目指せコツコツキリギリス -3ページ目

宗教に関して

火祭りの会場を回っている最中に途中でやっつーから、

「どうしてもS系にはまりそうな自分がいるのでヘルプミー!」

みたいな内容のメールが来る。



その回答。





思うに、宗教をガチで論破しようとする人ほど宗教にはまりやすい。


それはなぜか。


「論破しよう」と先入観を持ってかかると、

宗教の教義や、何者かの思想に染まる危険性を論じることよりも、

「論破出来るか否か」が肝心になってしまう。



しかし、宗教上の教義なんてのは、

大抵どれも道徳的・倫理的に王道を行っているため、

真正面から論破するのは困難。

試みるとこっちが足元をすくわれる。


宗教の論理を構築している側の人間は、必ず目的や手段に正論を掲げる。

信者に疑問の余地を与えないためだ。



一方、論破に重点を置いている人間の頭は、

往々にして論理的に語ることを好む。

宗教なんて非論理的なものは自分の理性を持ってすれば論破できて当然だ。

くらいの意気込みをもってかかる。






宗教をナメてもらっては困る。







古来四千年の歴史を持つ分野だ。

巨大化する宗教組織に論理性を持たせない訳が無い。

論破されることは同時に集団のアイデンティティーの崩壊を示すのだから、

必死で阻止する。

時には文字通り、命を賭して。



その上、宗教は極論人間の思想構築物だから、

物理的な迫害では消滅しない。

故に宗教は不滅性という強力な強みを持っている。




そもそも、宗教は人が長い時間と物量を投入し、

論破されないように磨き上げられた論理の結晶なのだ。

それを少しばかり知恵をつけた僕ら若者が論破できるはずも無い。


宗教教義の正面論破は、

取り掛かる個別宗教の歴史と闘争するのと同義なのだ。






しかし、論破できないのは負けを認めたことと同じ、

と論破チャレンジャーは考える。


「論破できないならば、論理的に正しい。筋が通っているという証明だ。

それならば間違っているのはむしろ自分の方ではないのだろうか。」

と疑問を持ち始める。


そしてその道徳的・倫理的に綻びの無い教義に関心を持つ。

論理明快で基本的に人類の幸せや平和を唱える彼らに、徐々に魅了される。

ここまできたらあとはあっちの思う壺。


自分の中で論理を回せる人は、

既に答えの提供されている美味しい論理を食べる飲み込む。

気が付けば、


「素晴らしい!なんて理性的で平和な世界なんだ!

この思想をもっと世に広めるべきだ!非論理的だなんて言わせないぞ!

