された、メールマガジンになります。
熊本国体での戦いの模様です。
どうぞご覧下さい。
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■平成11年(その2)
■編集後記
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■平成11年(その2)
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日本リーグ3年ぶりの優勝を受けての
国体はどんな戦いだったのでしょうか。
この年の国体は熊本県での開催でした。
会場は荒尾市でしたが、熊本県の成年
男子の監督が闘犬センターOBの深見監
督で、成年女子のコーチにこれも闘犬
センターOBの高島コーチがいるという
縁のある国体になりました。
国体予選に勝った私に深見監督から連
絡がありました。
宿舎はどうするという連絡でした。
一つは山の上の宿舎になる、もう一つ
は山の下だけどどっちにするというも
のだったと思います。
私の答えは、
「パチンコ屋の近くにして。」
でした。
試合の後はとにかくリラックスしても
らいたいという気持ちで言ったもので
した。
指定された宿舎に行ってみると、そこ
は大会本部も入っている大きなホテル
で、熊本県チームも宿泊していました
し、隣には大きな遊園地もあり、私が
言っていたパチンコ屋さんもある最高
の宿舎でした。
これは深見監督や熊本県協会に感謝し
なくてはいけない、とってもありがた
い環境でした。
ただ宿舎入りしてから早々に問題が発
生しました。
高知に残ったオーナーと現地入りして
いる西村監督が選手登録で揉めて、そ
れの仲介に理事長が入る。
そんなことではなかなか問題は収まら
なくて、さらにゴタゴタしました。
この国体はなかなか体調が整わなかっ
た西村監督が体調万全で迎えることが
出来た国体で、本人は
「絶対勝ちます。」
と宣言しての熊本入りだったそうです。
オーナーから電話でぐちゃぐちゃ言わ
れ、さらに
「負けたらどうする?」
という言葉に切れた西村監督が、
「責任を取ります。」
と言って電話を切ったものですから、
ますます事態は混乱しました。
いろいろな人間を巻き込んで、試合前
にグチャグチャ言われ、西村監督の表
情が曇っていくとともに、チームの雰
囲気も悪くなっていきました。
あまりにもオーナーがしつこいので、
杉本さんも私も
「西、もう止めて帰ってもええぞ。」
「お前が止めた言うがやったら、誰も
文句は言わん。」
「責任はみんなで取ったらええ。」
とまで言いました。
それくらい切羽詰った状態でした。
ちょうど夕食時でしたので、選手には
外出禁止、こっちから指示するまで待
機しているように伝えました。
自分のチームの選手は慣れているとい
うか、上がそう言うならそうするしか
ないと思っているのでしょう。
そんなに動揺もしていない感じでした
が、それを同じ会場で聞いていた熊本
県チームの選手の驚いた顔が忘れられ
ません。
ただ一人闘犬センターOBの深見監督が
普通の顔で
「どうかした?」
と聞いてきました。
経験した人間って強いですね(笑)
国体史上初の試合放棄になるかと思わ
れたこの事態も、何かオーナーが勝手
に納得したような感じで解決したよう
な形になり(?)オーナーの機嫌が直
ると共に、
「試合頑張れよ。」
と勝手な言葉を残してこの問題は終了
しました。
いったい俺たちは何をしていたんだろ
うと思ったことでした。
本当に疲れます(笑)
試合はというと1回戦、2回戦と楽勝
で勝ち上がり、準決勝は沖縄県との対
戦になりました。
好投手宮平投手の立ち上がりを攻めて
岡本選手が2ランホームランを打って
先制しました。
その後は宮平、兼久投手を打ちあぐね、
4回にはホームランを打たれて1点差
となりましたが、西村投手が頑張り勝
利を収めて決勝戦に進出します。
決勝戦は千葉県との戦いになりました。
この試合は笹岡選手が4回に2ランホー
ムランを打って、2-0で勝利して、
2年振りの優勝で熊本国体を終了するこ
とになりました。
オーナーとの戦いが厳しかっただけに、
ソフトボールの戦いが楽に感じられた
国体でもありました。
残念だったのは深見監督の熊本県が2
回戦で富山県に敗れてしまって、決勝
戦で高知県対熊本県の試合が出来なか
ったことでしょうか。
この時の熊本県のエースが今ホンダエ
ンジニアリングの監督兼選手をしてい
る浜口監督です。
この優勝を伝える高知新聞の記事をご
紹介しましょう。
「2年振りの優勝にもあまり表情を変
えない西村監督だが、内心はホッとし
ていることだろう。」
「昨年の神奈川国体はまさかの初戦負
け。」
「全日本選手8名を抱える戦力に、こ
れまでにない組み合わせでも、もちろん
油断はできない。」
「1,2戦の計32得点は、いわばウォ
ーキングアップ。強敵の沖縄戦からが本
番だった。」
「それまで2試合で6回3分の1の登板
に抑えた西村も全開。」
「準決勝、決勝の14イニングで26三
振を奪った。球威に、うまみを加えた日
本のエースの投球は健在だ。」
「優勝の決まった瞬間の平静さは4連覇
スタートの10年前と変わらない。」
「試合中のベンチのにぎやかさも同じ
だ。」
「だが、西村以外の顔ぶれは変わった。」
「ここ12年で9度目の頂点を極めた県
チーム。シーズンは終わったが、練習は
普段通り続ける。」
「今、高知国体に向けてその歴史は第三
章「新たな成熟の時代」の幕を開けた。」
すごく格好良い締めくくりで記事は終って
います。
西村監督の優勝コメントは次の通り、
「攻守の歯車が噛み合った。」
「みんな、自分の役割をよく果たしてくれ
た。」
「試合そのものより、昨年の負けがあった
ので、精神的にきつかった。」
「ほっとしている。」
試合放棄寸前まで行ったオーナー対応が、
西村監督を最も苦しめたことを、本人は
言っていませんが、私の長い闘犬センター
生活の中でも、ここまで行ったのはこの国
体だけだったような気がします。
そういう意味では特別な国体でした。
この年はこの後アジア選手権があって、闘
犬センターから8名の選手が全日本に選出
されています。
この大会の模様は次号でご紹介したいと思
います。
今日はここまでにしますね。
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西村監督は自分の体の調子が良いことで、
勝つ自身があった国体だったと振り返って
いました。
それでやっぱり勝っているんですから、彼
が絶好調であれば、なかなか負けないとい
うことですね。
やはり投手西村はすごいということを示す
エピソードでした。
私の思い出は、熊本県が富山県に負けた夜、
元気のない深見監督を杉本さんと慰めよう
と、一緒にお酒を飲んでいました。
やはり地元の国体の決勝戦で、高知県と戦
うことを目指していたんだと思います。
いつもより速いピッチでお酒が進み、酔っ
払って私のベッドで寝てしまいました。
起こすのも可哀想だし、とても起きそうも
なかったので、私が熊本県チームの深見監
督の部屋に行き、彼のベッドで寝ました。
こんなこともあった熊本国体でした。
