
岡豊高校出身の
「江口選手」です。

同級生の「大木投手」が投げている時に
サードを守っている写真もありました。
岡豊高校では、「岡本選手」「西田選手」
と同級生で、そろって大活躍をして、
岡本選手と二人同時に闘犬センターに入
ってきました。
入ってきて早々の二人の会話がこれ、
「どっちが頭が悪いか。」
レベルの低い争いでした(笑)
これまでにも闘犬センターには、ABC
が読めないやつとか、漢字が読めないや
つもいましたが一人づつでした。
今度は二人です。
それもファーストとサードとなると、
それは不安でした(笑)
その二人が現在、日本リーグでトヨタ
自動車と高知PWの監督をしている訳で
すから、この二人は
「頭が悪かった。」
のではなくて、
「ソフトボールばかりやっていて
勉強しなかったので、成績が芳しくな
かった。」
ということでしょう(笑)
そうでなければ日本リーグの監督の
レベルが疑われますよね。
私と江口選手の出会いは闘犬センターで
はありませんでした。
初代監督の田中規夫さんが
「大津ジュニアーズ」
という少年野球チームのコーチをされて
いて、土曜日の午後は私がそこに練習に
行っていました。
その大津ジュニアーズに江口選手のお兄
さんの江口久雄君(元トヨタ自動車、前
トヨタ自動車監督)が所属していました。
私の練習は少年野球の練習終了後でした
ので、早く行った時にはノックを手伝っ
たりもしていましたので、久雄選手に
ノックしたりもしていました。
その時江口真史選手は小学校の低学年
(2年生か3年生)だったと思いますの
で、真史選手と一緒に野球をしたという
記憶はありません。
規夫さんが江口兄弟のお父さん、お母さ
んと仲が良かった関係で、私も一緒に
ご飯を御馳走になったことがありました。
お酒の弱かった私は、少しのビールで
酔ってしまって、トイレに行ったあと
トイレの前の廊下で横になっていました。
(倒れていたと言うのが正しい表現で
しょうか。)
そこにアイスキャンディーを持って来て
くれたのが真史選手で、これが私が真史
選手を認識した最初でした。
この心優しい子どもと、まさか同じチー
ムでソフトボールをすることになるなん
て、とても想像できるものではありませ
んでした。
お兄ちゃんも真史君もソフトボールをや
っていることは知っていましたので、正
式に闘犬センターに入ってきて、顔を見
た時はすぐにわかりました。
闘犬センターの練習で再会した時、そこ
には立派な体に成長した真史選手が立
っていましたので、年を取るはずだと
思ったものです。
闘犬センターが解散することになり、そ
の後の身の振り方を考えていた時に、
真史選手はお兄さんが所属しているトヨ
タ自動車移籍の話しが持ち上がりました。
まだまだバリバリやれる年齢でしたし、
トヨタでやれるならと、みんなで応援し
たものでした。
真史選手の実力ですから、普通にやれば
主力で活躍するのは当たり前と確信して
いましたが、まさか
「監督」
になるとは思っていませんでしたね。
最近フェイスブックでホームランを打っ
たところがアップされていましたが、
お腹がちょっと立派になった以外は、
バッティングフォームも昔のままの真史
選手の姿がありました。
6月には立派になった
「江口監督」
にお目にかかれそうです。
とても楽しみです!
今日はここまでにしますね。