それまで普通に元気だった人間も、どんなに真面目に生きて来た人間も、どんなに頑固な人間だったとしても、どれだけ皆んなに愛されていたとしても、人はみんな亡くなって、骨になり、3日もすればお墓に納まる…。

父のお墓の前で、その、あまりのあっけなさに、生きると言う事に対しての力みが抜けたように感じました。

それは、良い意味で。です。

大病を経験した私は、いつも、頭の片隅に生きる事や亡くなる事が頭にあり、どこかで、真面目に生きなければ。あれはしてはいけない。こうでなければならない。と自分を縛り付けているような所ありました。

そんな、力みが父のお墓の前で、すっとなくなった感覚がありました。

人はなくなったら、こんなにもあっけなく、お墓に納まってしまうんだ。あんなに真面目に生きて来た父でさえもこんなふうに亡くなってしまう。だとしたら、もっとやりたい事をやって、もっと自由に生きても良いんじゃないかと。

変な話ですが悲しい中でも、なんだか心がとても軽くなったように思いました。それはとても不思議な感覚でした。


71歳で亡くなった父。


私達家族もまだまだ、一緒に居たかったと悲しみ、訪れる皆さんも早すぎると涙する中、住職さんが「71歳で亡くなられたこの方の、生涯を短く感じておられる方もおられるでしょう。しかし、この方に与えらた時間は71年間だった。そして、この方はその与えられた71年間を全うなさった。これが仏の教えです。」と仰って下さいました。


とても、心が救われました。


私はどこかで父に最後、無理をさせたんではないか。暑い日に野球を見せなければ良かった。と、自分を責め、母もあの暑い日にもっと、水分を取らせていれば、父の異変にもっと早く気づけばと悔いていました。

でも、住職さんの仰るように父に与えられた時間が71年間だったとしたら、その最後はとても幸せだったのではないか。と思ました。

最後に孫の野球応援をして、活躍する姿を見て、最後の夜は娘と楽しく夕飯を食べ、大好きなビールを飲んで、亡くなる日には拘りの鰻を食べ、プレゼントに貰ったTシャツを着て、2週間後のお盆を楽しみに母とゆっくりドライブをして、アイスを食べ、大好きな家のソファで苦しまずに亡くなった。こんなに幸せな最後があるだろうか。

最後にジジとして孫に会いに来て応援して、私の父としてワガママを聞いて娘の子守をしてくれて、夫として母をしっかり自宅に送り届けて亡くなる。こんなカッコいい亡くなり方があるだろうか。

不謹慎だけど100点です!

いやお父さんの最後は200点だよ!




父が亡くなって1ヶ月が経ちます。 


悔やんだり、自分を責めたりする事は、辞めました。



そして残された母。

母は強い人です。母の母がそうだったように。

そんな祖母はとても元気で長生きでした。きっと母も長生きします。

私も負けないように、長生きして、これからは、父にできなかった分の親孝行を、父が大切にしていた母にする事が父への恩返しだと思うようにしました。


 

お父さん、ありがとう。


またね。