吉永小百合さん、120本目の映画出演作。
映画のチケットをいただき、母とふたりで「北の桜守」を観て来ました。
「泣ける映画」という陳腐なフレーズは好きじゃないんですが、序盤から泣いてばかりでした。
声を上げて泣きそうになったりして、堪えるのが大変でした。
何がそんなに琴線に触れたのか……?
あらすじについては、簡単に言うと、南樺太から引き揚げて来た母子のお話ですね。
1945年と1971年という時間を行ったり来たりしつつ、物語は進行します。
1945年、終戦間近の8月9日、ソ連が南樺太に侵攻します。8月14日に日本政府はポツダム宣言を受諾するものの、末端の兵士にまで伝達されず、その後も交戦は続きます。
母子は、ほうほうの体で樺太から網走へ逃げます。
その途中、飛行機から銃撃され、目の前で死んだり、衰弱か病気で倒れた人が死んだ途端、周囲から人が寄ってたかって食料などを奪っていく光景が繰り広げられます。
これも人間の姿の実相か……。
1971年、米国企業の日本社長として成功した息子が、15年ぶりに母のもとを訪れると、様子がおかしい……。
鏡に映った自分に対して、他人のように話しかけたりしている。
どうやら、認知症のようなんですね。
網走の実家から札幌の自宅へ母を引き取るも、なかなかうまくいかない。
本人は「つけ」で買い物しているつもりでネギを万引きしかけたり、庭で炭をおこして煙で近所に迷惑をかけたり……。
僕自身が祖母と同居している身なので、どうも他人ごとに思えなかったんですよね。
老いていく姿はかわいそうだし、良かれ」と思って迷惑をかけるのは哀しいし、かといって家族はイライラするし……。
どのシーンを見ても、涙が出てくる。
親子の物語自体はフィクションですが、合間に、大平炭鉱病院事件(ソ連軍に包囲されたと判断した看護師23人が集団自決し、6人が亡くなった事件)などの史実が挟まれます。
北海道に住んでいても、樺太のこととか、引き揚げの歴史とか、知らないことばかりだなと思いました。
まだまだ学ぶべきことは、たくさん。
声高に「戦争反対!」と叫ぶ映画ではありませんし、戦争そのものの描写は少ないのですが、母子の姿を通して、戦争がいかに人々から多くのものを奪い去っていくのかが伝わって来ました。