そんな奴は論破してやる!!」






論破チャレンジャーは知らぬ間に闘争の牙を抜かれ、

飼い慣らされ新しい牙を装着し、

いつしか飼い主の為に戦う「操られた論破チャレンジャー」に。

教義に向かう敵は噛み殺す。

俺は教義論理の番人であり、平和思想布教の闘士。







そんな彼に一言。

批判手法で最も大事なのは、「宗教の信仰」の構造自体に疑問を持つこと。


本来、思想は法律とは違うので、

万人が万人別のものを持っていてしかるべき。


しかし、宗教は教義を固定化し信者をそれに向って纏め上げる。

貧困や悩んでいる人々の弱った精神につけこんで。

それが進行すると教義と絡めて戒律をつくり、

次第に人の闊達であるべき精神をも縛る。

思想の自由は宗教組織の大敵だから。






「隣人を愛せ」だの「人類の平和」だの。

正しいよ。最もだ。大いに結構。







でもそんなのは一人で心の中で思ってろ。


そういうのは、

みんなで一緒に祈るものではなくて、

みんなで一緒に考えて行動すべきもの。



そして人から教えてもらうものではない。




お経唱えるのは楽でしょう。


唱えるのは実際に活動するより遥かに簡単だもの。


でも目を瞑って手をすり合わせても、現実は何も変わらない。





しかし人は時に縛られることとを望む。

楽な方を求める。


それは否定しない。

人は楽に、幸せに生きる方へと流れるのだから。




だがそれを頭の中でぐるぐるやったってなんの解決にもならない。










まとめると、宗教教義に関しては対抗せずに「そりゃそうだろ」と飲み込むこと。



一方で宗教それ自体に対して持つべきスタンス。

彼らの大半は別に悪いことをしている訳ではないので、

戦って潰そうとしないこと。

彼らにもプライドはあるし、平和を求めている集団には変わりないから。



ただ、自分がその色に染まりそうな時は、

「思想をする姿勢はは本来どうあるべきか」を考える。

思想は個々別々に存在すべきものであって、

纏め上げたり強制したりするべきものではない。


思想は一つに向かって歩むべきものではないのだ。



一つに向かって歩むべきものは現実の世界に存在していて、

決して頭の中に求めるものでなない。












ここまで書いて、僕自身が宗教を毛嫌いしているように思われては困る。

僕は宗教を歴史上重要な役割を担ってきたと考えているから。





人間は一人では生きられない。

集団の中で生活する社会的動物。




世界各地、風土的に生存が困難な地域に生息した民族もいたはず。

彼らをまとめ、生かしたのは、他ならぬ宗教だろう。



また、論理を磨き上げたという点では、

ある段階まで人の知性を引き上げる役割もあった。

道徳的な成長にも大いに寄与した。



加えて建築・美術・文学あらゆる方面の技術向上に、

宗教は果てしない貢献をしただろう。









僕は歴史的に、宗教に感謝している。









しかし、その役割はもう終わったのではないだろうか。


ゆっくりではあるけれど、世界が一つにまとまり始めている。


これから僕らがすべきことは祈り、耐えるのではなく、

考えて実際に行動に移すことだ。





この考えは、僕の現代人に対する過信だろうか。





世界の思想の進歩的な歩みを阻んでいるのは、

先に言った宗教の不滅性がそうはさせないからだろう。














僕は僕の思想を以て、僕を動かす。

















火祭り`09

6:55起床。


7:15出発。

昨日の残り物ののカレーを食べていざ友部へ出発。

もちろんカメラも持っていく。


途中ファミマでソフール・からだめぐり茶・ベビースターを買ってもらった。

やはりソフールは美味しい。


火祭り━茨城県笠間市で年2回行われる陶器市

     地元の笠間焼きの作家がこぞって作品捌く。


9:30に笠間の火祭り会場に到着するも、既に講演駐車場は満車。

吉隆が車酔いしていたので混雑に紛れ込まれる前に下車させた。

後に公園で合流。

崖の上の臨時駐車場に誘導されどうにか入場。

入り口前で吉隆を発見するも、

財布を車内に置いてきたというので一人で取りに戻らせる。


自由行動開始。


今回は陶芸作家の秋元智香さんが目当て。

探す前にふと入り口近辺の店を見ていたら、


発見!


地図見る前に見つけてしまった笑


予想したとおり作風は以前と変わっていて、

絵付けものが多かった。


でも彼女の特徴の白磁・青白磁、薄い陶磁、切れのいいクチ。

そして丁寧なつくり。


どれをとっても素晴らしい。


結局1時間会場をぐるぐる回ったけれど、

秋元さん以上に気に入る作家さんはいなかった。


両手のひらくらいの大きさのシンプルな器を購入。(2500円)

