メールマガジン(72) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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さて、ついに25年間の最後の戦いが
始まります。

これで本当に最後です。

それではどうぞ。

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■平成14年(その3)
■編集後記

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■平成14年(その3)
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いよいよ闘犬センター最後の戦いが始
まりました。

名前は「オール高知」でしたが、心は
全員「闘犬センター」で最後を戦うと
いう気持でした。

優勝を期待され、優勝を目指した高知
国体を3位という残念な成績で終えた
私たちは、全勝を守ってほぼ優勝の決
っていた日本リーグの最終節を残すの
みとなっていました。

私自身は国体でやり切ったという想い
もありましたし、日本リーグは優勝が
ほぼ確定、遠征費も厳しいことも知っ
ていましたので、

「行かんでもええろう。」

と最終節には帯同していませんでした。

この安易な決定が後から後悔すること
になろうとは、思ってもいませんでし
た。

最終節は栃木県那須町、ここも思い出
深い場所でした。

あと1勝すれば優勝確定の試合の相手
はデンソー、ピッチャーは地元国体で
の優勝の夢を阻んだ村里投手でした。

国体でのうっぷんを晴らすような集中
打で村里投手を打ち込み5得点、守っ
ては大木ー植村の継投で1失点に抑え
て、5-1の完勝。

全日本総合に続いて優勝のマウンドに
は植村投手がいました。

この男は12名しかベンチに入れない
関係で、国体ではメンバー外になって
いましたが、もしこの選手が投げてい
たら優勝だったかもと冗談が出てくる
ほどの安定したピッチングでした。

そしてのびのび打たせると村里投手か
らでも5点取れる打線でした。

これが国体だったらと思いますよね。

続くツヅキグローバル戦も勝利します。
ピッチャーは岩見ー植村の継投でした
が、相手打線に4点は取られたものの、
打線が6点を取ってくれて6-4とい
うスコアでした。

これで無敵の12連勝、もう負けない
のではないかなと思わせる試合でした。

翌日の最終日も2試合でした。

初戦は埼玉県庁戦でした。
先発の岩見投手がホームランを含む3
連打で2失点するも、救援した植村投
手がその後を0点に抑え、打線が頑張
って3点をもぎ取り、3-2で勝利し
ました。

これで13連勝、有終の美を全勝優勝
という最高の形で飾るべく、ホンダ
エンジニアリング戦に臨みました。

先発は大木投手、プレッシャーに弱い
この男が植村投手の安定したピッチン
グを見て、うかうかしていたらビース
の座も危ないととでも思ったのでしょ
うか、頑張って投げました。

2本のホームランを打たれて3失点は
したものの、無駄なランナーを出さず
危なげない力の投球でした。

この大木投手を打で救ったのは同級生
の岡本キャプテンでした。

なんとこの試合3本連続のホームラン
でした。

一旦打ちだすと止まらない選手ではあ
りましたが、このまとめ打ちで本塁打
王も手にすることになりました。

試合は9-3で完勝、これで前人未到
の14連勝で、14度目の日本リーグ
の優勝となりました。

優勝を受けて西村監督は、

「全勝優勝ができたのは選手の力。私
 も監督の立場より、選手の一人とし
 て戦うつもりだったが、国体の疲れ
 もあり、登板できず迷惑を掛けた。」


「それで4連勝。植村投手の成長も大
 きかったが、選手全員が本当にすご
 い。職場や家族など周囲の応援も得
 て、このメンバーで戦えたことを誇
 りに思います。」


と語っています。

そして、この様子を見届けていた高知
新聞の土橋記者が次のようなコラムを
書いています。

「1球1球が集大成」

「高知国体も大切だけど、全勝優勝を
 狙います。自分たちの先輩も含め、
 だれもやったことがない。挑戦しま
 す。」と宣言したのは、主将の岡本
 だった。」


「地元高知での第2節を終えた折り返
 し点。5ヶ月前の話だ。それは日本
 のトップがしのぎを削るリーグ14
 戦をトーナメント感覚で戦うことだ。」


「メーン球場の最終戦は前期の1,2
 位対決と決っている。昨年苦杯をな
 めたホンダとの一線は、駆け引きな
 しだった。」


「先発大木は形相を変えてドロップと
 ライズボールだけで押しまくる。打
 線も中途半端なスイングは皆無。」


「3回、1塁走者江口は打席の西田の
 ファウルを確認する間もない勢いで
 2塁ベース上で猛スライディング。」


「ヤジも飛ばさない温厚な男がベース
 カバーの選手を吹き飛ばした。みん
 な1球、1球、1走を惜しむように
 プレーした。」


「県ソフト界をめぐる混乱が極まった
 1年。国体が終わり、強化費の減る
 来年の活動は決っていないという。」


「他チームから移籍の声が掛かってい
 る選手もいる。」


「もうこのメンバーが、今まで通り顔
 をそろえて試合することはないかも
 しれませんからね。」


「残り試合が少なくなるにつれ、顔に
 寂しさが広がった選手たち。だから、
 リーグの最後を納得のできる試合で
 締めくくりたかったのだ。」

「ホンダも答えてくれた。全日本の次
 代のエースとみられる浜口は岡本に
 2本の本塁打を浴びた。」


「チェンジアップでかわさず、自分の
 信じる一番の球だけを投げ続けた。」


「1時間55分の濃密な時間を終え、
 西田は「しびれる試合。こんな経験
 はもうできない」と声を絞り出した。」


「表彰式を終えたあと、ナインは夕闇
 迫り、雨も落ちる無人のグランドで
 西村監督らを胴上げした。」


「それは自分たちへの祝福だった。集
 大成ともいえる試合を終えた選手だ
 けが見せることの許される良い顔が
 並んだ。」


こんな感動的なセレモニーがあると知
っていたら、何が何でも栃木県に行っ
ていたのにと思わせる出来事でした。

優勝しても胴上げなんかしない、とい
うか喜びもしないというのが闘犬セン
ターでした。

少し格好つけたところもありましたが、
勝つことをオーナーから義務付けられ、
勝って当たり前とも思って臨んだ大会
もありました。

「やれやれ、終わった、終わった。」

としか思えない大会もありました。

そんな勝つことに慣れた選手が、報道
の方にも要求されたわけでもなく、自
ら集まって胴上げしたなんて、どうい
う心境だったんだろうと思うと、これ
を書いていて目頭が熱くなってきます。

最後の1年は2つの優勝と国体の3位
という成績でした。

全部優勝して、終わりにできれば格好
良かったですが、それは欲張り過ぎで
しょうかね。

この日本リーグを終えて高知に帰って
から、来年の所属先を探すという作業
が待っていました。

そのあたりのことと、25年間のまと
めを次号でしたいと思います。

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終わりました。

その場に居なかったことを、今になっ
ても後悔しています(笑)

最初と最後を見た唯一の人間と言って
いるのも関わらず、この最後の場面に
参加していなかったなんて。

18歳、高校卒業と同時に「闘犬セン
ター」
でのソフトボールが始まり、ソ
フトボールにどっぷり浸かった人生で
した。

お陰で「日本一」「全日本」「世界選
手権」「海外遠征」
と、普通では経験
出来ないことも経験させてもらいまし
た。

さらに「弘瀬 勝」という面白い人と
の出会いによって、これまた普通では
経験出来ない世界も見させてもらいま
した。

この経験が、今の私を作ってきたよう
にも思います。

次号が最後のメールマガジンになりま
す。

感傷にひたるのは次号にしますね(笑)