが良い!と言う物の、なかなか見つけれず…ならば!と言う事で、手作りにやり



思いのほか、見事な出来栄え‼️


本人もご満悦ラブラブラブラブ


本人こだわりの中にも、マスカットショートケーキ



お待ちかねのプレゼントは、娘、念願の…


キャリーバック‼️




どちらへ、お出かけですか?チュー汗汗汗



空き箱は、こちらにも、素敵なプレゼントになりました爆笑








想羽、8歳おめでとう‼️

お兄ちゃんとの小学校登校も3ヶ月で終わり、今度は3年生だね爆笑

少しずつ、1人でできることが増えて、お手伝いも気まぐれにしてくれて…


元気に楽しく想羽らしく、8歳も羽ばたけ‼️

昨日は、ハロウィンでしたね🎃


我が家には、この方が…



小さな魔女で現れました爆笑



毎年、恒例、仮装してピアノ教室へ…音譜


その前に、練習にやり



いつもお世話になっている先生には、お手紙とプレゼントをスタンバイ‼️




今年も大満足なハロウィンでしたウシシ


明日から11月…。

10月も色々あったのに、相変わらずゆとりのない毎日で、一つもアップしないまま1ヶ月が過ぎてしまう所でしたチーン



でも、これだけは‼️‼️



…と言う事で…



昨日は、待ちに待った、玉置様のライブでした!



盛岡限定の日付入りキーホルダー↓



ついつい買っちゃったTシャツ↓

ライブでは、気後れして着れず…



帰宅後、風呂上がりに…デレデレ





最後は玉置様の「メロディ」のアカペラ。会場観客の「夏の終わりのハーモニー」の大合唱で幕が降りました笑い泣き



素敵でした‼️

最高でした‼️

これで、今年2ヶ月も頑張ろっ‼️

先日、娘の3回目のピアノ発表会がありました。



今回はポニーテールにピンクのエクステをつけて、気合いバッチリ‼️



会場には先生が作ってくれた、生徒達のコメントボードがありました爆笑



今回は『となりのトトロ』ですブルー音符

↑デコレーションで、やる気UP笑い泣き





なぜかしら、本番に強い娘…。



今回もバッチリ決めてくれました照れ



一ヶ月前の練習の頃は思うように弾けなくて、イライラしたり、泣き出したり、そんな娘が、飴と鞭策戦で本番までどうにか弾けるようになりました。

発表会を無事、終わらせ、ドキドキから解放されて、踊り出す娘ゲラゲラ⬇︎



そんな娘に、今回の飴は…



『LUSH』のバスボム‼️



お風呂に入れて、泡風呂で、頑張りを讃え合った母娘でした爆笑ウシシ


お疲れ様!ソワ!

先月8月30日、父の初めての月命日に、いつものkumikoさんが食事に誘ってくれました。

とても素敵なお店で久しぶりにランチを満喫照れ



ついでに、ふらっと立ち寄った南部鉄器のお店⬇︎



そこで、出会ってしまいました爆笑




岩手県遠野在住の吉岡星さんという方が作った器です。内側はガラスになっていて、表面には釉薬が塗られていて、ゴツゴツした見た目の中身は繊細な器。


同じデザインの一輪挿し?もありました。


空の光にかざして覗くと、宇宙のような不思議なglass。

glass Farm MANZOの『吉岡光glass』。元々は大阪の方らしいですが、私の出身地である秋田で修行したのち、岩手遠野に工房を開いたそうです。

それも、何かのご縁かな?


