四国銀行硬式野球部 | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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昨日(12日)の高知新聞の朝刊に
今年から

「四国銀行硬式野球部」

の監督に就任した

「宗武監督」

の記事が掲載されていました。

高知商業から近畿大学と進み、四国
銀行では内野、外野、捕手といろい
ろなポジションを守れる便利な(?)
選手として活躍。

その後一旦野球から離れて、社業に
専念していましたが、今年から監督
として野球部に復帰となりました。

私はこの四国銀行硬式野球部のトレ
ーナーとして、20年間チームを見て
きました。

年齢も50歳を過ぎましたし、若くて
立派な先生が見つかりましたので、
一昨年から後任の江口先生と交代さ
せていただきました。

江口先生は高知商業の野球部のOB
でもあります。

四国銀行硬式野球部では20年間の間
に6人の監督と一緒に、仕事をさせて
いただきました。

最初は年上の監督でしたが、2人目か
らは年下。

選手も私と同時に入行してきた選手が、
ちょうど一回り下(12歳)の選手たち
でした。

長くやっているうちに、入行してくる
選手たちが、自分の子供と同級生にな
り、やがてそれよりも下の子どもたち
になってくると、トレーナーと選手と
いうよりは、父親と子どもという関係
に近い感じになっていたような気がし
ますね。

新監督に就任してきた宗武監督は、高
校時代は知らないのですが、入行から
ずっと一緒に各大会に行っていました。

よく汗をかく選手で、夏の試合などは
途中でユニフォームまで着替えないと
いけないほどでしたので、脱水症状に
なって筋肉が痙攣して途中交代という
こともありました(笑)

トレーナーとして同行し始めたころは
私もまだ30代前半で元気でしたので、
朝の散歩からずっと行動を共にして、
練習も一緒にやり、夜は夜中まで治療
をしていました。

これも50近くなるとやはりきつくなっ
てきていたんですね。

ただそんなにお金にもならなかった、
このトレーナーを続けていたのには、
二つ理由がありました。

一つは自分が元々野球選手になりたか
ったのに、野球が出来なかったので、
四国銀行硬式野球部のベンチに入るこ
とで、気分だけでも野球をやっている
ような気分になりたかったということ
でしょうか。

もう一つはこの四国銀行硬式野球部と
いうチームは、ノンプロと言っても恵
まれた環境ではありません。

選手の数もギリギリでやっています。

そのために都市対抗や日本選手権に行
った時に、私の最大の楽しみがやって
きます。

試合目のノックの時に人数が足らなく
なるんです。

外野ノックのボール渡し役は、まずい
ません。

そうです、ユニフォームは着ることは
出来ませんが、あの東京ドームや京セ
ラドームに入って、ボールを渡したり
受けたり出来るんです。

これはなかなか出来ることではありま
せん。

他のチームでジャージの人間がノック
に加わっているのを、私は見たことが
ありません。

これを遣ることが出来て、さらに報酬
までいただけるなんて、こんな幸せな
仕事はないでしょう(笑)

ドーム練習の時などは、

「先生、ノックして下さい。」

と言われ、外野のノックをしたことさ
えあります。

こんなソフトボーラーは私だけかもし
れませんね。

京セラドームで行われた日本選手権で、
トヨタ自動車と対戦したことがあって、
その応援団の中に

「田中誠一先輩」

がいました。

3階席の上の方にいらっしぃましたが、
こちらはベンチ前にいるジャージ姿で
したので、すぐに見つけられたみたい
で、携帯電話に電話がかかってきまし
た。

試合前でしたので出てみて、言われた
方を見上げてみると、小さく手を振っ
ている人がいました。

これも楽しい思い出の一つです。

昨年は初めて京セラドームのスタンド
から、四国銀行硬式野球部を応援させ
てもらいました。

やはりグランドに立ちたいといまだに
思いますが、スタンドで食べたり飲ん
だりしながら、試合を見るのもまた違
った感じでいいものですね。

是非今年は宗武監督以下選手のみんな
に頑張ってもらって、東京ドームに応
援に行きたいものです。

頑張れ、四国銀行硬式野球部!

頑張れ、宗武監督!

今日はここまでにしますね。