6000円の大きな花形の白磁も欲しかったなぁ。

でも予算オーバーだから我慢!大きすぎて部屋には合わないし。



途中でコンテナのベースを相手に20分近く写真を撮る。

どんな風に撮れているのか楽しみ。



12:30に会場を後にする。

駐車場出入り口は入場待ちの車で渋滞。

細い道なので一度はまると抜け出せない。

親父の言うとおり、出るなら朝いち。



今年の火祭りの感想なんだけれど、

なんだか年々レベルが下がっているような気がする。

両親もそう言っているのだからあながち見当違いでもないんだろう。

アマチュア感と商業意識が前面に押し出されてしまって、

以前の採算度外視・高度な作家意識があったのなぁ。



13:00、祖母の家に到着。


おばあさんはいつも元気だ。

料理中の写真を何枚か撮った。

逆光は承知だったが、一枚でもいいのがあったらと思う。


それにしてもあの味のしみた椎茸の入りの炊き込みご飯は美味い。

エビフライとさつまいもの天ぷらも美味。

まぁそれ以外は食べられるものが無かったんだけれど。


昼を済ませ、近くのグラウンドまで写真を撮りに行ったのだが、

いまいち良い材料が見つからない。


一旦家に戻ると、吉隆が縁側に出ている。

一緒に街の方を歩かないかと誘うと、以外にも軽く承知。

吉隆の用意を待ち17:00頃外出。


兄弟揃っててくてく歩く。

吉隆と歩くのなんて今までなかったろうから、ちょっと緊張した。

歩きながら、我ながら仲のいい兄弟だなと思った。


田舎をひやかしながらボーリング場へ。

レトロだが以外に人が入っていて正直驚いた。

Coco!という名前のコンビニにも入る。

惣菜が売ってるのに二人でビックリ。


本通りから逸れて横道に入ると、

なんだか懐かしい風景だ、と思った瞬間、

「ここはおもちゃ屋さんの近くだ」と気が付いた。

不思議なものだ。

もう10年近くここらには来ていないのに、それと分かるんだから。

しかしおもちゃ屋は一向に見つからない。

近所のおばさんに聞いてみると、だいぶ前に潰れたのこと。

二人で感慨に耽る。


そのまま歩いて駅へ、街へ。


ひたすら真っ直ぐ歩いても大したものも見つからなかったので、

方角に見当をつけて引き返す。


途中に駅で吉隆を、線路で地平を撮った。



何を話したかは昨日のことなのにほとんど覚えていないが、

話は耐えなかった。


二人で「もやもやさまぁ~ずみたいだね」と言い合って笑った。



家の前の坂でひとみ家族に遭遇。

出たよ、じゅんくん。



家に戻ると夕飯の寿司が用意されていた。

あやとしゅうとも揃ってみんなでちびまる子ちゃんをみながらいただきます。

あとからバンダナを巻いた仁おじちゃんも。


さすがに疲れていた自分は、

子供らの元気さを可愛いと思えず和室にこもって一人TVを見た。


みんなが帰った後、我が家と祖父母で平成教育委員会を見る。


天地人が始まったのを切り上げとして帰る。


20:20、友部を後にする。




21:40、帰宅。


帰省した室田から連絡がきて間野も合流し23:30にサイゼリヤへ。


一通り情報交換をした後、またもや間野と口げんか勃発。

振り返れば自分も疲れていたし、

間野も彼女がいて調子乗っているやら就活美うまくいかないやらで

尖ってはいたかもしれない。


火蓋は吉隆の高千穂入学批判から始まった。


M「そんな大学入ってもなぁ・・・四年間って大事じゃない?」

と言われたことにカッチーン!ときて自分から噛み付いた。


正直間野の大学生信仰には辟易していたら。

そして吉隆がバカにされたような気もして。


以前間野に、「お前は大学の奴と絡まないなんて世界が狭い」と言われ、

それは違うとあれこれ論理的に説明したにも関わらず、

飲み込めてない間野を見て説得を放棄した。


そのくすぶりもあった。


まず吉隆の四年間が大事といっても、

もう入学してしまった訳だから、

そこを云々かんぬん言ってもしょうがなかろうとピリッと感じた。


面倒なので以後のことは簡単に。



間野が以前、自分に言った「お前は世界狭い発言」は間違ってると指摘。

むしろ大学の枠に自分を嵌めて、

社会と接する機会を逸している間野の方が余程世界は狭いのだと主張。


間野は大学時代にしかできないことをしたいと主張。


時間上の根本的な食い違いだが、

大学時代にしかできないことと社会と触れ合うことは同時並行でもできるので、

やはり間野の主張は飲み込めない。



社会に出る前にどうたらこうたらの話も、

アホらしくなるくらい要領を得ないので記憶に残っていない。



まぁお互い頑固だから解決は無理だなと思って、

「間野はすごいよ!」みたいな方向に話を逸らし括る。



間野と論じると死ぬほど無益でやりきれなくなる。

何も得られないし影響も受けない。

「認めるべき他人の新しい価値観」ではなく、

多くの同年代が過去に通過した思考フェイズを、

今更頑強に振りかざすんだから眩暈がする。


嘘もつかない真正直な人間なんだけれど。