すっかり、心奪われましたラブ




という事で、早速、我が家の御先祖様ブースに仲間入り‼️



これで毎日の、お水換えもより良い気持ちになります。

(気合いが入りすぎてトルコ桔梗が多すぎ笑い泣き


良い物と出会えて、良い月命日でした。

誘ってくれた友人に感謝です照れ

それまで普通に元気だった人間も、どんなに真面目に生きて来た人間も、どんなに頑固な人間だったとしても、どれだけ皆んなに愛されていたとしても、人はみんな亡くなって、骨になり、3日もすればお墓に納まる…。

父のお墓の前で、その、あまりのあっけなさに、生きると言う事に対しての力みが抜けたように感じました。

それは、良い意味で。です。

大病を経験した私は、いつも、頭の片隅に生きる事や亡くなる事が頭にあり、どこかで、真面目に生きなければ。あれはしてはいけない。こうでなければならない。と自分を縛り付けているような所ありました。

そんな、力みが父のお墓の前で、すっとなくなった感覚がありました。

人はなくなったら、こんなにもあっけなく、お墓に納まってしまうんだ。あんなに真面目に生きて来た父でさえもこんなふうに亡くなってしまう。だとしたら、もっとやりたい事をやって、もっと自由に生きても良いんじゃないかと。

変な話ですが悲しい中でも、なんだか心がとても軽くなったように思いました。それはとても不思議な感覚でした。


71歳で亡くなった父。


私達家族もまだまだ、一緒に居たかったと悲しみ、訪れる皆さんも早すぎると涙する中、住職さんが「71歳で亡くなられたこの方の、生涯を短く感じておられる方もおられるでしょう。しかし、この方に与えらた時間は71年間だった。そして、この方はその与えられた71年間を全うなさった。これが仏の教えです。」と仰って下さいました。


とても、心が救われました。


私はどこかで父に最後、無理をさせたんではないか。暑い日に野球を見せなければ良かった。と、自分を責め、母もあの暑い日にもっと、水分を取らせていれば、父の異変にもっと早く気づけばと悔いていました。

でも、住職さんの仰るように父に与えられた時間が71年間だったとしたら、その最後はとても幸せだったのではないか。と思ました。

最後に孫の野球応援をして、活躍する姿を見て、最後の夜は娘と楽しく夕飯を食べ、大好きなビールを飲んで、亡くなる日には拘りの鰻を食べ、プレゼントに貰ったTシャツを着て、2週間後のお盆を楽しみに母とゆっくりドライブをして、アイスを食べ、大好きな家のソファで苦しまずに亡くなった。こんなに幸せな最後があるだろうか。

最後にジジとして孫に会いに来て応援して、私の父としてワガママを聞いて娘の子守をしてくれて、夫として母をしっかり自宅に送り届けて亡くなる。こんなカッコいい亡くなり方があるだろうか。

不謹慎だけど100点です!

いやお父さんの最後は200点だよ!




父が亡くなって1ヶ月が経ちます。 


悔やんだり、自分を責めたりする事は、辞めました。



そして残された母。

母は強い人です。母の母がそうだったように。

そんな祖母はとても元気で長生きでした。きっと母も長生きします。

私も負けないように、長生きして、これからは、父にできなかった分の親孝行を、父が大切にしていた母にする事が父への恩返しだと思うようにしました。


 

お父さん、ありがとう。


またね。









午前0時過ぎ、兄や私に知らせをくれたおじさんが、葬儀屋の車で戻って来た父に「なんでこんな車で帰って来たんだ」と泣き、翌朝もたくさんの仲間が朝早くから父の枕元で泣いて。あまりに早く突然の事に父の枕を揺り怒り、悔しがり…。


夜明けと共に一番に来て下さった方は父の農家仲間で飲み仲間の方でした。毎日のように顔を合わせて、1日の終わりに我が家の作業小屋で数人の仲間と一杯やるのが日課。その方が亡くなる前日、一杯やりに来たのに不在だった父に電話をしたら、孫の野球を見に来てると楽しそうに言っていたと。明日帰るから明日また、一杯やるべ。と言ってのに…と大泣きして教えてくださいました。


