
ありました!
浦野さんの現役時代のカラー写真。
右足が大きく上がるのが特徴でした。
金曜日掛川駅に迎えに来ていただいて、
久し振りの再会。
変形性膝関節症ということで、歩き方が
おかしいことに気か付きました。
それでもまだ投げているとのこと、長く
無理をしてきた結果ではありますが、
まだやりますか?とちょっと思ってしま
いました(笑)
お昼ご飯をご一緒して(ごちそう様でし
た。)そのあと2時間ほど練習を見学し
ながら、昔話に花を咲かせていました。
1983年の日本選手権の決勝、7回裏
2アウトランナー2・3塁の場面で、
マウンドにいたのが浦野さんで、バッタ
ーボックスにいたのが私でした。
打った瞬間私も浦野さんも
「終わった。」
と思ったことは共通していました(笑)
普通のレフトフライだと思いましたが、
レフトが目測を誤ってレフト前の2点
タイムリーとなって、同点となり延長
戦に入りました。
その二人が30年後にこうして当時を
振り返って、話しができることに感謝
です。
5月には日本リーグで松山に来られると
いうことで、再会をお約束してお別れ
しました。
そして東京に移動して、日本ソフトボー
ル協会に横田事務局長を訪ねました。
前からのお約束で、上京の際には一度
ご一緒しましょうという社交辞令を真に
受けた私がお訪ねしたわけですが、
そこでも突然の再会がありました。
事務局を訪れると私のお腹を突っつく人
がいました。
「誰や、ここでこの私のお腹を突っつけ
る奴は?」
と振り返ると、そこにいたのは元デンソ
ーの仁井田君でした。
「お前何でここにおるが?」
「会社から出向でここにいます。」
びっくりしました。
事務局長も驚かそうと、黙っていたみた
いで、その様子を見ながら笑っていまし
た。
仁井田君はデンソーで知っているんです
が、彼は高知西高校出身で私の2歳後輩
になりますので、どうしても言い方が偉
そうになってしまいます。
その後仕事を終えた二人と居酒屋さんで
歓談をさせていただきました。
この年になって、思ったことや過去の事
について正直に語り合える人がいること
に感謝の言葉しかありません。
この2時間も楽しい時間でした。
またお願いしますね(笑)
再会の中のお話は機会を改めてお話でき
ると思います。
留守中にたくさん仕事とメールが溜まっ
ていまっているので、今日はここまでに
させていただきます。
なお、昨日メールマガジン
「ソフトボール日本一への道」
第23号昭和59年(その3)を発行しま
した。
いよいよ始まった日本リーグ前節の模様
を詳しくご紹介していますので、こちら
もよろしくお願いします。