頭が弱い。

稀に見る下手に知恵を付けないほうが良い類の人間なのかしらん、

と思わずにいられない。




彼はそんな自分をどう思っているんだろう。






別に他人にどう思われようが自分は自分で、何の影響も及ぼさんがね。






その後二人の彼女の話を聞き、

間野が彼女に対して調子に乗っていることなんかを話して、

03:00解散。



家に帰って速攻就寝。

ヴェール

午前中は昨日の分の日記を書いたり、

デジカメのデータを取り込んだりで終わった。


14:25、家を出る。


16:00市ヶ谷・カロタイプ到着。

今日は講評の講座らしく、10人近くの生徒が集まっていた。

講評の最中にお邪魔。


「暗室・カロタイプ」のアシスタント・阿部さんに、

昨日の分のプリントを取り出してもらった。

途中で白岡さん(カロタイプ代表・講師/見た目は和製サンタクロース)が急に、

「秋山さん、このプリントみてどう思う?」

と聞かれ、教室に移動。

みなさんの視線が突き刺さる。


見せられたのは暗室WSの最初に会った生徒さんの作品で、

自分の作品と比較的似ている黒い写真を撮る人。

「君もこっち側へ来てしまったね笑」

と言っていたけど、どういう意味だろう。


似ている質感の写真だけあって、自分好みの写真が多かった。

ツヤのある、シンプルな構図。たっぷりした黒。

うん。好きな写真だ。


先生が自分を教室に呼んだ理由は他にもあったらしく、

先日のプリントをサッと机の上に並べられた。

恥ずかしかったけどみんなどう思うんだろう、

と感想を聞いてみたかったのも正直なところ。


と、先生からおもむろに、

「秋山さんはなんでこの印画紙を使ってみようと思ったの?」

と質問されたので、

「プリントに光が反射しているのが嫌いだったので、

半光沢で安い印画紙を探した結果です。」

と答えた。


「う~ん・・・」と先生唸って、

他の生徒の黒い写真と自分の作品とを、

ギャラリー用のライトに照らして比較された。



絶句。


そんな馬鹿な。


なんなんだ。


このヴェールがかったような、息の詰まった黒は。





先生、「ね、右と左の黒じゃ全然違うでしょ。

     僕はね、秋山さんは普通の印画紙のが良いと思うのよ。

     黒が強いし、奥行きのある写真だからね。」



他の生徒A・B・C「うーん、確かに・・・」



他の生徒D「私このプリントさっきも見せていただいたんですけどー、

     これだったらインクジェットでも良いんじゃないかなと思うんですよ。」



秋山「(カッチーン)」



レンタル暗室アシスタントの阿部さんに速攻泣きついたね。

どうしましょう。

150枚分の印画紙。

テストプリントにも使えやしない。

それを見かねた先生がやさしく一言、

「まぁ、経験だよ。」



たーしかにねー




みんなの前で赤っ恥晒して、印画紙代14,000円がおじゃん。

しかも初めて買う印画紙の種類だから、

一週間メチャクチャ調べて決めたのに。

何よりダメだしされて然るべきものと認めざるを得ないプリント。



悔しい!悔しすぎる!



その後バイトに行って直ぐに、業者に新しい印画紙を注文。


この失敗を期にバライタからRCに変更した。

でも考えてみればこれで良かったのだ。


正直バライタだと一枚仕上げるのにやたら時間を食う。

その上高いし、制作した後すぐに持ち帰れない。

(バライタは紙だから乾かすのに一日必要。)

後日引取りに来るか次回の制作日に引き取りか。


RCだったら安いし軽いし品質もバライタに引けをとらない。

むしろ自分みたいに銀の粒子が重視される黒い写真なら、

尚更RCのが良い気がする。

水洗も2分だし、仕上げた後直ぐに持ち帰れる。

(RCは印画紙がプラスチックなので、水が染み込まない。)



とはいえこれも先生に指摘されなければ気付かなかっので、

結果的に得たものは大きかった。


勉強勉強。



バライタの方が作品の保存性や販売のことを考えると

確かに優位なんだけれども、

今はまだ始めたばかりなのだから、ガシガシプリントを作るべきだ。



よくよく見たらRCの黒って素敵じゃないか。






16:30に阿部さんとカロタイプを出る。




17:00、ACC到着。


この日は全講座20:00までだったのでヒマでしょうがなかった。


坂井とオトメなんたらという恋愛サイトを見ながら盛り上る。


坂井の恋愛トーク・好例の「私どうすればいいですか」に付き合い疲れる。

うじうじしてないでサーファーに告白して早く彼氏作ったらいい。


21:15、退社。




11:15帰宅。


帰宅後、海野から連絡があり、つとむと共にサイゼリヤへ。


海野から2年前のキャンプの写真を見せられ青春していることを自覚する。


海野は髪が短くなっていた。彼の新しい車にも乗った。


小泉沙織が近くの席に座っていた。

改めてみてもかわいい。

Coccoみたいだ。


01:30、解散。