メールマガジン(41) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。

日曜日恒例のメールマガジン紹介になり
ました。

全日本実年大会もベスト4を目指した
戦いを続けています。

さてどのチームが今年の実年日本一に
なるのでしょうか。

楽しみデスね。

それではどうぞご覧ください。

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第37号のメニューはこちらです。

■平成2年(その2)
■編集後記

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■平成2年その2)
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1年間の出場停止処分の明けた闘犬セン
ンターは、日本リーグに復帰して、昨年
唯一参加して優勝した北海道国体に続い
て福岡国体も優勝するべく、福岡県大牟
田市に乗り込みます。

ちょっとばかり気になることもあったの
ですが、試合が始まってしまえば大丈夫
だろうと思っていたのが間違いでした。

一回戦は群馬県(群馬教員)でした。

この試合前のメンバー表記入の時に事件
は起こっていました。

杉本さんがメンバーを決めて、補助員と
して参加していた高石選手に伝え、高石
選手がメンバー表に記入して、先行後攻
を決めるキャプテンにメンバー表を手渡
す手順です。

勿論きちんと記入されていると誰もが思
っていました。

ただ少しだけ普段と違っていたことがあ
ったんですね。

この頃日本リーグなどではサードは北川
選手が守って、佐竹選手はDHで打つだけ
ということが多かったんです。

ところが国体は選手が12名しか登録で
きません。

できれば選手を残しておきたいんですね。

それを考えたのか、相手が群馬というこ
とで燃えたのかは分かりませんが、この
日の試合前佐竹選手が自ら、

「今日は守ります。」

と言ってきました。

私も隣で聞いていましたので間違いあり
ません。

闘犬センターは元々自己申告制ですから
本人が守ると言えば、杉本さんはそれを
尊重してくれました。

その意向を受け入れたオーダーを高石選
手に伝えましたが、その高石選手の心と
耳がその言葉をちゃんと聞ける状態では
ありませんでした。

高石選手は普段通りのDH佐竹、DH守備北
川と記入していたのです。

そのことに私たちは誰も気が付いていま
せんでした。

まさか高石選手が間違いをすることはな
いと、確認などしていなかったんです。

試合前のノックが始まり、その時に先発
選手の紹介のアナウンスがありました。

私達はノックを受けていましたので、そ
のアナウンスを聞いていませんでしたが、
相手のベンチにいた大木選手から声が
掛かりました。

「タケちゃん、DHって言ったよ。」

大木選手は世界選手権にも一緒に行きま
したし、佐竹選手、家竹選手とはとても
仲良しでした。

その瞬間佐竹選手の顔色が変わったのを
私は見ていました。

ノックが終わって、メンバー表を確認し
たらやっぱり普段通りのDH佐竹と記入さ
れていました。

そうすると隣の家竹選手の顔色も変わり
ます。

この二人がへそを曲げるとやりにくくな
ることは分かっていました。

標的は間違って記入した高石選手という
ことになります。

この事件には伏線がありました。

このシーズン日本リーグなどは選手の数
が揃わず、いつもぎりぎりで戦っていま
したので、第一節などは高石選手も投手
だけでなく打者としても試合に出場して
いましたし、彼の活躍で勝った試合なん
かもありました。

国体の選手登録は四国予選までは15名、
本大会になると選手12名、補助員3名
に振り分けられます。

高石選手はいつも本大会で補助員になっ
ていて、本人としても今年の前半の活躍
からすると今年こそは12名の選手に入
れると思っていたようでした。

ところがピッチャーは西村選手と弘瀬拓
生選手がいましたので、守るところのな
い高石選手をこの12名に入れる余裕は
なかったんですね。

これを決めたのはオーナーでしたが、そ
れをどう勘違いしたのかはわかりません
が、高石選手は杉本さんに対して反抗的
な態度をするようになっていました。

私はこの高石選手の態度がおかしいのに
気が付いていたのですが、まさかこんな
ことになるとは思ってもいなかったので、
そのままにしていました。

これがこの事件の伏線でした。

試合はしなければいけませんので、オー
ダー表の通りで行いました。

西村投手対三宅投手の投げ合いになりま
したが、この頃には西村投手の勢いが
勝ってしましたので、6-0で勝つことが
できました。

試合後はそれどころではなく、この佐竹
選手と家竹選手の気持ちを抑えることし
か頭にありませんでしたので、意を決し


「全員集合」

の声を掛けました。

杉本さんの許可も得ていませんでしたが、
これやらないとこの国体勝てないと思っ
ていました。

「選手も補助員も関係ない。」

「やる気のないやつはどこかへ遊びに
 でも行ってくれ。」


「俺たちは勝ちに来ちゅう。」

「邪魔するやつはいらん!」

全員黙って聞いてくれました。言ってい
る意味も分かってくれたようでした。

ところが一番の問題児が分かっていませ
んでした(笑)

