福井「鯖江のまち」へゆく | ブログ版『大和川水紀行』

ブログ版『大和川水紀行』

大和川流域の自然やイベント、祭事など訪ねた紀行記です。

鯖江駅から北西へ徒歩約15分のところに真宗誠照寺派本山・誠照寺(じょうしょうじ)がある。

親鸞聖人が越後への配流途中に立ち寄ったゆかりの「越前四箇本山」の一つだ。

木造建物では県内最大規模の御影堂と阿弥陀堂が並んでいる。

 

その北方に広がる小丘にある西山公園は「日本の歴史公園100選」認定される鯖江市のシンボル的な公園だ。

園内のレッサーパンダが人気の西山動物園は「日本一小さな動物園」という。

 

園内の日本庭園「嚮陽庭園・上段の庭・北の庭)は鯖江藩主・間部公ゆかりの嚮陽苑を再現されたものだ。

 

展望台からは鯖江市内を眺望できる。

 

浄土真宗・誠照寺や鯖江藩主・間部(まなべ)家の門前町として栄えた鯖江市には、今も神社仏閣が多く存在し、数々の伝説が残っている。
旧北陸道沿いの地蔵橋に寝姿の地蔵が安置されている。

「緑ある衆生は踏めとつたふる地蔵橋…」とあり、地蔵を踏むと災難よけになるといわれている。

天正年間の織田と朝倉の戦いで橋を壊して長泉寺を守ろうとする朝倉勢に対し、織田勢は路傍にあった石地蔵を川に投げ込んで埋め、その上を踏み越えて進軍した。

後年、長泉寺の僧が谷底から引き上げて旧北陸道の小川の橋にしたという。


「願かけ地蔵」は清らかな水を三度、お地蔵さんにお掛けすると願いが叶うといわれている。


萬慶寺は曹洞宗大本山永平寺の直末寺で、鯖江藩主・間部公の菩提寺だ。

本堂の天井に装飾された7代藩主・間部詮勝(あきかつ)の筆による天井墨絵「風神」「龍神」「雷神」は指定文化財だ。

王山古墳群の麓に鎮座する舟津神社は、崇神期(紀元前1世紀)に鯖江の王山に陣を置いて賊を平定した「大彦命」が当時沼地だった鯖江の平野部一帯で舟を着けたところから「舟津神社」と名付けられたという。

文政元年の建築とされる本殿と赤鳥居は福井県指定文化財だ。

北陸本線を渡った定次町にある「許佐羅江清水」は、「舟津七清水」の一つとされている。

1419年の「舟津社記」によれば、991年の夏に大干ばつで舟津神主が夢の中に現れた神様が詠んだ和歌を清書して七箇所に埋めると忽然として水が湧き出し「舟津七清水」と呼ばれたという。

周辺には豊富な湧水池があり、主に農業用水として利用され、かつてはきれいな冷水を好むトミヨという魚が生息していた。

現在は湧水量は少なくなったものの、他の湧水池が枯渇あるいは消滅する中でその姿をとどめ、当地域の水資源の豊かさを示す貴重な史跡として鯖江市指定文化財に登録されている。

鯖江駅の東へ徒歩約15分のところに真宗山元派本山・證誠寺(しょうじょうじ)がある。

親鸞配流の途中に立ち寄った草庵で念仏説法に帰依した信者の願いで親鸞の子や孫の浄如(じょうにょ)が建立したのが始まりだ。


その東方にそびえる三里山は標高346mで1周が三里(約12キロメートル)あることから三里山と名付けられた。

その麓に中野神社が鎮座し、苔むした参道や苔むした石畳は荘厳で神聖な空間が広がっている。

中野からの登山道登山コースには、カタクリの群生地、三ッ岩古墳、雨降神社跡、ハゲ山、波うち岩、隠し田跡、滝などがある。

 

鯖江市は「めがねのまち」として眼鏡をあしらったベンチや装飾が至る所で見られる。

「めがねミュージアム」にある「めがね博物館」では、100余年続くめがねづくりのの生産現場風景の展示コーナーや 江戸時代~昭和にかけてのめがねの形の変遷などが展示紹介され、美空ひばりや石原裕次郎などの著名人が愛用しためがねが展示コーナーがある。

 

参考:

鯖江市観光公式サイト
https://www.city.sabae.fukui.jp/kanko/index.html
 

めがねミュージアム
https://www.megane.gr.jp/museum/