結成2年目、昭和54年の出来事になり
ます。
それでは、どうぞ。
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第9号のメニューはこちらです。
■昭和54年度(その1)
■編集後記
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■昭和54年度(その1)
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少し間が空いてしまいました。
14日から17日の4日間沖縄を訪問して、
元コザスポーツのメンバーとお話をさ
せていただいたりして、闘犬センター
の印象などを取材させていただきまし
た。
このことは、また改めてご紹介できる
と思いますので、楽しみにしておいて
ください。
さて、まずまず順調な1年目をスタート
させた闘犬センターですが、
2年目昭和54年度はどんなシーズンだっ
たのでしょうか?
振り返ってみましょう!
年末ぎりぎりまで試合をしていた
昭和53年が終わり昭和54年になると、
第2週の日曜日から練習が始まりました。
みんな若くてやる気に溢れていた時代で
した。
最初の試合は3月4日、第19回県社会人
春季ソフトボール大会のAゾーンで、
高知商OBに3-0で勝って優勝、
幸先の良いスタートを切っています。
続いて4月22日、第21回県一般男子春季
ソフトボール選手権(この大会は県内を
西大会と東大会に分けて開催したため、
優勝チームが2チームありました。)
の西大会の決勝で佐賀クラブに15-0で
勝って優勝。(2年連続2回目の優勝)
そして6月10日、第25回全日本一般
男子ソフトボール選手権大会県予選の
決勝で、県庁クラブに8-1で勝って
初優勝。
四国予選へと進むことになります。
ここから闘犬センターの全国への挑戦が
始まります。
7月15日、高知県の野市町(現在の香南市)
の県立青少年センターで行われた、四国
予選で愛媛県代表の丸善精油に2-0で勝
って、全国大会へのキップを手に入れま
す。
初めての全国大会ということで、オーナ
ーも大喜びで、早速どうやって行こうか
だとか、組み合わせも決まらないうちか
らやっていたことが思い出されます(笑)
結局大盤振る舞いで、高知から大阪まで
飛行機で飛んで、大阪から長野までの
飛行機を乗り継ぎ、長野空港でレンタカ
ーのマイクロバスを借りて、伊那市に
乗り込むというリッチな初遠征となりま
した。
その後、沖縄、北海道や東北など車では
距離的に時間がかかりすぎる場所以外の
移動は、車になりましたので、このよう
なお金のかかる遠征は最後になりました。
9月22日、いよいよ闘犬センターの全国
デビューの日がやってきます。
相手は宮崎県の旭化成延岡、この年宮崎
は国体の開催年で、強化もしていました
し、蕪投手という日本を代表するピッチ
ャーを擁する強豪チームでした。
ただし、オーナーも私たちもそんな情報
は全く知らず、
「宮崎のチームか、たいしたことないや
ろう。」
「勝ったら次は中京大学か、大学生には
勝てるやろう!」
と、捕らぬ狸の皮算用をしていました。
世の中のことを知らないとは怖いことに
なります。
試合は0-4で完敗!
まるで子供扱いされたという印象でした。
この大会は今後の闘犬センターの戦い方
や成績に大きな影響を与える出会いや、
エピソードがいっぱいありますので、
次号で詳しくご紹介しますね。
少し長くなったので、今回はここまでに
しますね。
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■編集後記
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最後までお読みいただいてありがとうご
ざいます。
アメブロ
「ソフトボールを愛する人にお届けする
ブログ」では、現在闘犬センターの帽子
の秘密をご紹介しています。
写真があったり、メルマガとは違った
ものになっていますので、そちらも
覗いてみてくださいね。
よろしくお願いします。
(山崎 浩誌)
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昭和54年と言うともう36年も前のこと
になるんですね。
その年に生まれた子供が、もう中年になっ
ているって考えたら、恐ろしくなりました
(笑)
大坂空港までの飛行機も今はもう日本の空
を飛んでいないYS-11でした。
時代はどんどん進んでいますね(笑)

編集後記にある闘犬センターの帽子の
モデルになった元の帽子がこれです。