私と高石選手は宿舎で同部屋でした(涙)

帰ってから今度は高石選手に説教です。
高石選手は自分が悪いとこの時点でも思
っていませんでした。

「山崎さん、僕が悪いがですか?」

「お前の気持ちも分からない訳じゃない
 けど、お前のその態度は何な?!」


「お前を補助員にすると決めたがは社長
 やろ。」


「お杉ちゃんじゃない、それくらいのこ
 とは分かるよねや。」


「はい・・・」

「ならお杉ちゃんに反抗するようなお前
 の態度はいかんろうが。」


こんなやりとりでした。

納得したような顔ではありませんでした
が、この後高石選手が記入ミスをするよ
うなことはありませんでした。

この国体はこれが全てでした。

続く石川県に1-0、準決勝の山梨県も1-0
で辛勝して決勝戦に進みました。

決勝戦は地元福岡県との闘いでしが、な
にせ相手チームの選手のほとんどが初め
て見るような選手ばかりで、思わず

「自己紹介せえ!」

と言ってしまったほどでしたので、相手
にはなりませんでした。

とは言っても1-0のスコアでしたので、
楽勝には見えませんが西村投手から得点
できそうなチームではありませんでした。
(失礼)

私個人も初戦の群馬県戦、三宅さんから
打ったエンタイトルのツーベースが唯一
のヒットという散々な成績の国体でした。

試合より高石選手対応に気を使って疲れ
た国体でした(笑)

表彰式後杉本さんが寄ってきて

「ビールかけやるか?」

と聞いてくれました。

たぶん私も大変だったんだと思います。
どこかで、

「優勝したらビールかけやろう。」

って言ったような気がします。

それを杉本さんが覚えてくれていて、や
ろうと言ってくれて、会場で売っていた
缶ビールを全部買ってきてくれました。

グランドの横でユニフォームのままの
ビールかけになりましたが、缶ビールは
駄目でしたね。

振ると泡になるんですが、あっと言う間
に終わってしまうので、雰囲気は出ませ
んでした。

人生で何回かビールかけはしましたが、
このビールかけが一番しょぼかったです
ね(笑)

けれど杉本さんの気持ちが一番嬉しかっ
たビールかけでもありました。

楽しんでいる我々の気持ちに水を差した
のが、近くで見ていたどこかのおじさん
の一言でした。

「もったいない。」

「やかましいわ、自分で買ったビール
 どうしようが勝手やろうが。」


せっかく緩んでいた心が一瞬で戦闘モー
ドに切替わっていました(笑)

これで国体は終わり、残すは11月の
日本選手権になりました。

1回戦は国体に続いて群馬教員でした。
2-0で勝って準決勝に進出。

準決勝の相手は東海大学で、この試合も
2-0で完勝。

この試合西村投手は13奪三振、自分で
ツーランホームランを打って勝つという、
私達には面白くない試合でした(笑)

決勝戦はホンダエンジニアリングとの対
戦になり、2-1で勝って2年ぶり5度目
の優勝を飾ります。

試合後の杉本監督のコメントは

「他の出場チームに比べて選手数が少な
 い上、年齢も高く、最後にはけが人も
 何人か出た。」


「楽な試合はひとつもなかったが、メン
 バーがそれぞれの役割を果たし、力を
 合わせたことが優勝につながった。」


となっています。

1年間の出場停止を受けても、闘犬セン
ターは強かったということを示すことが
できた1年でした。

今日はここまでにしますね。

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この話を先日の福岡の日本リーグでの
元闘犬センター勢の「反省会」でして
いたところ、私が忘れていたことを
西村君が覚えていて、それを聞かされて
この問題の根深さを思いしらされました。

それは問題を起こした「高石選手」
「国体四国予選」でタイムリーを打って
「国体出場」を決めていたこと。

さらには、この問題が起った試合会場に
「高石選手」「ジーンズ」で現れてい
たということ。

この「ジーンズ姿」に、西村選手は

「この人、どうしたが?」

って思ったそうです。

「やる気ない。」

「やってられない。」

の意志表示だったんでしょうけど、まず
あり得ない態度ですよね。

これが福岡国体の開会式の写真ですけど、
この中に「高石選手」の姿はありません。