そうです。明日が普通に来ると…。

「また」が普通にあると思っていました。

あんなにお盆を楽しみにしていたのに。

父は今、何を思っているだろう。

どんなに悔しいだろう。


そう思いながらも、色々な感情を紛らわす為、訪れてくださる方達への対応、葬儀屋さんとのやり取り、お通夜や、葬儀、火葬…黙々とこなしました。


家族みんなで父の体を拭き、棺に納め、みんなで花を手向けました。

そこには、大好きなビールの切り抜き。あちらの世界で不自由しないようにと娘が描いた千円札。息子があの日、父の前で貰った優秀賞の記念タオル。私がプレゼントして、最後の時に着ていたTシャツ。そして母からの手紙。

棺の中の父はなんだか、とても幸せそうで満足そうに見えました。



父が亡くなった7月30日から納骨の8月3日までの5日間は日にちや時間の感覚もなく、何を食べたのか食べてないのかも記憶になく、急に1人残された母を守って、娘として、しっかり父を送り出さなければ。それだけの5日間でした。


納骨の際、見た目の割に立派だった父の遺灰は、お墓の狭い入り口からなかなか入り切らず、周りの大人達に「まだ、入りたくないって言ってるんだ。」なんて言われながら、8月3日、お墓に納められました。




昼寝をするように、穏やかな顔でそこにいる父。

今にも目をあけて、驚かせてくれそうなのに、額も足も手も、どうしても冷たいままで、ただ亡くなった。と言う事を受け入れるしかありませんでした。


そして、車で待つ、息子にどう伝えよう。

大好きなジジが、今日のお昼に会ったジジが亡くなったと、どう伝えよう。

そう思いながら、真っ暗な病院の駐車場へ。後ろの席で、娘は寝てしまって、息子は1人、気を紛らわすかのようにTVを見ていました。そんな息子を見たら、ただ「ジジ亡くなったよ」と伝えるのが精一杯でした。

静かに「うん」とだけ答える息子。どうして!とか嘘だ!とか泣きわめく事もなく、覚悟していたように冷静な息子。

亡くなったばかりの父に会わせるか迷いました。でも、人が亡くなると言う事、命と言う物を理解して欲しくて、ジジに会うか聞いたら、息子は迷わず頷きました。

娘を起こし、亡くなった事を伝えました。あまりに突然なせいか、幼さなのか、娘も静かにその事を受け入れ、息子と父に会いに行きました。


横になる父を前に、言葉を発する事なく、ただ静かに泣く息子。父を見つめる娘。


実家までの帰りの車の中、いつもはおしゃべりな娘が静かなので「亡くなる」ってどう言う事かわかる?と聞くと、受け入れたくないのか、お昼まで元気だった父がそうなった事が現実味がないからなのか「わからない」と答えます。そんな娘に「昨日、ジジとケンカしてたでしょ。そのケンカがもうできないって事だよ。」「もう会えなくなるって事だよ」と伝えると、まるで我慢していた感情が溢れたかのように静かに泣きました。もしかしたら、娘は幼くて泣かなかったのではなく、私や息子が泣いているのを見て、泣けなかったのかもしれません。

そして、息子がポツリと「最後にジジの前でヒットが打てて良かった」と言いました。


午前0時を回っているにもかかわらず、実家には知らせをくれたおじさんや隣に住む方、近くに住む親戚、数人で布団を敷いて父の帰りを待っていてくれました。





息子の試合観戦翌日、その日は「土用の丑」。

国産の鰻が食べたいと拘る父とみんなでお昼に鰻重を食べ、早々に秋田に帰ろうとする父に、もうすぐ帰ってくる息子に会ってからにしたら?と足止めしました。

午後2時、息子が帰宅、昨日の頑張りを褒め、2週間後に迎えるお盆にまた会う約束をして、秋田に帰って行きました。

父はお盆に楽しみにしていたバーベキュー用のコンロと炭を車に乗せ、お盆に孫達と行く予定だった釣り堀の場所の下見をしながら、秋田名物のババヘラアイスを食べ、母とゆっくり最後のドライブをしました。


父達が帰って4時間。夕方6時、いつもあるはずの到着の知らせがありません。母にLINEしましたが、既読にならず、夕飯にしようとした夜7時。横浜に住む兄からその電話が鳴りました。

父が倒れたと。救急車で運ばれたと。


何を言っているのか。

お昼にうちから帰ったばかりの父が?

