
中京大学時代の
「高石東陽選手」
になります。
彼は高知学芸高校の出身で、昭和55年
に高知県で開催されたインターハイで、
決勝戦で地元対決の高知工業に敗れて
準優勝になります。
その時の高知工業のキャプテンが、以前
ご紹介しました「青山選手」です。
大学受験に失敗して、進学の間の1年感
闘犬センターでソフトボールをしました。
そして中京大学に進学してソフトボール
を続け、活躍しましたが、日本体育大学
に「北投手」がいましたので、インカレ
でも日本体育大学に敗れて準優勝をして
います。
どうも彼は「2番目」が好きなようです
ね(笑)
大学を卒業した高石選手は教員を目指し
て、高知に帰ってきて、再び闘犬センタ
ーに所属してプレーをすることになりま
したが、
その時には既に「西村投手」がエースと
して、バリバリ投げていましたので、
そんなに活躍する場面は多くなかったで
す。
彼ももったいなっかたピッチャーの一人
ですね。
彼もそれなりの実績がある選手でしたの
で、プライドもあったのでしょうが、
練習や試合前のフリーバッティングの
バッティングピッチャーを務めていまし
た。
彼は1度だけ私にキツク怒られたことが
あります。
それは「福岡国体」のことでした。
その年高石選手は日本リーグなんかでは、
バッターとして結構活躍をしていました。
守りはピッチャー以外は使えないという
感じだったんですが、バッターとしては
そこそこ使えたんですね。
当時の国体は四国予選までは15名が登
録できて、本大会になると選手登録12名
補助員3名となるシステムでした。
高石選手はいつも国体本番は補助員登録
が続いていて、この福岡国体は日本リー
グでの活躍もあって、いくら補強選手が
入るといっても、選手登録になるだろう
と、本人だけでなく、周りも思っていま
した。
ただその登録メンバーを決めるのは監督
ではなく、オーナーなんですね。
この年もオーナーの考えで国体の選手登
録は決定されました。
そしてそこに高石選手の名前はありませ
んでした。
補助員として参加していた高石選手は、
それは面白くないので、少々態度も普段
とは違っていて、ふてくされているよう
な感じでした。
そこで事件が怒ります。
群馬教員の群馬県が初戦の相手でした。
この頃日本リーグなんかではサードの
守備にはDH守備として「北川選手」が
入って、「佐竹選手」はDHという形が
多く取られていました。
ただ国体はベントに全員で12名しかいま
せんので、できればDHは使いたくない
んですね。
それもありましたし、試合前に佐竹選手
から、
「今日は守ります。」
との申し出もありました。
それを聞いて杉本監督がオーダーを決めて
高石選手に伝えて、オーダー用紙に記入し
て提出しました。
ただ、ふてくされていた高石選手は、杉本
監督の言葉をきちんと聞くこともなく、
普段通りのオーダーを記入して提出してし
まいました。
こちらはその通り記入していると思ってい
るので、佐竹選手も試合前のノックに参加
していました。
守備練習中に放送でオーダーの紹介があっ
たのですが、その時に相手ベンチにいた
「大木選手」から
「タケちゃん(佐竹選手のことです。)、
DHって言ったよ!」
と声がかかりました。
大木選手は世界選手権も一緒に行った中で
すから、仲良しでした。(特に佐竹選手、
家竹選手が。)
いきなり佐竹選手の顔色が変わりました。
それからオーダー用紙の確認です。
確かにDH佐竹と書かれていました。
いつも通りのオーダーを書いて、高石選手
が提出してたんですね。
全部が彼の責任ではありません。
確認しなかった監督にも、高石選手から
オーダー用紙を手渡されたキャプテンにも
間違いを正すチャンスはあったんですから。
ただ、まさか高石選手が間違うなんてこと
は考えてもみなかったんですね。
そういう信頼感は彼にはありました。
いきなり険悪な雰囲気になりましたが、
試合はしなければいけませんので、オーダ
ー通りで試合をして、勝ちました。
試合後監督も佐竹選手も不機嫌そのもので
したので、それを察した私が全員を集合
させて、高石選手を叱ったんですね。
それ以外にも気になることがあったので、
「やる気のない奴は帰ってくれ!」
「やる気のある人間だけでやるき。」
とかなりきつい言葉で言った覚えがありま
す。
これで気の引き締まったメンバーは、選手
と補助員が力を合わせて試合をして、この
国体を優勝で終えることになりました。
そんなこともあったので、この国体の優勝
が決まって表彰式が終わった時に、杉本さ
んが、
「ビールかけでもやるか?」
と言ってくれて、
「やりましょう。」
と言うと、会場に売っていた缶ビールを
買ってくれました。
それでビールかけをしたんですが、缶ビ
ールでは量も足りませんし、出方もチョロ
チョロになるので、あまり盛り上がらない
感じで、あっという間に終わってしまいま
した。
横でそれを見ていた人が
「もったいない。」
と言った言葉に、
「自分が買ったビールをどうしようが、俺
らあの勝手やろ。」
と言ったような、言わなかったような(笑)
終わりよければ全て良しなんですが、この
高石選手を叱った後が大変だったんです。
宿舎の部屋がまた高石選手と同じでしたの
で、叱った後に宿舎で同じ部屋に居ないと
いけないという気まずい状況がありました。
帰った途端に高石選手から、
「山崎さん、僕がいけなかったんです。」
「すみませんでした。」
と詫びがありました。
私は高石選手との付き合いが長かったです
から、彼の気持ちも十分に理解しているつ
もりでしたし、彼も私に叱られるなら素直
に聞いてくれると思っていました。
今年の活躍なら選手登録してくれて当たり
前という高石選手の気持ちは痛いほど分か
りました。
ただそれに不満を持って、自分のやるべき
ことがおろそかになるのは駄目ながやない
かと話しました。
まして、誰を登録するかを決めるのはオー
ナーで、杉本さんではない。
にもかかわらず高石選手の杉本さんにとっ
た態度はおかしいとたしなめました。
初日にこの話が出来たので、その後の3日間
は比較的楽に過ごせたと私は思っています
が、高石選手の胸の中はいろいろな思いが
渦巻いていたことだと思います。
すみませんでしたね、高石君。
今日はここまでにします。