放送局番組パックシステム開発秘話(後編) |     ✤ We Love Softbrain ✤ 

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こんにちはビックリマークソフトブレインのシニアAですクローバー

いつもSE道場をお読み頂きありがとうございますお願い

 

1994年に某放送局の深夜番組テープを作る仕事で、編集機を使ってダビングすることになったあとの話ですひらめき電球

 

ではどうぞ・・・


N局のソフト担当者たちは粘り強く画面仕様を検討しては要望をだしてくる。

その量は半端なく、次の打ち合わせまでの間、私たち5人が毎日終電間際まで修正に明け暮れる日々を過ごすほどだあせる


編集機の方は、動作させる独自のコマンド体系があり、それをどの順番で発出すればよいかを調査することから始まったひらめき電球

 

S社の編集機の開発チームとの連絡も増え、編集機のソフト担当者は必死に解析していた鉛筆

編集機は当時でも数千万円もしていたため、S社の開発チームも実機がなく、実機なしのまま作業を進めていた。


最初の打ち合わせが始まってから10ヶ月が経過したころ、ようやく要望も少なくなり仕様が煮詰まってきた。ソフトチームは画面仕様を確定し、製造工程に移った。

製造開始後3ヶ月ほど経った頃にS社の開発チームのところに編集機が用意され自由に使うことができるようになった。

 

前例がない使い方をするため、コマンドを投げては動作を確認するところから始めたクローバー

 

 

3ヶ月過ぎたころには同期した録画に成功した音譜

週を追うごとにできることが増え、さらに2ヶ月経ったころにはフェードアウト・フェードイン・カットアウト・カットインなどが指定通りにできるようになった筋肉

画面の方はそれから半年ほどで何とか動くところまで漕ぎ付けた。

細かいバグはまだたくさんあるが、ここまでくればデバッグ作業もはかどるに違いないビックリマーク

 

 

私は部下2人と、結合試験仕様書の制作に着手した。

仕様が細かいため、気を付けながら試験仕様を書いていった鉛筆


最後の半年は、G駅のS社に通い、PCと編集機をつなげたダビング試験に明け暮れた。

 

致命的なバグはなく、簡単なバグだけだったので容易に修正することができたビックリマーク

試験が一通り終わると、S社の役員・本部長・部長などの面々がやって私たちのシステムの動きを見ながらあーだ、こーだと論じていた。


営業のAさんがお偉い人たちと一緒にやってきた。


『Aさん、お久しぶりです。』


『シニアAさん、こちらこそ久しぶり。』


『今日は皆さんの付き添いでしたか。』


『そうだが、引率がてらシステムの説明をしてきた。』


『なるほど。』


『今回のシステムは編集機を使った画期的なシステムだ。これは将来S社テープドライブにダビング機能をつける前触れになるかもしれないビックリマーク


『それは凄いビックリマーク お役に立てたようで良かったです照れ


『シニアAさん、ありがとうビックリマーク 今後もいろいろと頼むよビックリマーク


こうして、放送局番組パックシステム開発は終焉を迎えた。

思えばYさんが息を切らして飛び込んできてから早2年の歳月が過ぎていたクローバー

思えば、実に充実した2年間だった・・・


後編、終わり・・・

次回のSE道場をお楽しみに・・・

 


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1つ前の開発秘話は...