何かの間違いじゃ?


兄も実家の近所のおじさんからの電話で詳しい事は把握出来ておらず、そのまま電話を切りました。

倒れたと言っても大した事ではないだろう。子供達に夕飯を続けさせ、知らせをくれたおじさんに電話、話を聞きながらも、秋田に向かう荷造りをしていました。友人に猫の世話を頼み、家の鍵を預け、まさか、亡くなるとは思わず、2・3日お見舞いするくらいの気持ちで車に乗りました。

しかし、電話で聞いた父の状況と、その後、連絡が取れた母からの話で、まさかの事を考えました。


自宅に着いた父はバーベキューコンロを下ろし、母はひと足先に自宅に入り洗濯物を洗濯機に入れ、その後、家に入って来た父がソファに腰掛ける気配を感じながら荷物の片付けをし、ふと父に声をかけると、反応がなかったそうです…7年前に狭心症の手術をしていた父。

不整脈を起こし、声を上げる事もなく、苦しんだ様子もなく、ふっといつものようにソファで休んでいるようだったと。


母の話を聞いて、病院に着くまで、こちらから、その後の状況を聞くのが怖くて電話ができず、昨日・今日の父との色々な事が頭をよぎります。母からの知らせが無いと言う事は父は助からなかったのでは。と思いな車を走らせました。


2時間後、父が亡くなった病院に着きました。


半日前に元気に別れた父が、冷たくなって、そこにいました。


受け止められない。理解が追いつかない。

怒りと悔しさ。

悲しみよりも、怒りが悔しさが込み上げて来た事を今でもしっかりと覚えています。


ドラマで見るように大きな声で泣く。ではなく、怒りで、声が出ない。そして、何に怒っているのかもわからない、ただ何かにとても腹が立ちました。


看護師さんに、お父さんが着ていた洋服だよ。と綺麗にたたまれたTシャツを渡されました。それは昨晩、ひと足早いけど、誕生日にと私が父にプレゼントした大好きなビールのプリントが入ったTシャツでした。処置を受ける為にハサミを入れられたそのTシャツを見て、こんな事の為にプレゼントしたんじゃないのに。父の最後の日に着る事になるなんて。とまた、悔しさが込み上げて来ました。









今月、8月20日は父の72歳の誕生日でした。



父はその誕生日を迎える事なく、先月7月30日に亡くなりました。



厳しい父でした。

頑固な父でした。

真面目な父でした。

まっすぐな父でした。

優しい父でした。



そんな父との最後の日はとても特別な日でした。

今日はその日の事を忘れないように記録しようと思います。



父の亡くなった7月は、中旬に私の入院があり、退院後5日間程、自宅に来てくれていました。

そして、月末にも息子の野球の県大会応援と、私のちょっとした我儘を聞いてくれる為、再び岩手に来てくれて…


亡くなる前日、お昼からの息子の試合に合わせて車で3時間程かけて母と2人、秋田からやって来ました。


息子は試合には負けましたが、先発ピッチャー、後半には初めて父の前でキャッチャーを務め、2本のヒットを打ち、負けチームから選ばれる優秀賞を頂きました。父も母も大喜びで、息子を讃えてグランドを後にしました。

夫と息子はそのまま、チームと沿岸に1泊。両親と娘は自宅で夕飯。私はワガママを言って、新幹線で八戸へ。

9時に自宅に戻り、ほろ酔いの父と今日の息子の活躍や野球談義をして、熱くなった父と少し揉めて(笑)、楽しく過ごしました。