
第1回全日本クラブ選手権大会で優勝
した、若い「闘犬センター」の姿です。
このクラブ大会の優勝旗が10年間も
の間、四国から外に出なかったことを
ご存知でしょうか?
歴代優勝チームをご紹介しますと、
第1回 闘犬センター(高知)
第2回 鴨田クラブ(高知)
第3回 闘犬センター(高知)
第4回 闘犬センター(高知)
第5回 鳴門渦潮クラブ(徳島)
第6回 闘犬センター(高知)
第7回 闘犬センター(高知)
第8回 闘犬センター(高知)
第9回 闘犬センター(高知)
第10回 浜西石材(香川)
四国勢10連覇という偉業達成です。
浜西石材はいつも四国予選で、闘犬セン
ターや鳴門渦潮クラブと戦わなければ
いけないので、四国予選を突破すること
が難しかったのですが、その間にしっか
り力をつけていました。
第10回は闘犬センターが出場停止で欠場
ということはありましたが、決勝戦は
北投手を擁する「山梨クラブ」を4-0で
完封しての勝利でしたから、誰にも文句
を言われない立派な優勝でした。
四国内には愛媛県に丸善石油松山という
強豪実業団チームがありましたが、この
クラブ大会が始まってしばらくして廃部
となってしまってからは、四国のソフト
ボールはクラブチームが牽引して行くこ
とになりました。
これもクラブ大会で四国勢が10連覇を
成し遂げた要因かもしれませんね。

1982年のJSAソフトボールに面白い記事
を見つけましたので、今日の締めくくり
にご紹介しましょう。
昭和57年9月4日から6日まで長野県伊那
市で開催された第3回全日本クラブ男女
大会の大会報告です。
[大会感想等]
大会運営は、いつもながらスムースに
行っているのには関心する。大会内容は
クラブ大会らしいレベルで好ゲームが
展開されて、特に女子においてはほほえ
ましい光景があった。男子においては紳
士的なチームが多かったが、中に非常に
マナーの悪いチームがあったのは今後
考えものであり、何かペナルティーを
考えてもよいのではないかと思う。
全体的にみてクラブ大会らしい好感の
持てる大会であった。
この非常にマナーが悪くてペナルティー
を課せられるかもしれなかったチームと
は、いったいどのチームだったのでしょ
う。
「闘犬センター」じゃないかな(笑)
ただこの後の
[印象に残った選手]には
闘犬センターから家竹選手と私が選ばれ
ています。
それ以外は明和クラブの中津選手、
宝クラブの松枝選手(この選手は身長
184cm、体重125kgという巨漢でありなが
ら、動きも良くて、打力もパワーがある
ちょっと珍しい選手として紹介されて
います。)
そして鴨田体育会の弘瀬拓生投手の5名
です。
そういえばクラブ大会は最初の頃は、
男女同じ会場での開催でしたので、開会
式や閉会式も同時に行われていましたの
で、違った楽しみもありましたね(笑)
振り返って思うのは、この大会報告にも
あるように、クラブ大会は勝ち負けより
はクラブチーム同士の親睦を図るという
目的を持って始まった大会だったという
ことでしょう。
第1回大会では入場行進の時に、ユニフォ
ームの足元が白と黒のコンビのエナメル
の革靴の選手がいました(笑)
こんなほのぼのとしたクラブ大会を、
「勝負」の大会にして行ったのは間違い
なく私たち
「闘犬センター」
でした。
今日はここまでにしますね。